『自然と印象』より
◆悲しさの中にほゝえみし花
【或夜のかなしさ】
▼
か弱きわが心、
悲しさのまゝに微笑みて
しづかに默す。……
果てしなくなみだながる。
仄かに、ほのかに、
月影見ゆ。――
榕樹の梢の上
漉tの波立つあたり、
白き光みだる。……
しづかなる歌きこゆ。……
榕樹の葉かげ、
その幹を取巻きて、
ほゝ笑める、歌へる少年の一群(ひとむれ)……
あゝ若き聲、
Cげにも波立ちかつ顫ふ……
音もなく、
唇浮ぶ……
無限の闇中、――沈默の世の彼方、――
その一點に罌粟のごとく爛れ燃ゆ……
密に…ひそかに……
その影流れ來(きた)る、
唇――女の――紅き唇――
紅き世界だ!
高フ、の……あゝ遂に紅き世界……だ……
紅、くれなゐ、炎、
血の、
その中に、わが顔浮む。
黄色に濁りつかれし眼、
しづかに漂ふ。
あはれ微笑む。……
息詰む闇の一室(ひとま)の底に
眠りの臥床(ふしど)――
暴風雨(あらし)の、海の、擾亂の、
浪狂ひ搖るゝごとく
波立ち、波立ち、かつなみだつ。
悲しかなしわが身、
果てしなく沈みゆく……(四月八日作)
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(註)
■擾亂(じょうらん)=乱れ騒ぐこと。騒乱
【黄昏】
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聖(きよ)げにもやわらかな大氣の光、
透明なるき空、
あほげば月のしづかに目醒め、
圓(まど)かなおもひ充ちゆく夜よ。
白ちやけた藍色の高臺の
その中の森の影から
ほゝえめる赤き灯――
窓際の若樹の
ひと葉、ひとはの
ほのかにもか弱きためいき……
しづかに白きおもひこもれど、
籠もりしまゝに動かざる、
慕はしき、この天地(あめつち)のひとゝき――
言(こと)なくてわがこゝろ、
たゞ首垂(うなだ)る、――そは墓の如し。――
微笑みと云ひ、はた悲しみと云ふ、
それ等教(なら)ひしもの悉(みな)消え去りて昔にひゞく。
かすかにひゞく。――
いらざる月影ながれ來(きた)り、
目にも見え來る世の姿や――(四月五日作)
【深夜】
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眺めさびしき樹立の上
白き月しづかにかゝる。
ものゝ音も聞えず、
濕(るめる)、おぐらき微風の
あるとも無きおとづれ、
圓(まど)かにもこゝろ悲し。
月影に濡れし梢の
かすかにも切なる見震ひ、
追憶(おもひで)のかなしき調べ。……
降りそゝぐ無量の、
哀惜(あいじゃく)、
あれど、はやこゝろ憂し。
頼もしきものに思へど
あほげば月は靜かにかゝるのみ。
うるほえる、冷たき光、
海ともわが身を繞(めぐ)りつゝむ。
なに者も、
こゝろ無し!
あはれたゞ、深夜の奥に潜める
仄暗きうまひの床の上、
移りゆく、移り來る時も知らずに
かくてあれ倦んぜし胸よ!(四月六日作)
……… 1909年6月 第2集収載
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(註)
■うまひ(うまい)=味寝=気持ちよく熟睡すること。
古くは、「安寝(やすい)」が単に安眠であるのに対して、
男女が気持ちよく共寝することをいった。
◆南の小タウンより
【燕の一群】
▼
今年自分が歸つたとき、
燕は未だ歸つてゐなかつた。
すべての木の葉が強く輝き、
葡萄の蔓には實が飾られた。
しかし我等は、
今年、燕の歌は聞かない。
ああ!夕日が峯に煌(かがや)きだす、
空が鮮麗に浮いて來る。……
此時われ等は、
あの濃艶な空氣と光線との中の、
流るる様な
燕の群をいつも見た!
柳の木陰。
白く煙れる空を眺めて、
一人の男が呟いた。
「今年は一體何うしたのだらう?」
葦ずれの音がかすかに鳴つた。
自分は默つて空を仰いだ。
或朝、
自分は窓に凭つてゐた。
新鮮な日光が晴れやかに降る。
洪水のやうに。
野に、山山に、山の谷谷に。――
南の風がしづかに吹く、
すべての森に露がかがやく。
不圖(ふと)!
小鳥の群が空に行く。
煙つた空を、
しつとりとした大氣の中を。――
自分は凝とそれを仰いだ。……
燕だ!燕だ!燕の群だ!
大空の下、
Kい一群は亂れて見える。
日光は彼等の翅を照らし、
微妙な歌がほのかに洩れて。……
首垂れしまま、
永き旅のあと、
いかに悲しきひと時だらう!?
しかし! しかし!
