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逸見猶吉

へんみゆうきち(1907-1946)

栃木県生まれ。早大政経学部卒。1920年、東京の暁星中学へ入学。級友と雑誌を発行し、ランボーの「母音」
を翻訳、ル=コルビュジェの論文に触発されて「建築の夢を語る」を書き、チェホフの短篇やメレジュコフ
スキーの四幕悲劇の翻訳など学業そっちのけの語学力の強い中学生だった。卒業後も進学せず、ロシア語、
イタリア語を学びながら 同人雑誌「SCALA VERDA」を創刊。1926年、早大に入学し緒方昇を知る。翌年、個
人詩誌「鴉母」を発刊。
高橋新吉草野心平萩原恭次郎を知る。翌年北海道を旅行し代表作『ウルトラマ
リン』のモティーフを得た。翌年に伊藤信吉編の『学校詩集』に<ウルトラマリン>を発表して詩人として
出発した。1934年 「三田文学」5月号に宮沢賢治について『修羅の人』を寄稿。翌1935年、「
歴程」を創刊。
執筆者に
菱山修三・高橋新吉・尾形亀之助・草野心平・中原中也・宮沢賢治(遺稿)・土方定一がいた。同年
結婚。1939年、勤務先から満州へ単身赴任し現地で詩人活動を続けたが、敗戦翌年に新京(現長春)で肺結核、
栄養失調ため没した。/「日本現代詩辞典」より


【報告(ウルトラマリン第一)】

ソノ時オレハ歩イテヰタ ソノ時
外套ハ枝ニ吊ラレテアツタカ 白樺ノヂツニ白イ
ソレダケガケワシイ 冬ノマン中デ 野ツ原デ
ソレガ如何シタ ソレデ如何シタトオレハ吠エタ

〈血ヲナガス北方 ココイラ グングン 密度ノ深クナル
北方 ドコカラモ離レテ 荒涼タル ウルトラマリンノ底ノ方ヘ――〉

暗クナリ暗クナツテ 黒イ頭巾カラ舌ヲダシテ
ヤタラ 羽搏イテヰル不明ノ顔々 ソレハ目ニ見エナイ狂気カラ転落スル 鴉ト時間ト アトハ
サガレンノ青褪メタ肋骨ト ソノ時 オレハヒドク
凶ヤナ笑ヒデアツタラウ ソシテ 泥炭デアルカ
馬デアルカ 地面ニ掘ツクリ返サレルモノハ 君モシル ワヅカニ一点ノ黒イモノダ
風ニハ沿海州ノ錆ビ蝕サル気配ガツヨク浸ミコンデ 
野ツ原ノ涯ハ監獄ダ 歪ンダ屋根ノ 下ハ重ク 鉄柵ノ海ニホトンド何モ見エナイ
絡ンデル薪ノヤウナ手ト サラニソノ下ノ顔ト 大キナ苦痛ノ割レ目デアツタ
苦痛ニヤラレ ヤガテ霙トナル冷タイ風ニ晒サレテ
アラユル地点カラ標的ニサレタオレダ
アノ強暴ナ羽搏キ ソレガ最後ノ幻覚デアツタラウカ
弾創ハスデニ弾創トシテ生キテユクノカ
オレノ肉体ヲ塗抹スル ソレガ悪徳ノ展望デアツタカ
アア 夢ノイツサイノ後退スル中ニ トホク烽火ノアガル 嬰児ノ天ニアガル
タダヨフ無限ノ反抗ノ中ニ
ソノ時オレハ歩イテヰタ
ソノ時オレハ歯ヲ剥キダシテヰタ
愛情ニカカルコトナク 彌漫スル怖ロシイ痴呆ノ底ニ オレノヤリキレナイ
イツサイノ中ニ オレハ見タ
悪シキ感傷トレイタン無頼ノ生活ヲ
アゴヲシヤクルヒトリノ囚人 ソノオレヲ視ル嗤ヒヲ
スベテ痩セタ肉体ノ影ニ潜ンデルモノ
ツネニサビシイ悪ノ起源ニホカナラヌソレラヲ

