詩集『紫』より
【敗荷】
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夕(ゆふべ)不忍の池ゆく
涙おちざらむや
蓮折れて月うすき
長だ亭酒寒し
似ず住の江のあづまや
夢とこしへ甘きに
とこしへと言ふか
わづかひと秋
花もろかりし
人もろかりし
おばしまに倚りて
君伏目がちに
嗚呼何とかいひし
蓮に書ける歌
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(註)
■長だ亭=不忍の池近くの料亭
■おばしま=欄干、手すり
【相思】
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梅といふな
百合といふな
譬喩(たとへ)つめたきに
ただ少女(をとめ)と云へ
このやは手
夕もゆるに
野の羊追はんは
人の鞭なり
さらば君
かぎりありや
はじめありや
恋は我れ想ふ
遂に夫れそぞろ
すくせ問はば
髪みだれたり
きぬ破れたり
人の子のまへ
栄(はえ)ある二人か
巌かげの寒きに
またたく星見て
さは云へどしばし
あゝわりなし
世すてられず
名には盲児(めしひ)
なさけには乞丐児(かたゐ)
もろきいのち
ながきそしり
それも悔いじ
ひそかに誇る
くれなゐの袖かみて
また千とせ説かず
つよくつよき
このふたりが恋
ほそ糸に
何の永久(とは)の音(ね)
春みじかく
琴は裂くるも
あゝ我歌よ激しかれ
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(註)
■すくせ=宿世=前世からの定め
【春思】
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山の湯の気(け)薫(くん)じて
欄(おばしま)に椿(つばき)おつる頻(しき)り
帳(とばり)あげよ
いづこぞ鶯のこゑ
木(こ)の実の酒紫に
うくる手わななくか
さるは盃に口ふれて
酔ふ子の智慧問ふな
粧(けはひ)羞(は)づる朝の星の
それか眼眸(まなざし)たゆげに
見てさし俯(うつぶ)くに
涙そぞろなり
恋とや君
なさけ人間(ひと)に堕ちむ
理想とや君
ことわり地を離る
われおもふ酒の旨(あま)きは
哲人もうべなはむ
許せもゆる手肱(ひぢ)まきて
ただ没我(われか)の二人
また何をかへりみむ
世の末に聖ありや
かの鞭をあげて罵る
みな栴陀羅(せんだら)の子等
如(し)かずわれを知る子に
われを知る子の胸に
わが痩せし額(ぬか)まかせて
わが破格の歌誦(ず)せむ
君さては嬉し
焼刃のこぼれ見て
むしろ剣の功績(いさを)称へ
飄零(うらぶ)れし今日の我を責めず
祖国(くに)に入りて親なき子
掩(おほ)ふとや
いざ倚(よ)らむ
おゝ温(あたたか)き紫の袖
われ受けざらむや
その慰籍(なぐさめ)の千言(ちごと)
疑はずこの地の上
今二人笑みて抱(いだ)く
見よ瑠璃色の靄動きて
ほの白き花の香(か)は何
これ君が謂ふ神秘か
虹うつくしく懸る
ふと見ればあな
真白き翅(つばさ)君生(お)ひたり
と思ふにわれも何時(いつ)か
風に御(ぎよ)して飛ぶ身
+------+
(註)
■欄(おばしま)=欄干、手すり
【残照】
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そぞろなりや
そぞろなりや
夕(ゆふべ)髪みだる
地に霜あり
常住も何んの夢ぞ
人堪へんや
花堪へんや
嗚呼わりなし
水さびしげに竹をめぐり
痛手負ふ子に似て
独り秋を去(い)なんとす
山蓼の茎あらはに
黄ばむ日戸に弱し
人しのばざらんや
西の京の山
【山蓼】
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理想の御親(みおや)力なきに
若き同胞(はらから)倦んじぬ
夕(ゆふべ)二妹(ふたり)の弱手(やはで)とりて
西の山に宿る
笑みて欄に倚るも
姉の髪みだれたり
雲も憂し
水も憂し
いづれは行く秋
涙伏(ふ)せずや
ちひさき人よ
御手ゆるせ
悶えに
狂ひに
一夜(ひとよ)泣かむ
げに夢ぞ
げに幻ぞ
高かりし
清かりし
美しかりし
脆かりし
あゝ今知る
人の子を憎んで
何んの罪ぞ
鞭加ふる者
魔にあらず人なり
芙蓉なまじひ萌ゆる知らず
地に天(あめ)の香(か)恋ひずは
霜に堪へて
秋恨みじを
のがれんや
嗚呼わりなし
秀でしもの
世は皆もろき
何んの才ぞ
冷き形骸(むくろ)抱いて
夕ほこりかに
酒の香を吹く
生命(いのち)なし
恋あらんや
歌あらんや
さらば君
ちひさき人
うつくしき人
飽かなくに
朝別れん
白き芙蓉の心のみは
兄と姉の手の上
とこしへ放たじ
とこしへ忘るな
小霧(さぎり)に山踏みて
別れにひく山蓼
莖くれなゐに
嗚呼何んの恨ぞ
想へ理想の袖寒く
われら毒を仰ぐ夕
生血(いきち)この色流れむ
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