汝の精靈は泣濡れてゐる。
き光も、
柳の吐息も、
汝は已(すで)に解し得ない!
すべてのものより唯一人。
旅人よ! 悲しく淋しきかな。
汝は默つて並木路(アベニュー)をゆく。
【並木路】
▼
うるめる月影ながれ、
き、き、姿なつかし。
夜の風しづかに渡り、
露の雫絶えずひゞく。――
柳の一列(ひとつら)、
蒼褪め、かつ嘆く。――
旅人よ!
汝の心は悲しさに充ち、
あの日の希望(のぞみ)は褪めゆく。――
首垂(うなだ)れしまゝ、
永き旅のあと、
いかに悲しきひと時だらう!?
しかし! しかし!
汝の精靈は泣濡れてゐる。
き光も、
柳の吐息も、
汝は已(すで)に解し得ない!
すべてのものより只一人。
旅人よ! 悲しく淋しきかな。
汝は默つて――默つて並木路(アベニユー)をゆく。
【八月の一夜】
▼
われ等は二人
流を沿うて靜かに下る。
ひろびろとした河の上、
月光は方々の空から溢れ、
遠くの山々は輝いてゐる。
われ等は絶えずキスし
そして靜かにオールを操つる、
水のにほひがほのかに揺れる。
大空の下(もと)、雲の下、
朗らかに晴渡つた夜の色、
い、しづかな水底(すゐてい)に、
~秘な夜の白雲(はくうん)と
星の影とが漂うてゐる。
うるめる一夜のすがた――
行手の水は煙(けぶ)り、
兩岸の樹立の木々は
露にかゞやき首垂れてゐる。
その中で、
蝉がなく……しづかに鳴く。……
明るい月光に照らされて、
悲しい夢が晝を見て。――
あゝしめやかな涙つぽい聲々、
かなしい悲しいその震へ。
葦ずれのやうな合唱(コーラス)が、
遠い岸から、
月光の中ををのゝいて來る。――
われ等はしづかに下りてゆく。
……… 1909年9月 第5集収載
【F・―――・に】
▼
(1)
薔薇(さうび)は永い雨に腐れ、
恋は憎悪(にくしみ)と変はる。
すべて終りだ。
睡眠(ねむり)と疲労(つかれ)は私を待つてゐる。
夢の敷布がひかれた。
「左様(さよう)なら!」
斯(こ)う云つて別離(わかれ)としやうぢあ無いか!
それで終りだ。
「左様なら!」
(2)
廃園の百合は日に酔ひ、
無花果(いちじく)は甘い夢を抱(だ)く。
淋しい昼間の庭に
立尽くす我等二人。
相抱く唇(くち)は燒かるゝけど、
眼(め)は憎悪の火花を散らす。
愛の憎悪!
噫幾度(ああいくたび)遠い記憶を呼んでも
我等が恋の歴史には、
其(そ)れは余りに倦(あ)きたぢあ無いか。
地上を照らす
若葉の影は光り煌(きら)めき
真昼の静かな夢を織る。
無言のまゝ
立ちつくす我等二人。
(3)
室(へや)は冷た過ぎる程静かに、
花は静か過ぎる程鮮やかに、
瓦斯(がす)の光に更(ふ)け行く
総(すべ)ての影は笑(ゑ)みもせず。
真紅の薔薇(ばら)と、冷たい匂と、
微かな身震(みぶる)ひをするほとり、
とき折、
出合ふ瞳の、
意味もない頬笑み――
静かな室の静かな程、
更行(ふくゆ)く夜の更くる程、
開(あ)かぬ唇(くちびる)は正しく解(わか)り、
無言の声を淀(よど)みも無く
微笑み合點(うなづ)いてゆく胸と胸。
真白い君が手を握る
私の魂(たま)と胸は震へ、
真白い小さい君の指は
私の胸の様に震へる。
(4)
緑を誘(さそ)ふ風もなし、
真白な窓掛(カーテン)が花と咲く頃。
見よ、音も無い礼拝堂(らいはいどう)の辺り
聖像の前に佇(たゝず)む尼は
冷たい胸を震はしながら
力無い指で十字を切る。
往還(わうくわん)の樹蔭(こかげ)に
千切(ちぎ)れちぎれの夢を編む
酔人の悲しい眠りは疲れ。
石も、草も、流るゝ水も、
冷たいものに抱かれて
悲しい無言の絶叫(さけび)を揚(あ)ぐ。
(過去と悲哀は墓に終り、
人は総ての忘却(わすれ)を想ふ。
運命と、涙と、笑(ゑみ)と、
我等紀念(きねん)の第一日(じつ)の夜(よる)
総ての証左はすべて逝(ゆ)く)
(5)
蒼白(あおざ)めた月が照る!
果てしない北極の奥に
氷の墓が一基(ひとつ)ある。
その底から、愛と争闘(あらそひ)と憎悪(にくしみ)との
冷たい悲鳴が絶えず聞える。
氷の墓!