〈ドコカラモ離レテ荒涼タル北方ノ顔々 ウルトラマリンノスルドイ目付
ウルトラマリンノ底ノ方ヘ――〉

イカナル真理モ 風物モ ソノ他ナニガ近寄ルモノゾ
今トナツテ オレハ堕チユク海ノ動静ヲ知ルノダ

【兇牙利的(ウルトラマリン第二)】

レイタンナ風ガ渡リ
ミダレタ髪毛ニ苦シク眠ル人ガアリ
シバラク太陽ヲ見ナイ
何処カノ隅デ饒舌ルノハ気配ダケカ
毀ワレタ椅子ヲタタイテ
オレノ充血シタ眼ニイツタイ何ガ残ル
サビシクハナイカ君 君モオレヲ対手ニシナイ
窓カラ見ル野末ニ喚イテル人ガアリ
ソノ人ハ顔ダケニナツテ生キテユキ ハツハ
オレハ不逞々々シクヨゴレタ外套ヲ着テル
酔フタメニ何ガ在ル
暴力ガ在ル 冬ガ在ル 売淫ガ在ル
ミンナ悪シキ絶望ヲ投ゲルモノニ限リ
悪シク呼ビカケルモノニ限リ
アア レイタンナ風ガ渡リ
オレノ肉体ハイマ非常ニ決闘ヲ映シテヰル


【死ト現象(ウルトラマリン第三)】

雲母(キララ)ノ下ノ天末線(スカイライン)
曝サレテヰル骨ノ自暴
ソコニ死ノヤウナモノガアル
ヤミガタイ息ヅマル堅勒ノ胸盤ガアル
 〈硝子ノ翼・硝子ノ血 コノ感情ニナダレコム冬〉
透明ノ底ニ拡ガルモノ 滲ミ入ルモノ
機械ノ一点ニ恒ニレイゼント狙ハレテアルモノ
アア世界ヲ充顛スル非情ノ眼ヨ
君ハ見ルカ 君自身ノ狂遇ヲ蹴落スコトガ出来ルカ
君ノ内部ニ氾濫スルマラリアノ愛 ソレスラモナホ季節ハ残シテユク
ウルトラマリンノ風ガ堕チ
ウルトラマリンノ激シイ熱ノ勃ルトコロ
ヤガテハ燃焼スル
彼処荒茫タル風物ノ奥デ ソノスルドキ怒リニ倒レテアルモノハ何カ
俺ハ感ジル 石炭ノヤウニツライ純潔ヲ ソノ火力ヲ
俺ハ知ル 海豹ノヤウニ歯向フ方角ヲ ソシテ今
冬ハアレラ傷メル河河ニ額ヲヌラシテヰルノダ
北地ノバリバリシタ気圏ノナカ ソノキビシイ肩ヲスベリ
際涯トホク沈ム汽車ノ隅カラ俺ハ遙ルカナ雲ヲ測ロウ

   ★

凄イ暴力ハナイカ
自分ヲ視ルコノ瞬間ハ恐ロシイ
ソレハ苦痛ヨリモ絶体デアル 風ニ靡ヒテ何処ヘ往ク
原因ノアル処ニ生キテ逆転セザル妄想ヲ深メテ生ノ荒々シイ殺倒ノ底ヘ

   ★

タトエナキ抛物線ノ挺転 流レ去ル粗悪ノ地理・停車場
コノ重々シイ空間ニ懸垂スルモノ 充血スル顔ヨ
ナントイフ極度ノ貧困デアラウカ
傾ムク黒イ汽車ノ一隅 ソコニハナンノ夢モナイノダ
俺ハ君ヘ語リカケ 君ハ横ヲ見テ微笑スルバカリデアラウカ
十二月・雲母(キララ)ノ下ノ天末線(スカイライン)鉄ノヤウニソレハ
背ヲ向ケル無表情 天来ノ酷薄


