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廣海大治

ひろうみだいじ(1910-1960)

本名藤原運。ペンネーム西森輝生、室戸鳴海、廣海大治。高知県高岡郡に生まれた。佐川高等小学校
卒業後、北海道、樺太へ渡り、樺太鉄道関係に勤めるが病気のため帰郷。須崎土木へ勤める。1932年、
田村乙彦、藪田忠夫らと作家同盟高知支部高北地区を組織し、「田園の花」を刊行。詩【章魚人夫】
【暁の製糸工場】などを書く。共青に加入、活動中、コップ
フラクションメンバーとして槙村浩らと
ともに検挙。1935年以降、「文学案内」に【拡大されゆく国道全線】、「詩人」に【サガレンの浮浪
者】【黒い流れ】など一連の
サガレン作品を書いた。1939年、満州へ渡る。1946年引き揚げ途中で妻
子を失う。帰郷後、北海道へ開拓者として渡るが、1960年8月25日、紋別郡滝上町で死去した。
                              /『土佐プロレタリア詩集』より

 

土佐プロレタリア詩集』より

【章魚人夫】

北方の海には氷が張りつめた
食物がなくなった章魚(たこ)は
おのれの足を食いつくした

春四月
まだ雪は南樺太の野を埋めている
人夫(たこ)は前借金二十五円にしばられて
鉄道工事現場へ追い込まれた

へばりついた大雪の残りが消えた
ドロ柳があおい芽をふいた
流氷が去った海岸に鰊が
群来(くき)た
けれど オホーツク嵐は氷の肌の様に寒いや

伐材だ
切取りだ 低地へは土を盛れ
岩石はハッパで砕け
さあ、ツルだスコップだ トロッコだ
ああ此の一夏中 人夫の労働は待ち構えてる

朝は四時から 晩は八時
十六時間の土掘りだ
樺太の夏の日は長過ぎる
カカアとガキの白い唇を思い出さん様に
くたくたになるまで働けか

「逃げるやつはこれだぞ」
棒頭が鉄砲向けやがった
人夫は皆疲れている
俺もお前も
この炎天の下にクタバランが不思議だ

人夫は逃げた
逃げた奴は巡査に捕えられ現場に連れもどされた
ああ昨夜(ヨンベ)一晩中
奴は水浸にされてうなっていた
多分今朝はどっかの沼へ放り込まれただべ
それが人夫への見せしめだ

人夫は死んだ
ゴウゴウうなって走って来る
建設列車に頭蓋骨を粉砕されて
列車の窓から酔っぱらった警察署長と鉄道会社の重役が顔を
 出して怒鳴った
今日上げたバラスは血と肉のごもくだ
お前はそれでも死ねて幸わせだぞ

ああ北
サガレンへ行きたい
三十里の北走りたい
其処には七時間労働の俺達の仲間の祖国があるんだ

病(わずら)っても人夫は現場へ追い出される
今夜も夜工事だ
五百
の電燈の下で
原始林の中で鉄道の枕木を運ぶんだ
これじあ俺が死ぬるかお前が先か

波の荒い夜だった
起ち上った人夫が
人夫部屋に火を点けた
炎々と燃え上る炎の中で
足をぶち折られた棒頭と工事請負者が悲鳴をあげた

――おーいみんなカタマッて行くんだぞう――
人夫は雪崩の様に
激流のように
枕木の上を馳(はし)った

(『田園の花』1932年4月刊2号に発表)


【暁の製糸工場】

十四の時から、私は製糸女工だ
夜明の早い夏の朝でさへ、まだ暗いうちから
眠り足らぬ床を置き出して
そゝくさと、もつれた髪をたばねる私達だ
午前五時
ほえる汽笛にせきたてられて
白い湯気の舞ふ職場へ
バタバタと馳ける私達だ
朝の一仕事に私等は腹をへらし
不味い麦飯と、一杯の味噌汁を立ったまゝ飲み込む
三十分の晝飯時間
ユキ江さんは張ったお乳を出しかけてお茶も飲まずに面会室へ走った
あそこにはあの人の赤ちゃんが待ってゐる