我等が恋の、淋しい行方(ゆくえ)を忘るゝな!
総てが終りだ。
「左様なら!」
(6)
白い纖弱(かよわ)い手が
私の疲れた門(かど)を敲(たた)く。
「帰つて来ました。帰つて来ました」
闇と悲哀(かなしみ)とに包まれたまゝ
眠る魂(たましい)は眼(め)も開(あ)かず。
疲労(つかれ)と涙に震ふ声は
遙かな空に聞きながら
私は深い淵へ沈む。
……… 1909年11月 第7集収載
◆Death Only!
【日の沒しゆく時】
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此の世が
黄金(きん)の香爐と燃えてゐる。
花園(くわゑん)の影に
薔薇(しようび)は爛れた媚を流し、
沈思の姿に日が沈む。
世が燃える、
華やかな、そして冷たい炎で――
其の中に、私が眺める處に
一窒フ胡蝶が飛んで行く。
おゝ懐かしい胡蝶よ!
歸れ、歸れ、吾が魂に。
そして此の遣(やる)瀬ない悲哀を語らんと
擴げて待てる腕の上に。――
冷たい涙を漲らし
飽かず爾(なんぢ)の行方を見守る
私の瞳に映るは燃ゆる香爐を沈みゆく日の影
あゝ其の中に、黄金の木の葉が散る樣に
震へ漂ふ懐かしい胡蝶よ!
【秋】
▼
總ての夜と日が逝(ゆ)いた
不思議な闇が
私の魂(たま)を包み初めた。
眠りか? 最終(おはり)か?
そして私には
其れが永い休息(やすみ)とも思はれる。
【河上】
▼
水に散らつく星影が
眞白い花の房と揺(ゆら)ぐ。
Kい水が
低い聲で昔を語りながら過ぎ
私の魂が河の底で啜泣く。
おゝ、晴れ渡る夜!
聲もない微風が
靜かに水面を吹いて行く。
私の白(ざ)めた魂が、
Kい川底ですゝり泣く、………
【銀座の散歩】
▼
華やかな光の波に
淡い夜の影が浮いてゐる。
淡紅の光と、黄色い光と、
亂れ合ひ、絡み合ひ、
見るも不思議な綾を織る
レースの影が浮いて來る。
暗らみ、明るみ、
光の中を、
絶えず流るゝ人の姿。
舗石の上に
降り注ぎ散らばる足の音。
聲と響と、物音と、
往還を織り行く電車の
時折閃めく、
い光!
鋭い林檎の香を吸ひ、
唯一人、唯一人佇みつくす
小(お)暗い柳の樹蔭!
風は淋しい夢を抱(いだ)き、
睡眠(ねむり)の床を尋ねさ迷ふ……。
……… 1910年2月 第9集収載
【BLACK SWAN】
▼
その火の聲から、
惜氣もなく池の面の水蓮の花瓣を啄んで、
お前のKく荒荒しい胸毛を飾れ。
お前の臆病な心の周圍を白い水蓮の花で取り巻け。
白鳥よりも纖やかな頭のほとりに浄い瓔珞の飾りを垂らせ。
そしたらお前の詛はれた姿が少しは美しくなるかも知れない。
此の世の誰かがお前を眞個(ほんたう)に愛して呉れる樣になるかも知れない。
哀れなる水鳥よ、焔を宿す水晶の瞳を揚げて、自分の周圍の樣子を窺へ。
お前の池より遠くない海の邊りは
秋の押が岬より岬の端へと揺らいでゐ
花壇の花も樹立の影も終焉(おはり)に近い光の中に微笑してゐる。
そして總てのものには悲哀の歡びが輝いてゐる。
お前は王者の樣な厳かな頸付をして、
その火の嘴とKい影とを「死」の樣な風にして、
ほのかな水光の中を森の方へと行くが宜い。
K耀を刻んだ二つの水掻で
K蒼い森が驚きの叫びに木堰iこだま)するまで、
ナヤーデの眞白な乳房に寄り添ふまで、
默つた流を掻き亂して行くが宜い。
哀れなる水鳥よ、お前がいかに探したとて、
遲鈍な翅は日の蔭に僅かな装ひすらも探し得まい。
夜明のために白い水蓮すらも集め得まい。
そしてお前を愛して呉れるものはいつもあるまい。
然しお前は悲しむには及ばない。
やがては夏も終るであらう。
樹樹の枝からい木葉が散るであらう。
その時無聲の森の奥深いほとりで、
お前は降り積む落葉の下にお前の魂を埋めるが宜い。――
優しいナヤーデのみが露はな胸を大地に横へて、
お前の死んだ魂を覆ひ隠して呉れるであらう。
お前と共にわびしいひと冬を過して呉れるであらう。
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(註)
■瓔珞(ようらく)=珠玉や貴金属に糸を通して作った装身具
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