【曝ラサレタ歌】

殷賑タレ
歯モ露ハニ眠ルモノ
死ノヤウニ跨ガル コノ大街道ノ屋根ニ沍(サ)エテ
告ゲルコトナク家ヲ奔リ 告ゲルコトナク奔リユケヨ
精神稀薄ノモノ 憂欝デ扁平ノモノ 情操ナク可憐ノモノ ソノ哀情ノ毒ヲ払ヘヨ
煌メク狂妄ノ全身ニ 足ヲ踏ミ外ストコロ 無辺ノ愚行ヲ拍手サレヨ
イツサイハ其ノ中ニ在ル 経験ト認識ヲ超エテ 彼等ハツネニ饒舌ヲ極メル
大街道ノ屋根ヲ周ツテ 翼ナク飛行スルモノソノ堪ラヌ負荷ヲ投下セヨ
海ハ遮ラレテ一枚ノ紙ノムカフ 激動セヨ オレノ脾腹ニ笑ヒヲ索(モト)メヨ
錆ビ荒レタ鉄ノ橋梁カラ 海燕ノ隕チルソノ飜エル非情ノ態(カタチ)ヲ究メヨ
鉤ニナリ肉体ノ反映(ハエ)ヲ隈ドル 反抗ノ 虚栄ノ 怖ロシキ寡黙ヲ許セヨ
ツラナル大街道ノ諸道具ヲ駆ツテ君ノ飛行ヨ自在ナレ
星ハ還ルデアラウカ星ハ 地平ヲ画ル視野ヲ刪ツテ
時限ノ燃エサカル一瞬ニ燃エヨ
何処ニモナイ君ノヨロコビノ為ニ元原ノ表出 彼ノ大樹ノ裂カレタ幹ニ 君ノ光栄アル胸ヲ飾レ
イノチ有ルモノニ歌ハシメヨ 歯モ露ハニ眠ルモノ
君ノ眼窩ニ千年ヲ飼ヘヨ
アア 吹キ捲ル風ニ撓ンデ 殷賑タレ


【冬ノ吃水】

毟ラレテ防風林
沿河ニ錯落スル鴉共
狙(ウ)タレタ冬ノ街衢カラ獣血ニソマル
ソコノスルドイ傷痕カラ擾然トシテオレト君
杳カ対岸ニ横タフ一沫ノ苛薄ニサヘドキドキスル
鑢ノヤウナ幻覚ノ破片ガ 飛バサレテ来ルデハナイカ
沸キカヘル 岩漿ノニホヒニ噎セテ コノ道ハ忽チ
オレタチノ胸ニマデ切リ墜チテ来ルノダ
サカシマノ防風林 鴉共
擦リキレタ風ヲ孕ンデ 水ニ鎖シテ コノ沍エタ
風物ヲ 一線ノ攪キミダス非望ノ指示ヲ 誰ガ知ラウ
気圏ヲメグル 縦横ノ驕リ ギシギシト凍ル
ウルトラマリン・デイプノ驕リ
兇牙利非情ノマン中ノ誰ダ
喇叭ヲ吹キナラス誰ダ

   ★

奪フバカリノ愛シイ問ヒニ
ナニガ其処カラ君ヲ看ルノカ ツネニ
殺到スルインヘルノ 地上ノ露ハナル無際限
生キルトハ ソレヲ無尽ノ網目ヲ破ツテ 出発スル
出発スルノダ――
曠茫トシテ 立ツトコロ
モノヲ言ハズ 焔硝ノ腮ヲ銜ム冷血ノ末輩
火ノ雑草ノ 飽クナキオレノ額ニココロ触レテ スデニ
夏秋モムザンニ断タレ
天ニ流失スル 夢ナキ季節ノ歌ヲ堰イテハ
ナントイフコノ身ノ激シイ 蹂躙デアラウコトカ

   ★

絶望ニユズルモノ無シ
ヂカノ背後ニ傷ツケル糧ヲ曝シテ
ナホ 生涯ノ迂曲ト離反ニ吹キ荒サブ北北西 罕(マレ)ニハ
気流ノ行方ノミ深ク明滅スル コノ全身ノグルリニ潜ンデ
断崖(キリギシ)ノイザナヒ 渦巻クモノヲオレハ知ル
オオ ハルカ犇メク樹々ノ淵ニ 火ヲ放ツテ
荒々シク捲キアゲテユク地底ノ落暉 ソノ肋(アバラ)
憤ルオレノ頸ニハ渇キ燦トシテ牽カレル 非望ノ一線
冬ノ吃水ガイマ獣血ニ蒙(クラ)ク 暴々ト泡立ツテユクノダ


【檻】

鞭ヲ振ル
岩床ニ蔦葛ノ灼ケテ
目ヲ据エルトコロ 獣ヲ走ラス
日日ノ 年々ノ 身ヲ引キ縛ル騒擾
落葉松(メレーズ)ニ絡ム砂ハ苛立チ オレヲ蹴起ツテ
遠イ気圏ノ底 彼ノ滞流(ヨドミ)ノ悪ニマデ墜チユクノカ