切れた糸をつなぎ乍ら私は考へる
十一時間も働いて
たった二十銭とは情けない
セリプレン罰なんて誰が考へ出した事だらう
さなぎの香ひをかくすために
塗るこの安白粉
日の光を知らぬこの青白い頬にさす、ごまかしの頬紅
それをさへ虚栄心だなどと工場長はいふ
たった一枚の銘仙の着物さへ持たぬ私達がとった絹糸で織った着物を
どんな人達が着飾って歩くのだらう

顔色の悪いヨッちゃんが
湯気にむせてゴホン ゴホン 
たごった
苦しさうなあの人の後に
立って動かない意地悪い見番
ヨッちゃんの家も小作人だ
だから無理しても働かねばならないのだ
暗い電燈の下に
十五人の仲間が眠ってゐる
薄いフトンに顔をうづめて、私は眠れない
私の送る金を待ってゐる父と母
けれど今日もたった五円だ
繭糸(けんし)組合へ入っても繭は安い
百匆三十銭で百姓が生きて行けるか
さう言った父の顔
夜も寝ずにカミソのキズを切ってゐるであらう
お母さん
お金の少いのは、私の罪ぢゃあないのです

さよなら!
ふろしき包をさげたヨッちゃんが
泣いて工場の門を出て行った
あゝ、いつあの人と同じ様に工場を追はれる私達だらうか

三日の閉業も近い朝の事
工場の壁にはられた赤いビラ!
私は胸おどらせて読んだ

  製糸工場の兄弟姉妹の皆さん
  五月一日が近づいた
  弱い私達の団結力を示す
  メーデーが近づいた――

暁の赤い太陽の如く
おどり込んで来る喜び
さうだ! 一人一人では弱い
みんな手をつなぐ時こそ
私達は資本家に勝つ
その時こそ全世界は私達の物だ
立て! 機関場の兄弟、製糸部の、再繰の姉妹達よ
五月一日のメーデーに参加せよ――
あわてふためいた工場長が
どんなに急いではいだとて
私達の胸に焼き付いて消えない団結の文字は
今も私を呼びかける

  五月一日は来る
  弱い私達の強い団結力を
  資本家に示す
  メーデーは近づいた
  製糸工場の皆さん
  みんな手を組んで
  メーデーに参加しよう
  意気高く、しぼられる者「労働者」の旗を立て
  怒りを全世界に巻き起そう

(『田園の花』1932年5月刊3号に発表)


【拡大されゆく国道全線】

   (1)
視野一面 連る山脈の彼方に
朝やけの赤い太陽――
ペダルを力一杯 地下足袋(はだしたび)で踏んづけて
工事場へ走る俺達

爽涼たる朝霧の中に
曲りくねった山峡の白い路
杉と雑木と 山の背の彼方に
見えては かくれ かくれては現われる相棒の姿
俺は呼びかける
――おうい待てよう
――ほーい
山萩の垂れ下った曲路の向う側に
あいつの自転車は消えて
ベルの音とこだまだけが深い谷間に残る
――早う来んと歩が切れるぞう


   (2)
石工は
玄翁(げんのう)を打振り
坑夫は断崖で たった一本のロップに身を任し 岩盤に干草
 を打込む
汗を流してコンクリートを切る奴
愚鈍なたくましい男等は
栗石を運搬し
女達は鼻をふくらし頬を青白めて土をかく
朝から晩まで三六石かきの
俺の人夫賃は七十三銭
一時間六銭で買われ俺等
そっとシャツの破れで鼻をこすって
俺達の汗と
を食って出来下った切取の山肌をにらみつける


   (3)
ピカピカ光る大型のパッカード
砂塵を巻いて俺達の飯に馬糞をかぶせる
県庁と鉄道省の高官(えらいて)の視察だ
昭和×年×月×日限り カッチリ××線国道拡張工事は完成
 しなければならぬ
たった半日も遅れることなく 鉄道省営バスは巨大な車体の
 運転を開始しなければならぬ
だから絶対に正確な工程を以って
いくつかの橋梁が架換せられ
数百ヶ所の曲線が是正される

