細越夏村

ほそごえかそん(1884-1929)

盛岡市生まれ。盛岡中学から壮大英文科卒。「明星」「白百合」に投稿、早大在学中に詩集『靈笛』(1906.2)
を出した。石川啄木の先輩であり、1902年の啄木上京の際にはその宿泊を世話し、また新詩社の会合にも伴っ
た。のち家業に従いながら、第2集『迷へる巡禮の詩集』(1910.1)、第3集『菩提樹の花咲く頃』(1910.5)、第
4集『星過ぎし後』(1910.8)、5集『褐色の花』(1910.11)、第6集『春の楽座』(1911.2)を自費出版。象徴的な
口語詩を試みたりした。/「日本現代詩辞典」より



第2集『迷へる巡禮の詩集』より

【無限の捕握】

何故「日」と云ふものが有る?
「時」よ、背を向けよ、永久に、――闇の背を!
俺は、もう、汝(きさま)の透明な顔には飽きて仕舞た。

人間(ひと)よ、皆な、裏を返せ、――「死」と云ふ暗い靜黙の裏を、
微動だも爲(し)ない裏を!
而(し)て、傲慢な、我儘な「時」の
――虐げる民衆を失ひ果てた暴王のやうに
――唯獨り残つて、呆れ茫ずる状(さま)を遠くから見てやろうでは無いか!

眞に怪絶にして遨大無窮なる不可敗の夫(か)の掌よ!
あゝ、あゝ、「自然」でさへも
其の不思議なる無限の捕握の外に在り得ないとは!

【我れと日と】

「自然」は凡て我が為に在る如き日あり。
「自然」は凡て我れを攻むる如き日あり、
――これらの日、我れ、最(いと)も歡ぶ。

萬象は凡て我れと相伍する如き日あり。
――かゝる日は、我が心常に悶ゆ。

我れも無く天地も無き如き日あり。
――かゝる日に、「美」ぞ凡てなる。


【空白】

奥山のそのかげの野を
いとも靜かに忍び行く夕闇の影を思へ。
その如く、いとも寂しく我が心ひとり彷徨ふ。

あゝ、宇宙――無限の「時」と「ひろがり」。
何者ぞ、この空漠の一點――地の球を
と赤とに飾る!

人間(ひと)よ、眼を放ち、心を解きて、
薄暗きかの空白を見よ。
そこに、汝等(われら)、生を失ひ、また、死を失はん。


第3集『菩提樹の花咲く頃』より

【梟】

「有明の月が黄色く疲れ切つた頃」と、お前は云ふ。
好し。その頃に私は、どす黒く懶弛(だら)けた町を忍び出て、
露に頸垂れた花の岸べに待つて居やう。

お前は、そこに、灰色の薄布(うすぎぬ)を頭から被つて、
幽霊のやうに彷徨ふて來ると云ふ。
――左の乳房の下に、硫黄火のやうな紫の花を挿して。

おゝ、この氣息(いき)の苦しさよ。
早く、お前の胸の其の花を嗅ぎながら、
霧の濃い彼方(むかふ)の森で、
羽毛を撒き散らしながら、
月の磨れ消えるまで啼き續ける梟の黒い歌を聽いて見やう。


【劇場の前】

鎖された劇場の寂しさ。
四十女よ、お前は、その前に立つて、何を思ふて居る?

木戸口の唯一つの球電燈(たまでんき)。
それを見上げて、白粉燒のした女よ、
お前は何を悲んで居る?

檜の舞臺には高フ幕が落ち、
お前の情史には、乾いた牛肉色の幕が落ちたろう。

烏足(クローズフィート)の浮び出た眼の周圍(まわり)。
厚皮の弛みかけた頬の小皺。

女よ、お前は、是から何所へ行く?
――呑み殘した酒盃(さかづき)を探すやうな目付をして。

+------+
(註)
■烏足(クローズフィート)=クローズ=クロウズ=Crow's Feet=カラスの足跡


【足臺】

お前は、欄干に凭れたまゝ、
小さな海のやうな眼付で、
彼方の森の灯影(ほかげ)を見つめて居る。
けれど、お前は、此の橋の裏をすらも考へた事が有るまい。

僕はね、花で絨られた平野に坐つた時でも、
十二階の上に立つた時と等しく、
自分の足の下を思はずには居られない。

私は、常に、何かの上に載つてるのだ、と
云ふ念から離された事がない。
而(そ)して、いつかは屹度(きっと)、
此の足臺の碎ける時が來る、と思ふて、
その時の眞逆状(まつさかさま)に落ちて行く自分が痛快で堪らない。

え?、だつて、君考へて見たまへ、
――僕等の身体は縛られては無いだろう。
けれど、歩かうとすると、
いつでも、みんな奇怪な足臺を履いて動かなければならないじや無いか。


【少女よ】

日の射す壁に凭れて、
花の中から立つ少女よ、
彼方の禿げた丘の上の
雲の影が這ふ砂原を見つめて、
お前は何を考へて居る?