   ★

舌ヲ噛ム日々ニ
吹キサラス髪毛ニ
檻ヲ攀ヂル ソノ檻ノ涯ニ凍リツク 昏イヴイスタ
悲シミノ草々ニ獣ヲ喚ンデ オオ 裂ケマヂル
鉄条ノ裡 自ラノ四肢ニ 噎セカヘル獣血ヲ藉イテ
インザンニ轍ハ深ク 自爆ノカギリヲ募ツテユクノダ
何ヲ待チ構ヘテ 背後ニ不快ナ峡江ヲ負ヒ
何ヲ迎ヘテ フタタビ鞭ヲ自ラニ加ヘヤウカ
イキマク肺腑ニ煙ツテ 蒼ク
何トイフ巻積雲(シロ・キュムラス)ノ崩潰
未ダ背骨ニ沈ム非望ノ歌ニ 冬ヲ眠ラズ
冬ヲ眠ラズ スサマジキ笑ヒノ央ニ 横タハルオレ

   ★

北ノ北カラ北ヘ
地平ヲ屠ル
落葉松(メレーズ)ノ
逆毛ニ瀕シテ アツハ
貴様 虚耗ムゲンノ店晒シ オノレ
眼底ヲ穿ツテ擾レ 太陽コソ恒ニ北ニ在ルノダ


【途上】

ひび割れの
一層むごい凌辱と貪婪の
手にとるこの世のあらひざらひだ
やくざな助材を解きはなつておもふざま
幻象に仕上げるのが日常なら
それに火をつけ
奈落を渫ひ
どのみちおほきく笑へればいいといふものさ
これをしも不誠実だと責めるまへに……
だがいまは言ふな
すべる蠅よ
のさばる光栄のしやつ面(つら)たちよ
生活だと言つたのが愚の骨頂なら
もう何ひとつ文句はつけぬ
この身は暗い百年に触火して乱雑たるあれ――なほ渡つてゆく
歩みは一片の悔いもないが
意地わるくつらく強力に泣いてゐるのだ
風ともない通り魔のしはぶきのやうなやつに折からの
風物が絞めあげられて
ながい間めいめいのおもひは錯落した
すれ違ひざまに光つてきらりと此方を見た眼
なんとあたり前のかなしげな挨拶
あるけあるけと渡つてきたのだ
行きあたるところの無い限り 愛や動乱や死の胆妄に
灼かれる業も
まして尼からのぞいた孤独といふやつ
一時が永遠に木ツ葉微塵の形なしだといふのさ
及びがたい力につらぬかれ
きらりとし錆びいろとなりふき晒されて
それこそどんな暗黒にも閉ぢることはないだらう
別々でありながら身内に燃え燃えながらも離れてゆくといふ
おかしなさういふたぐひの眼だ
せつかく此処まで来たところがこれでは説明がつきかねる
これをしも不誠実だと責めるまへに
だがいまは言ふな
おまへが何を共力しようとするのかそれも知らぬ
おれは世界が何故このやうにおれを報いたかを考へてみるのだ
宇宙犬の夢をもつためには
しばしばその夢からさへ脱がれようとする
だがいぶかしげにおれをうながす
憫みともつかぬだんまりが反つておまへの常套なのか
どうやらそれも怖ろしい眼の裏側を糾問するためのことらしい
がたんと重いぶれーきで停り
わづかな喧騒の後はまたもとの静けさに帰つた
いやおれはこのまゝでいいのだ
辛いやつを口になめては
歌をやるすべもない
左様なら
いちめんの斑雪(はだれ)に煤がながれこんで
黒い車輛の列からはみだしてる
途方もない
陸のつゞきさ


【終駅】

聴カセテクレ
木ツ葉ガ飛ンデル眼ノオク底カラ
黒ノ organ ヲブチ壊ス
凄マジイ君ノ音楽ヲ
流木ノヤウニ刃コボレタ音(ネ)イロガ
ソツポ向イタ君ノ無表情カラ離レルト
ソコカラ ドカドカト冬ガ踏ミコンデクルノダ
季節ハズレナ大扉ノ外デ 雹ニウタレタ signal ニ凭レ
不逞ノ 頽廃シタ terminus ノ人ヨ