凸出した山鼻を切り取り 凹曲した谷間を埋立する
十何メートルかの高い石垣は コンクリートをやたらに食い
終日 国道全線二十里に亘って
カーリットが岩盤を破砕する音響が
空気をふるわし続ける
鉄筋コンクリート橋梁の為に
セメントは容赦なく洗バラスを食い
間断なく俺たちにスコップを握らせ
買籠(ばいりょう)を担わせる
橋大工は真曲を振ってわめき セメント運搬トラックのクラ
 クションが怒号し疾走する
追いたて まくしたて 焦る
何か不安な目に見えぬ 動揺は何だ

(『文学案内』1935年11月号に発表)


サガレンの浮浪者】

ただようてくる温(あ)ったかい
三平汁の香(におい)
堪え兼ねて牧草の束に顔を埋める
しのびよる背筋の冷さ
浅い眠りの夢は破れる
ああ! 一杯の飯を食いたい

赤い毛布(ケット)を巻きつけた むくんだ足
寒気は骨の中(しん)まで突き通す
伸び放題の鼻ひげに
呼吸(いき)は霜をたくわえ
鼻孔はきんきんとひからびる

破目板の隙間から躍り込む風
小屋に舞う雪神楽
やがて粉雪はうず高く層を重ねる
辛うじて乾草の小屋に宿り
打ち震え闇の中に聞く
猛けるサガレンの夜の吹雪

凍(しば)れる大地の呻きを聞き
凍傷の指先に
ガンジキの紐結び
北極星の白い光を仰ぎ見た幾夜か
たった一尾の干鱈を盗む為に
野良犬のように漁場の闇に足音忍んだ
沢の百姓のささくれた手から馬鈴薯(ごしょいも)貰い
露命支えた幾日であったか

とど えぞの生え繁る山々
深い熊笹の峯々
背丈より高い蕗の密生する沢の湿地で
****た棒頭の**が嚇し続ける
豊真鉄道工事場で精根枯らして働き倒れる章魚(たこ)人夫

朝霧が山襞に立ちこめる頃
露に光る
虎杖(いたどり)の群落踏み折り現場へ送られ
鶴嘴とスコップと
(もっこう)と
口汚ねえ棒頭の罵声と
びんたと棒に追い捲くられ
星屑戴いて飯場へ戻る裸体(はだか)の章魚人夫

片言の日本語 一言云うた
――ヤボ! 返事ぬかすか生(なま)いうか
棒頭の拳が唸り
へたへたと草の上にへたばった朝鮮人 金
吹きだす二筋の血汐
ぶち折られた前歯
唯 ぎろりと睨み返す
終業(しまい)が他の現場より遅いと云うただけなのだ
流れる鼻血に怯え声挙げて泣きだした少年金の弟

嶽土を掘り崩しトロで運び
山のどてっ腹へ風穴開ける
雲突く橋脚(ピーヤ)の足場組立
縄を結んで丸太つたう瞬間(とき)
ぐらつく頂上(てっぺん)から芋虫の様に転落した仲間
叩きつけられ腹は裂け
おんこの幹に肉片が散らばった
血は倒れた蕗の葉に生臭い斑点を浴せ水溜りにとけた
不様に潰れた肉体が土饅頭と変り果て
雑草の根にからまれ白骨となってしまっても
あいつの肉親は何も知る事は出来ない

シベリア嵐が丸太小屋を揺がし
軒の氷柱が伸びては太り
節くれだっては崩れ落ちる章魚部屋で
白樺(がんび)の根っこいぶらし
若芽と馬鈴薯、塩鱒の汁も食い倦きて
又来る南樺太の四月
兔は残雪の谷間に木の芽立ちをさがし
野地(やち)だもの梢もふくらんだ
雨が雪をとかし夜の寒気に又凍(しば)れるサガレンの春
未だ絞り残した肉体が俺達にはあったのか
古い仲間と欺されて来た新しい章魚と
砂と岩石と土埃と
棒頭の**と

日を追うて枕木(スリッパ)の数はふえ鉄路は伸びた
隧道(トンネル)は骨をしゃぶって口を開け
鉄橋は血をすすって谷を跨いだ
章魚は建設車で奥地へ送られ
土砂を担い崖土を崩し
岩盤砕きトロッコを押し
俺達の足が折れ
腕が千切れ
盲目となり
血へどを吐いて棒頭の**を頭で殴った