あの砂原に
月の光が薄く漂ふ時、
そして、お前の足元のその花叢が雨に壊(くづ)れた時、
お前は何所かで、この悲しい象徴の意味を
解いて聞かせる日が來るであろう。

けれど、私は、その哀詩を綴り出すお前の
唇を眺めるよりも、
唯獨り、又、此処にさまよふて來て、
落日の光の殘る此の壁に對つて立たう。


【空】

空よ、
春が來て、君は、測られぬ深いになつた時、
その中を、金色に燃える瞳が徐(しづ)かに回る時。
空よ、
君は、涯(はて)しも無く開いた大きな眼となつて、
私を眺め下ろす。

空よ、
夜が來て、幾千の星が、いろいろの氣分と
情緒とで、野や丘や森や湖へ瞬く時、
空よ、
君は、謎と寂寥と恍惚との大いなる胸となつて、
萬象を其の中に抱き秘めて仕舞ふ。

君が悲む時、
白い月が、巣も伴も無く、目的地(あてど)すらも無い旅にさまよひ、
君が憂ふる時、
喀血に塗れた夕日が、喘ぎながら西へ沈んで行く。

あゝ、空よ、
……けれど、君は亡せる事が出來ない。
その永久に存在せねばならぬ運命を、
私は氣の毒に思ふ。


【眼の前】

何故?
地球が其れだろうじや無いか、
――絶え間なく漂ひまわる島とは。

君、だから、大きな事を話し合ふのは、
もう一切止めに爲(し)やう。
大きな事を思ひ初(だ)したら、
僕等は、それを極度まで小さくして考へなければならないんだ。

それよりも、先づ、この微風(そよかぜ)の心地好さは如何(どう)だ。
あの葉の色を見たまへ、
而(し)て、あの幹の間の陽炎の具合をも。
ね、斯う、直ぐ眼の前に、こんな面白いものが無數に有るじやないか。


【雀の死】

雀よ、
お前が死んで、
世界は、今、その所有(もちもの)の一つを失ふた。

花やかな、四月の朝の日光も、
この不愉快な缺陷を蔽ひ得ない。
新たに明いた此の一つの空虚、
この寂しさは、天と地との凡てを越えて漲る。

「生」の去來は、宇宙の最も深い秘密と嚴肅とだ。
お前の死と、伊藤公の其れと、
その間に、孰程(どれほど)の差異(ちがひ)が有ろうぞ。

綿に包まれたお前の小さな死骸、
私は、一國の滅亡に對してよりも、
もつと深い感動を以て、
お前の閉ぢた其の眼に見入らせられる。

+------+
(註)
■缺陷=欠陥の旧字
■伊藤公=伊藤博文(1841-1909)……多分 (^_^;)


第3集『菩提樹の花咲く頃』より ……或る一日の情景……(裕)編

【黎明】

醒めかゝる高フ島。
涸れた砂溝の懶(だる)く開(あ)いた口。

崖から覗く雲。
沖の他々(よそよそ)しさ。

脱衣小屋(ぬぎこや)の根の砂に
半ば沈んだ髪針(ヘーアピン)。
白塗の戸の鍵穴の冷笑。

ホテルの鎧扉のいぎたなさ。
肉の香に萎れた槇の葉。

白み行く日よ、
疲れた濱に何を約する。


【朝】

花に雨けむり、
軒に鳩まどろむ。

若葉の濕めり、
噴水盤の軟かな浮彫。

石に映つる窓掛けの色。
花瓶(はながめ)のかげから細高音(ソプラノ)の囁き。

葉葡萄のアーチ。
化粧室の口笛――幻想曲(フアンタジア)。


【ひる前】

鏡に映る花床(フラワアベツト)。
燕の流れ。

開いた窓に碧い河が膨れ、
枠のかげから白いボートが湧いて行く。

大理石のベンチは若草の反影に薄く彩られ、
そよ風にクローバーの花が輕く頷く。

圓彫(まるほり)の柱脚に零れた白金の飾針(ブローチ)。

長倚子の膨らみにたゆたふヘレオトロープの薫り。
何所かで、夢みるやうに、底を殘したアルトを歌ふ。

+------+
(註)
■ヘレオトロープ=
ヘリオトロープ


【午後】

鳩註F(はとばいろ)の綿雲
枇杷の森から湧き、
臺椽(バルコニー)のヒヤシンス、雨の球に微動(そよ)ぐ。
頸を傾(かし)げた鸚鵡が囀語(うわごと)のやうに「ミス・L(エル)」。

