稲村容作

いなむらようさく(1912-1944)

秋田県西仙北町強首に生まれる。1931年、県農業試験場に研究生として入所。1934年、北本
哲三らと「処女地帯」を創刊。詩やエッセイなどを発表した。また農業関係の研究、評論等
も多数出版。1939年、日華事変に召集され従軍、1940年に帰還。結婚し上京して
大政翼賛会
に入る。1943年秋、再度応召。1944年、南太平洋にて戦死。/『日本農民詩史』より


『日本農民詩史』より

 

【ぺんぺん草物語】

ぺんぺん草はなぜ泣くか
成果の、三味線のばちの如き型。そのばちの持つ数々の物語を私は記録せうと
するのではない。けれど、なぜに自らの不和合の性能にぺんぺん草はさような
らしないのだ。早春の七草のカテゴリに身を横へるとも、ぺんぺん草はしかし
発生運命に哀しい逆立ちを強いられてゐる。純白なる花々は声を合はせて真昼
の陽光に、その哀愁のメロデーを響かせ、いたいけな存在を青空に訴へ続ける。

ぺんぺん草はなぜ泣くか
成果の、三味線のばちの如き型。そのばちの生え立ちを私に想起せうとするの
ではない。けれど、なぜに幼ごころにぺんぺん草はお別れをするのだ。新しき
固体が活動の領域を得るために、いかに多くのぺんぺん草が自浄作用を遂行し
たか。しかしそれが一体何であり得たらう。幼き息吹は踏みつぶされ、日毎、
ぺんぺん草の若々しい足調が冬眠へと落ちて行く。

ぺんぺん草はなぜ泣くか
成果の、三味線のばちの如き型。そのばちに潜む性能を私は解剖せうとするの
ではない。けれど、なぜに連続的迫害にぺんぺん草は忍従するのだ。鉄の如き
運命には鉄の如き叫びなしに、その頑強な鎖を断ち切り得ないのに、ぺんぺん
草はしかし苦しみを一人でそっとしまって置かうとする。
潜在能は発生運命より偉大であった。
私はこの輝かしい言葉で、ぺんぺん草の潜伏生命を喚び起さなければならない。

嵐の中のぺんぺん草は息づく
かつて有った種族はなぜ滅亡した。歴史に逆らって自個を主張せる種族は亡び
歴史の流れに適応せる種族は自個を保存した。個体発生は系統発生を繰り返し
て、斯くしてぺんぺん草は嵐の中に突進する。いま、ぺんぺん草の果敢なる若
者は、大きな否定に更に一つの否定を内在せんとして、染色体のポリプロイド
的発展を試みようとしている。

【続・ぺんぺん草物語】

ぺんぺん草はなぜ泣いたか
泣いて泣きぬいたぺんぺん草は、しかしいつまでも、そのなみだの坩堝の中で、
ただ宿命について解釈する一個の哲学でしかなかったか。ぺんぺん草はついに、
地獄の中で美を強請される日出づる国の、三味線のたつきびと。芸人でしかな
かったか。ぺんぺん草の、いつも憂いなく、土に生れ、土に育ち、土に考えて、
土の則(のり)を固執するある殉教的な足調(どり)を、しかし私は記録せうとは
思はない。ぺんぺん草の身の上に、多くの慈善の瞳が注げられ、ぺんぺん草の
頭を撫でて慰めようとする階級の手に、絶大の期待をかけて、そして憩ふべき
一片の木片の上で明日に盲目なるぺんぺん草のその最もさもしい最も堕落した
おろかさを、私は悲しまなければならない。

ぺんぺん草はなぜ泣いたか
泣いて泣きぬいたぺんぺん草は、ついに歴史的睡眠を足蹴にして、洋燈のごと
く火花するかくめいのさ中に突撃をなし得るか。濃霧の只中で、なみだの一滴
一滴を正確に分析する冷徹な科学の鉾をいまはしっかりとその諸手に握る階級
のおのこになり得るか。ただ泣いて泣きぬれたぺんぺん草の忍従の歴史に、ぺ
んぺん草を欺いた者は誰であったか。ぺんぺん草に向ってこの国の、そしてあ
らゆる国々の最も優れたる騎士となして、しかしぺんぺん草になみだの玉を永
遠に烙印した者は誰であったか。ぺんぺん草はやがて果敢なる転換をなすであ
らうとの日和見的な期待主義を、しかし私は主張せうとは思はない。ぺんぺん
草のあの、あの種の天命を信じてゐる驚くべき自己満足は、いかにぺんぺん草
に毒づいてゐるかを、私は悲しまなければならない。

ぺんぺん草はつひに泣きやめないか。
泣いて泣きぬいたぺんぺん草は、またも矢継早に押しよせる潮風の故に、頑強
な蓋で口をふさげられ、そしてぺんぺん草は海上の彼方に、その真実なる叫び
を運び去られるのか。永遠に沈黙を愛する魚類と化して、両棲、ハ虫と形態を
進化できないぺんぺん草の恐るべき哲学は、かくして成立の段階をいくたびも
繰り返すだらう。しかし私は嵐のごとき街の騒音の中に、ぺんぺん草前史の終
焉を告ぐる鐘の音を聞く。あの憎むべき外殻をはねとばそうとする苦難に満ち
た努力の衝動は、ぺんぺん草の心臓を叩いてやまない。私は大きな輝かしきそ
の波紋の動きに、私の情熱の肉塊を投じ得る日を、ひたすらに待ち望んでゐる。