毛だらけの腕振り廻し喧嘩する俺の相棒
鶴嘴の利く事が得意で
トロを威張り指で五寸釘曲げて力む
――俺の肋骨(あばら)一枚骨だで弾丸(たま)だて通らぬサ
夜の飯場で胸板ひろげる奴
奴の女房へ着かないだろう手紙書いてやる俺
上りを片っ端から焼酎にしぷんぷん臭い顔すりつける奴だが
バットの一箱そっとくれ
むくれた俺の足をさすり
小廻りの荷駄手伝ってくれた奴


滝の沢口の隧道で
崩土にやられた仲間達の中に
地下足袋片っ方引っ懸けて掘り出されて来た奴
唇は紫に破れ血はへばり
傷だらけの胸にはもう動悸が無い

真夜中の飯場の外で唸き声が聞える
樺太犬が鈍く吠えた
飛丁だぞ!                   >>> 飛丁 = 不明
棒頭達がどたどた崩れ出た
暗闇の中に**が峯を揺った
逃げ送れ窓下に這いつくばった仲間
きれぎれに悲鳴を挙げた
ならならと並べられた逆釘の板莚
疲れ切った俺達の脳髄へ針を突き通す
夜っぴて谷底から聞えてくる呻き
明方の草の上に伸びている
水漬けされた仲間の死骸

豊原と真岡の市街地の空に煙火打ち挙げ
鉄道事務所は日章旗で飾られる
鉄道開通だ 
開通祝賀会
未開の宝庫が開かれた
豪商 請負者 利権政治家 庁と庁鉄の高官達が新線の車窓
 に乾杯する頃
土塊のように投(ほう)り出された章魚人夫
歯車一枚二枚で宗谷海峡は渡れない
サガレンの慌しい秋が去って
季節の風はカムチャッカから
シベリヤから雪と氷をともなった

今更がつがつと残飯を貰い
ぼろマントに逃げ去る体温を止めなければならないのか
何故この積雪の上に循環不順の心臓を破裂させ
人間の脱穀をぶち捨てて仕舞わないのだ

雪は陸と海を覆い
昆布一切れも見えぬ海端
ゴメと烏はひらひらと流氷の上を飛び交い
ぬくもりのない光を反射する太陽
赤ただれた雪盲はまぶしく
水腫れた足を曳ずる

流氷の張りつめた海原の雪に
俺はガンジキの足跡残す
はるかな流氷の下をひたひたと洗う潮
青空を流れゆく白雲
振り返る陸(おか)は低く連り
点接する白樺の裸木
豊真線の雪をけって
俺達の俺達の鉄路に
汽車はひえびえと警笛をひびかす

氷塊の間隙に水音たてるのだ
病み疲れた肉体
ゆらゆらと漂流している俺の肉体
氷下(かんかい)魚は死屍に群り
雪はうず高く覆い
潮は打ち寄せては凝結し
真白い氷の棺となり
潮流に乗せて海峡を北へ葬送するのであろうに

ああだが!
荒み果てた俺の心の隅っこにも
せめぎ切れぬ人の面影
海峡二つの彼方の内地には
齢老いたお母あが居るのだ
俺を此のどん底へ追いつめた生活のきずながあるのだ
今はもう畑一切れもないさびれた故郷の村があるのだ

水平線の果て波浪は輝(きらめ)き
赤々と沈む太陽
焼ける雪 たぎりたつ波
照り返す 波と雲と
落陽と氷流と
とろける赤と金色
生きている!
生きている空と海
陸も海も 天地いっぱい
ああ何にも生きている世界だ

ぼろっ切れを投げ捨てろ
胸を 胸の皮引き剥がして仕舞え
ぐっと胸突きあげてくるもの
そいつが空いっぱい氾濫するのだ
今!
大陸へ沈む太陽
赤い翼馳ってシベリアを越え
ロシアの空に暁の訪れをするのだ

俺は大口開き頬すじ落ちる涙をなめて
せまる思いの胸をはだけ
夕焼の糸をぐっと呑み込む

明日の為に! 此の傷いた身体を曳ずろう
何処までも何時までも曳ずって行こう
ぶたれけられてもしつこく生き伸びてやろう
生きる為に体温をたくわえ
大地の氷の解ける春を待とう
サガレンの赤い夕焼を死んでいった仲間達に代って
生れ変った浮浪者の肉としよう
呻いている 生きている 戦っている
無数の労働者の為に血に変えよう

