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堀井梁歩

ほりいりょうほ(1887-1938)

秋田県河辺郡に生まれる。1906年9月、第一高等学校英法科入学、翌年8月退学。1908年、志願
兵として弘前第52連隊に入営、翌年満期除隊。1912年、英国渡航し農村を調査。翌年米国に渡
りミズーリ州立大学農科に入学する。1915年帰国、結婚。農場を経営しながら、詩や評論等を
発表。『土の精』を刊行。1926年『農民新生への道』『大道無学』を出版。1928年、東京へ転
居。1931年、原詩対照『
草の葉』を刊行する。翌年、朝鮮に移住。1935年、『野人ソロー』出
版。1936年、『波斯古詩留盃邪土』を自費出版。同年 脳溢血にて倒れる。1938年1月、『異本
留盃邪土』を自費出版。7月、胃癌判明。9月没す。/『堀井梁歩の面影』(柳澤七郎著)より


『日本農民詩史』 松永伍一著


【天地の抱擁】 あめつちのかいだき

春風は撫で、
春雨は洗ひ、
豊かなる光に、
日の影は長し、

草も、木も、
人も、馬も、
健やかに、若く、
伸びて行く生命(いのち)、

夏の朝は、
赤児の夢より覚めて、
花嫁の瞳の如く滬(うる)ほへり、

若衆はふしどより野良へ、
利鎌を腰に、
洗足で土を、

日の上らぬ間、
露に驕る草、
サンサンと切れ味はよし、
新らしき葉緑の香、

にじみ出る額の汗、
朝風のそよぎ、
田の上に波立ちて、
青嵐流る、

堆かく刈りし草に、
背をつけて空を仰げば、
白雲のちぎれ、
水のやうな月。

  …中略…

粉々と
糠雪がふる

夕べより
風が煽れば舞ひ上り、
フーと雨戸にかすれ行く、

雪に埋るる茅屋から、
ポッチリと夜鍋の明り、

ヒビ切れた手に、母は、
ボド/\のナカリコ縫ひ、
榾くすぶヰロリに、
赤い、小さい児等の足、

まだ宵の口なれど、
往来のけはひだになし、
犬の声もとだへて、
屋根を下ろす雪しぶき。

母語らず、父言はず、
火箸にて灰に物書く、
暗き臥床は怖はし、
天地(あめつち)は雪に埋れんとすなる。

─部分─


【馬鈴薯を掘りつつ】

七月の最中(もなか)
一番除草も過ぎて
田には暫く事なし
いざ畑へ、いもの葉は枯る。

父は副業の如く、母は主業の如く、
弟妹は遊の如く──夏休なり

三本鍬を真向にふりあげて
プッツリと茎の根元
モックリと掘り起せば、
燦爛として土の産める子ら、

未踏の国土。
隠たる宝庫。

児(じ)等は只大きなるのみ拾ひ
母は笑ひつつ小さなるをも棄てず
父はかなたより児等を招けば、
争ふて駈け行く桃太郎の郎等。

白日は照れり、一寸の隈もなく、
収穫の喜は、皆人の額に輝けり。


「堀井梁歩 遺稿」

五ツになる子を煙にして
斎場の前に立った時、一句出た。
  秋晴の、碧に融け行く雲の片

二週間目に病んでゐた十八娘が後を追った。
友達の句、
  白萩に水澄む朝の別れかな

三度目に廿年連れ添った妻を燃す段になってたぢろいだ、
ふと、火は浄めだ、と思った。
浄火々々、よしッ、はね起きてたきつけを投じた。

燃した、燃した、みんな煙だ、
残るものは何もない方がいい、
吹き飛ばせ、大空に、
撒き散らせ、大地に、
残った此身が重荷だ。