陳列棚凭れて、
水色の小形の信紙(てがみ)
――あの胸の襞と同じ薫りのする――
その最初の一行――ダ・井ンチが云ふた言葉。
私の心は醉ふて悲しく驕る。

後園(うらにわ)で七面鳥の聲。

+------+
(註)
■ダ・井ンチ=ダ・ヴィンチ


【宵】

花咲いた林檎畑に
鮮かな月が登り、
掘割に添ふ並木徑を、
牧場から、牛乳(ちゝ)のバケツを提げて、
白前垂の少女が歌ひながら歸る。

丘には野火が燃え、
河岸には井オリンの旋律。

窓に腰かけて、
草垣の外なる人と
語り合ふ滑らかな聲。

テニス場の隅に立ち蔽ふ
楡の木に凭れてると、
……あゝ、故郷の昔の幼稚園よ!

線香花火の、盥に落つる音も聞える。

+------+
(註)
■井オリン=ヴァイオリン


【夕暮】

高フ堤(どて)の裾に
夕映の潮、暗い杏色のびろうどを延べ、
花の林、丘の白い家。

「醉ひの寂しさ………」
夢に泉の湧くやうに
囁く人よ、君が襟は寛ぎ、
花草に埋もれたゴンドラの舳見つめて、
若き友よ、軟かな肢体(からだ)の重さを我に任せて。

霞に杳(はる)かな川下の吊橋に
アーク燈の紫(あを)い光。
白鳥が温(ぬる)い波に流れて行く。


【夜】

ピアノを挟んで、二人の眼は
最後の一群の出て行く扉口(とぐち)を見つむ。

倚子の根に散つた花束の寂しさ。
門邊(かどべ)には動き出す馬車の音、電車の軋り。

窓の下には月の光く積み、
……君のうら寒い眼の色よ、
互の顔を見越して遥かなる後方(うしろ)に見入る。


【夜半】

温室のアケーシャ、
硝子の屋根に露満ち、
巡り下(た)りた星の疲倦(つかれ)よ。

今見る君が夢を想ふ。
夜半(よは)の幽凄よ、
あゝ、我れ初めて君を恠(あやし)み恐る。

明るい明日よ!――謎の罠!
凍り行く心。
顫(わなゝ)く繊緯。

繪蝋燭の瞬き。
盃に殘つた酒の黒さ。

+------+
(註)
■アケーシャ=
アカシア(Acacia)……多分 (^_^;)


第4集『星過ぎし後』より

【扉】

この狭い扉。
吹き乱れた花むらの後(かげ)の狭い扉。
日ざかりに、私は、そつと此扉を推して、靜かな世界に入る。

この扉の両側には、いつでも、騒宴に疲れたバツカスと、
肉樂に勞(つか)れたヴイナスとが睡つて居る。
これらの覺め易い番人の間を、裾をかかげて忍び通る時、
いかに激しく私の心臓は搏つだろう。

時として、私は鉞(まさかり)を提(ひつさ)げて、
これらの花むらと番人たちとを一氣に斬り裂かうと思ふ。
けれど、扉のかげの靜かな世界から軈(やが)て立ち歸る可き
其の廢園を思ひやると、鉞の柄は、いつしか、私の手を抜け落ちて居る。

あゝ、それでも、その自分を私は怒る事が出來ない。
否、鉞から離れた己が空手を眺めた時、
私は自分の賢さに、われならず微笑まれる。

そして、私は、傍らの鏡に映つた自分の齢(とし)の模様に見入る。
すると、何ものかゞ媚び云ふ――「もつと濃く大(あら)くお染めなさい」と。
その滑らかな聲! 何故か、それは針のやうに私を刺す。


【その跡】

ひと群れの出て行つたあとの、明け放された室に、
熟した女たちの香ひは、毒蕊からのやうな濁つた厚い甘さに殘り、
窓の油ぎつた葉は、白く磨かれた鐵のやうに光る。

地も微風も眩い午前は、蝉の聲に輕く細かく揺られ。

蓋を上げたまゝのオルガンの上には、斜(はす)なりに落ちかけた五線紙。
錦繪の瓶には草花が頸垂れて居る。

絞られたカアテンの膨らみ。
そのほとりに、脚のべた洋犬が、けだるい眼つきして嗅ぐ。


【デイト・パアム】

波斯棗樹(デイト・パアム)。
その實は指に似たと云はれ、それは、
その苗を植ゑた人に見られぬと云ふデイト・パアム。
あゝ、デイト・パアム! それを植ゑる人よ。
われも亦た其の一人だ。