ブザマニ棉花ヲ曝ス
酷イ旱魃ノ地角カラダ
ナン百ノ貨車ノ下ヲ
wire ノ痕ト瀝青ヲ背負ツテ 遠ク過ギテキタ己タチ
ワヅカ Cobalt ヲ採ル者ラガ疾(ヤ)ンデ 去ルト
アア ケフモ意味ノナイ雲ノ形カ
車輪ニ凍リツイテ 山々ガ低ク
背後ノダンダラナ茨ノ中ニ溶ケテユク
傷ツイタ野犬ノ群ハ ムカフニ駆ツテイツタラシイ
アイツラ シラフデ 吠エテルノダ
イマ両人(フタリ)ノマン中ヲ流シテ
針金ノヤウナ冷血ガ冱エ
薄レタ網硝子ニ ハジメテ己ヲミル君ノ笑ヒ
足モトカラ沸キタツテクル 時間ノ水イロ
ソノ怖ロシイ水イロデ タイガイ妄想ノ下積ミニナルノダ
生(ナマ)々シイソコラノ 切リ株ヲ跨イデ
己ハ Garshin ヲオモヒ
頬ヲ擦ルト 火ト水イロガ混ザルトイフ
ソノコトダケデ イツパイニナル愛(カナ)シサデハナイカ

聴カセテクレ terminus ノ人ヨ
スルドク氷層ノ露呈スルヤウナ
音モナク裂ケテユク 稲妻ノヤウナ
マタ シダイニ消エテユク 君ノ音楽
木ツ葉ガ飛ンデル君ノ顔 グルツト西ニ偏奇シテ
冬ハ水イロニ光ツテル
ガタガタスル大扉ノ外カラ ナニカ歌フヤウニ
ダガ君ハ ヤガテ倒レテユクバカリダ
雹ニウタレタ signal ガ残リ
黒ノ organ ガソノ側ニ屠ラレテ 凄マジイ
……………………………………


【海の非情】

うねりは深甚な藍青にくろまり
キレの剄い気流のましたを落ちながれ 漂ひ
油然と息をひそめ また一瞬にたかまつて
砕けちり 錯乱する それもあらたに
しづかな凄みの渦を巻きかへし おもひ返して 奈落へと墜ちなだれ うねり
ああ 繰り返しの歯向つてくる無明の表情 これは涯しない肉体だ
この目にみえて 見えるともない怒りこそ永遠の所有から
踏み出す万の手の露はなるつながり
鹹水に裸をさらしていま無尽な夢と格闘の
槍穂の束のぎらぎらに醒め
醒めきれぬまゝに立ち邀(むか)はふとしてゐるが……
うねりはおほまかな足摺りで 灼ける水平から寄せてくる
陸地をむざんに噛んでゐる


【神の犬】

ぎいんとした岩場の空が死んで視るかぎり
燦々たる微塵群の天幕は醒めてゐる
鞴のやうな息吹きに 翳をひく時間のながれ
挑みあふ千の枝々に血を滴たらせ
雪の切々たる抑制に ただ前へ目をおとす
背におふ花の印象と燃えあがる灰の錯乱と――
吠えることを忘れ
ああ ひとりなる神の犬よ
荒々しい夢のかたまりとなつて
いまは燼のやうに動くすべをしらない
身を退いて 忍べよ
眼は鹹水に漬かるべし
剛直の毛並に油をそゝぎ
牙にはそれ伐られざる荒蕪地を横たふべし
耿々たる大理石の粉をあび ひたすら
炎上せる季節のましたに血を整へよ
ふたたび夢をゆりおこせよ
きびしい岩場の大天井にしづかにむげんの闘ひが映る
また恐ろしい時間のながれか
陶酔の歌 風に千切れて


【手】

重い油をさすやうに
つめたく秘密にとり縋るもの
この手はひさしく慄えるペン軸を必死と握つてゐるのだが
苦がいインキは海の気配にそそがれて
やうやく乾いた血いろの底にしづんでゆく
日のひかりはこの手にとどかず
この手は叫ばずおのれに堪へ
沸騰するくらいナヂールの
大回転のしたにある
艱める翳に伏したままさうしてばらばらと頁を繰るのだが
水のいろが鹹くぶきみに漂ひながれて
虫をまいたやうに凶はしい
時をりあの強大なむなしさを孕む幕となつてなだれると
斑らの網に非情の鱶はみえかくれ
翳を払はふとするこの手もやがて見失はれる