(『詩人』1936年4月号に発表)


【黒い流れ】

かげろう燃えあがり
野ひばりとびたつ
むせる草のいきれ
蜜蜂は花に群がり
咲きほこる深山勿忘草

山は緑を盛つて南北へ連り
青い空の下 遠い街の屋根
赤い獄舎に降り注ぐ六月の太陽
ツンドラの岸を洗って
ごんごん鳴つてゐる黒い流れ

どろ柳はつんと梢を伸ばし ひたひたと枝は流れに
やぶうぐひすは葉蔭に今日もかん高い
はびこる虎ばさみ踏みしだく
赤い野ばらよ
お前は俺が歌へるとでも云ふのか

落葉松の樹脂香ばしく
さんさんと木の間洩る陽の下に
唯一つ盛り捨てられた土まんぢゆう
墨薄らいだ一本の墓標

顔も青ざめ動悸も騒ぐ
父(とと)よ 俺は今日部落(むら)へ歸されて來た

野面は派手ないろどりに燃えたち
歌を歌ひ香り高い香料を撒き散らして
生々しし記憶のきず口をかくす
半年の冬から解放されたステップよ
俺の肉深く食ひこんだ鎖の跡が見えないのか
耕地にうごめく百姓の納屋に
まだ穀物があると云ふのか

色あせた旗は吹雪に破れ
土くづれる丘の墓場
呼んでも もう叱つてはくれぬ
何時かお前と開墾した高臺に
林檎の花白く散り敷き
父よお前は此處に横はる

這ひつくばつた小屋の屋根の下でも
俺達は長い越年の吹雪も堪へた
お前の懐しい故郷の思ひ出に
焚き火に赤う頬染めて
白壁の夕日に映える内地の村の夢をみた

お前のたくましい太い手が
執念深い笹の根を追ひ
骨つぷしの一つ一つが音を鳴らして
木の根つこ堀り起した
野火は終日原野の空にはじけ
黒煙はひろがりうづ巻いて
野地の雑木を焼き倒した

熊笹で屋根を掩へば雨も漏らない
溝を堀り小路をつけた
やがて黒土はうねうねと擴がり
血の様な
朔北の夕燒に蕎麥の根は紅を増し
子供等はお母の炊いた甘い南瓜に腹ふくらした

水田を掘つたら米が食へるぞ
苗床の水面に月が宿り
蛙ががあ/\と啼きわめき
月影をこわしてしまふだらうよ
俺(おら)は内地の聲の太い蛙(
おんびき)を送らせるんだ

お前の樂しい空想は家中を笑はせたが
お前の背負うてゆく荷駄の重さを忘れてしまつた
田畑とりあげられた故郷の地主を
闇にまぎれて
信玄袋擔ぎ出した夜の事を
お母の背中で赤んぼの俺がわめいてゐた事も

あの夜は蛙が啼いてゐたのか
青い鬼ほうたろが小雨にぬれてゐたのか
北海道へ行くんだぞ
錢を溜めたら人力車で村へ歸るんだ
蛙啼く稲田も俺達のものにしよう

父よ お前のはかない希望の虹に
お前の皮膚はたるみ齒も抜けた
爪はじきされても戀しいふるさとを
追はれ來た北の移住地で
吹雪は幾度小屋を埋め
流れは幾度黒う濁つてあふれたことであつたか
子供等の數も増し 越年の飯米に焦る荒地の小屋に
父よ 渡つて來た霧の津輕がうらめしゆうは無かつたか
むらさきに花咲く亞麻畑が
緑の波を湛へた水田が
あゝ今俺達のものとなつたと云ふのか

   ★

ひゆうひゆうと灰色の空にたけり
銀の針含ませ風は野面に
烏は原野の雪を漁つて群となる
ひときれの腐肉も無いのに 春が遲いのだ
氷雨が降つては耕地にへばりつき
凍土は底から解けてはこない
ガスはオホーツクの海を渡つて漂流する
畑は鋤けない 種も蒔けない