指に似たと云ふ其の實。その指を指す我が心の指!
指よ、お前は餘りに遠くを指す。
けれど、お前の遠い其の指さしは、我が生の唯一の強い舵であり、
それ故に又、わが生存期間(ライフ・ロング)の誇りである。

わが誇りなる其の指よ。
それは丁度、寂しく萬象を見おろす月に似、そして、
わが心は、その月の産んだ白い夜のやうだ。

+------+海棗
(註)
■デイト・パアム=波斯棗樹=波斯=ペルシャ+棗樹=
海棗
  
ナツメヤシ(棕櫚)=英名:Date Palm


第5詩集『褐色の花』より

【轍の跡】

わだちの跡は日に光り、
きャしャに落ちた樺の木の影を通して、
野の涯へ。
秋の花が咲き。

いくたびか雲の影は徑(みち)を横ぎり、
川のやうに絶えず行く「時」の流れと、
悲しき會(あ)ひと別れとを結び解いたろう。

私にも亦た、絶えず、いろいろの心が來たり、
いろいろの心が行く。

ねぇ、わだちの跡よ、
私らは一体何の爲にこんな種々(いろいろ)の事を
味はなけャならないんだろう。
たとへば、あの柳の惱み方などは如何だ。

私は、もう、どうしていゝか解らない。
どうしやうたッて、是が如何ともなりャしないんだ。
あれ、石でさへも、あんな苦しそうな顔をしてるんじゃないか。


【ちらばり】

夕ぐれは一きれの薄い光となり、梨子の木の高い梢に垂れたり。
なにものか、このころ、見えぬ手をもて、ものみなの餘命を尺取りて行く。

我れは幾たびか吐息す、
――ホワイ? 誰か其(そ)を知るべき。

たそがれは何時(いつ)しか滿ち、
野のはてに月は覗き、
ものみなは「フゝム、その次ぎは?」と冷やかに待つ。

その時、右の手と左のそれと何のかゝはりか有る、
足と頭とは互に何ものぞ、
我れはバラバラに解かれた心地す。

我れは、そここゝに散らばり居て、一切をその成り行きに任かせ、
なにものをも裁く事なし。


【葡萄】

假睡(うたたね)から覺めて、女は葡萄の一房を摘みあげた。
やわらかな腕(かひな)の白と、球房の仄かに霞む紫と。
女は、彩濃き夢の曳き殘る瞳を通して、いかに長く、
おのが腕の美しさと葡萄の富とに、もう一度その心を醉はせたろう。
臙脂(べに)の黄に光る唇は映え合ふ程に別れ、
涼しい薫りのK髪は流れて、
枕の刺繍(ぬひ)のむら花を漂はせた。
い疊に、秋の日の光りはしみじみと沁み、
枕の側の洋本の小口の塗金(ギルト)。
隣の室で、樂譜を選りかけた妹が、ピアノの横に頬を見せ、
「ちよいと、……あら、まあ姉さんは又睡ッちゃッたの」。
…… ………………
けふの日も暮れるだろうか。

+------+
(註)
本の小口=本の裁断面(背とちょうど反対側にあるめくる部分)


第6詩集『春の楽座』より

【落花の対話】

花びらA。 私は有明の月の光に慄えて散つた。
花びらB。 私は眞昼の静謐にまどろみながら、いつの間にか落ちて居た。
花びらC。 私は初夜の酔ふたような鐘の呻きの消えて行く後を追ふて来た。
------A。 私は散る間際まで若い狂女の髪に編まれて居た。
----- B。 私は牛の背に乗つて居た。
----- C。 私は或る遊船の紙燈(ちやうちん)の肩に居た。
----- A。 不思議じやないか、そして皆な此の岸の草の間(あはひ)に集つたのだ。
----- B。 君たちは谷の木や堤の樹に生まれたと伝ひ、
      僕は圓(まる)い丘のなだらかな斜面の木に生ひ立つたのだ。
----- C。 僕等はまた此の上てんでに別れるだろうか。
----- A。 俺はもう嫌だ。いつまでも、この星の映る露と抱き合って居たい。
----- B。 それが出来なけャ、俺は何所か遠い静かな寺か社の境内に行つて、
      鳩の軽い足音を聴いて居たい。
----- C。 その時には俺は雨のさらゝゝと降る若い葉柳の下の鋪石(しきいし)で、
      黄色な瓦斯の焔を眺めながら、静かな夜ふけを唯独りでシクゝゝと泣いて見よう。
----- A。 あゝ。谷の暁は静かだつた。
----- B。 けれど、こゝの流れの音は悲しいじやないか。
----- C。 なるならば、この夜が明けねば好い。
----- A。 枯れて落ちる花びらは幸福だ。
----- B。 家で死ぬのだからね。
----- C。 けれど、一番後に死ぬ者は、どんなに辛いか知れャしない。