萩原恭次郎
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はぎわらきょうじろう(1899-1938)
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| 群馬県勢多郡(現前橋市)生まれ。前橋中学時代から葉歌の名で短歌を作り、石川啄木、北原白秋、 土岐哀果などに傾倒して同地の短歌誌「キツネノス」や中央の「文章世界」「秀才文壇」などに短 歌や詩を投稿した。1918年、中学卒業と同時に川路柳虹の「現代詩歌」に参加。1921年上京し翌年 「種蒔く人」に寄稿。また、クロポトキンの著作に親しんで次第に意識を尖鋭化していった。1923 年には岡本潤、壺井繁治らと詩誌「赤と黒」を創刊したが、この前衛的詩活動を通してその反抗の 所信をアナーキズムに置いた。1925年に出版された第一詩集『死刑宣告』はダダイズム・アナーキ ズム或は構成主義など大正末期の前衛的芸術革命運動諸派の申し子のような形で生まれた詩集であ った。1928年に帰郷、アナーキズムの文学的立場を主張し続けたり、1932〜34年には農村生活の現 実を背景にした生活の呻きや悲哀の憎しみを表現するようになり1935年頃からは次第に民族主義へ の共感を示していった。生前に刊行した詩集は『死刑宣告』の他に『断片』(1931)だけであったが、 アナーキズム詩人として、ひとりの思想詩人として、ひとりのプロレタリア詩人として残した足跡 はあまりにも深い。死後に『萩原恭次郎詩集』(1940)が出された。/日本現代詩辞典より |
詩集『死刑宣告』より
| 【序●私の詩への警告】 ▼ 何者かを神聖化してゐねば、安心してゐられない群羊! 神聖化することによって自らを瞞著し、価値を認めやうとする臆病! 汝自身を常に不自由に一つの檻をつくって監禁し、 汝自身を定形によって住まわせねば安眠出来ぬ神経衰弱者! 偶像の義僕よ!詩人は詩をつくり、詩人とは詩とは何ぞや?! を完全に答へられねば何らかの権利を有しないと思うやうな心! 詩を検討し詩の向上のためと云ふ事は、自らを安心させると共に、 他の者に対する恐怖心をとりのけ、人々の目に、 自分自身を立派なものにする、最も有効な方法ではあらうぞ!猿め! 然し、ほんたうの詩は、詩人は、「詩は斯うだ!」「詩は斯うしろ!」 と云ふ旗印の下に戦ふことに成立するものではなく、むしろ全く、 全然かゝる誤謬の旗下に戦はない事にのみ成立する。 【凹凸の皺】 【愛は終了され】 【夏の日の恋】 【鮭と人間の価五十銭也】 【コーヒー一杯で午前は終つた】 【屋根裏の鴨】 【泥濘中の太陽を胸に燃やさない限り】 【離れてゆく秋】 |