父よ 私は知つてゐた
コンクリートの宮殿の中で
鐵ボールトで飾られた窓枠の部屋に
壁に花咲く霜柱すり消しては
ひらいた田んぼの米が食へないことを
一家集うて皮をむく馬鈴薯の無いことも知つてゐる

あの時 月明りの夜道へ
根雪きしませ馬橇は馳り去るのに
父よ お前は走り出てつまづいたではないか
轉び乍らも充血した瞳は狂はしく息子の姿を
追うたではないか
お前の不孝息子は顔を掩ひ卑怯にも橇の中に身を伏せた

父よ酷薄なお前の息子はかたくなに目を閉ぢる
妹が鉛筆なめなめ書いた便りに耳を塞ぐ
 兄ちやんが連れられて行つて三年
 父(とと)は待つてゐる
 冬から寝てゐる
 行けとは云つてくれぬが私は町へ行く
はき慣れたもんぺ抜ぎ捨て
野良の香の懐かしい頭巾をとり
たつた一枚の晴着の裾をまくり
雪とけのぬかるみを出て行く妹よ 小樽へ――
城塞の庭にも春はめぐり
ぼそりと崩れ落ちる雪の殘骸

父よ お前は臨終に俺を呼んだと
風はひようひようと裸木の梢に叫び
きらきらとまぶしい雪のきらめき
目を閉ぢな
耳を塞ぐな

おかつぱの妹は
コクワ取つてくれと云ふ
熊笹茂る丘の腹に
何と高く蔓は白樺の幹にからんでゐたことか
茨わけ入り滑らかな肌に抱きつく
唇さす甘いコクワはゆらゆらと梢に
たなびく白雲は地草の果に
あゝそれよりも妹の髪に結ばれた一すぢの赤い紐ぎれ
紐ぎれは笹むらの中にちらつき降りて來いと云ふ
危いぞ父が呼んでゐるぞ
俺は降りては行かぬ
この熟れた蔓の實を存分にたたき落すまでは
降りては行かぬ

呼んでゐるのか
泣きだしたのか

妹はコクワの實をどつさり持つてゐる
さうではない骨箱を持つてゐるのだ

赤いリボンのおかつぱは何時の間にか白粉の女になつて
しまつたのだ
泣いてゐたのか
化粧した顔はくづれ瞳は赤い

粉雪が降つてゐる
粉雪は父の頭上にうづ高い
白髪なのだ
月明の夜道に橇が馳る
しやんしやんと鈴が凍る

闇の底へ轉落してゆく
目をつむり胸を抱きしめる
あゝ だが野火が見えるのだ
枯草を呑む赤い舌 地を這うて擴がる黒い煙
煙の中に馳り込み聲擧げて父を呼ぶ

煙は固まりゆらゆらと昇り初める
一すぢの白いけむり
草原の火葬場の煙突から立ち昇る白いけむり

妹よ
夢さめて兄は脛を抱き獄舎の闇にうづくまる
重い冷い鐵扉の外に
月は白々と屋根をぬらし
夜風はポプラの葉裏をちらつかせてゐることだらう
音一つせぬ灰色の壁の中に
サガレンへ渡つて行つたのか
啼き聲かすかに訪づれ空馳けて行つた白鳥の群

風は荒々しく野面を渡り
太陽はさんさんと降り注ぎ
作物腐らすガスを吹き拂ふ
風の中に呼んでもせんない人の名呼ぶな

耕地の果てにちらばつた百姓小屋から
何時かの様な太鼓の音を原つぱにあふれさせ
群をなし鬨を擧げよ
黒い流れの先頭に立つて
あゝ俺は呼ばねばならぬ人人があるではないか

つんどらの岸にあふれてごんごん鳴つてゐる黒い流れ
どろ柳はつんと梢を伸ばし
ひたひたと枝は流れて
やぶ鶯は葉蔭に今日もかん高い
はびこる虎ばさみ踏みしだく
とげだらけの赤い野いばらよ
お前は抜かれても燒かれても
後から/\芽を吹き出す強い草
その眞紅のいろどりの爲に
俺は歌はう あふれる朔北の黒い流れの岸に

(1936.6.23)