【蠅の家族】

しやべり散らすな 愛を
おもひきり胸には水をそそげ
斧は真冬の面(つら)に打ちこまれて其処にを張れば陣々と鳴る
岩乗な鉄拐のうしろに廻つて
つめたい風が煤を吹きまくる季節中
そいつのために諸々の夢の所在が冱えてくるのだ
冬は
はがねの仕組みで
むしろ万人の汚辱のなかにしく立ち
悔いと怒りに充ちた己こそ千切れなければなるまい
離散する蠅の家族ら
道は道のあるかぎり覆され
とほく終駅にえぐられた跨線橋黒だ

己は血ぬれ
移動する雲と樹々と
そそがれる水のあふれ……
冬のが鉄拐の一撃にばりり壊されては
かすかに青みどりの合唱ながれ
胸のなかひとすぢの憂愁は逆毛だつ
たちまち荒々しい光がいり擾れてくるのを
己は身に浴びて目撃する冬だ


【青い図面】

   A

俺が窓をあけると貴様は階段を馳けおりた
太陽は起重機の下でぼろぼろに錆びてしまつた
電流の作用で群集の額はたちまち蒼褪めていつた
意識の内部に赤い盲腸が氾濫した
くづれた街角に走つて貴様は誰かをしきりに呼んだ
俺はあをい図面を手にして窓をかたく閉ぢた

何処かで銃声が一発した

   B

俺が酒場で考へて居ると貴様は鏡をぶちこはした
壁のむかうから太い首が横暴な主張をどなりだした
往来には無数の寝台が獣のやうに流されていつた
俺と貴様は恐ろしい方角に向つて微笑した
並木のはてで無用の情人と別れた影はすでに消えた
ああ 歪める建築の背後にひそむ現実
とほく運河をすべる秋の惨忍な表情を抹殺せよ


【秋の封塞】

俺は手をあげてゐる 彼奴は用意する
市街ははや秋の封塞につめたくも斜傾するよ
あの厖大な鉄の下では電波のやうによろめいて
肋骨だけの男らが貧弱に管をまいてゐる
すべてここに実在するものは海面にまで傾倒し
みづからを刺さうとする陰欝なる堆積に充ちあふれ
造船術は街角に灰緑色の皮膚を噛みくだいてゐる
恐ろしい物質の秘密をかんじ その重量を交換し
生物はほとんど幽霊について喚いてゐる
造花はいちめん舗石の上に血を流し
ああ とほく秋色殺到して

       赤煉瓦
       泥靴
       死

雲は洋紙のやうに巻かれて高く
ひそかに横行するものは高架橋を窺がひ
光線は幾条も運搬され 吠えない犬が稀薄である
錨はすでに溶解され 百万の時計は瀝青に狂つた
 〈なんにも言ふことなんぞあるもんか〉
俺は手をあげてゐる 彼奴は用意する


【眼鏡】

どすぐろい男らがいつさんに馳けてゆき
どすぐろい女らがいつさんに馳けてゆき
自然はいちどに憔悴する
工場は一度に燃えあがる
これはなんといふ兇悪な眼鏡の仕掛けであらう
どすぐろい男らがいつさんに倒れ
どすぐろい女らがいつさんに倒れてゆき
あらゆる眼鏡は屠られてしまつた
あ この悲しめる世界の中黙
遠く嵐ははげしく呼ばれ
この鉄橋はさかんにたゝかれてゐる
どすぐろい倒れゆく者等いつさんに重りあひ
やがて曇天は墜落しよう


【老将】

渺たる陣営のほとりにたてば
にごりたつ瘴気やける霜
肉を剿(た)つみごと山川のうつろひに
せきばくたる内奥の夢も痺びれはてたり
最末人の眷属として積年ひとりこゝに曝らされ
あますなき悲惨の終焉をみ送るわれぞ
おゝ光なら無地とうめい乱射のなか
骨髄といふかの不覊なる情緒に過ぎ来たるわが哀傷の渇きたり
凄涼たる日のあしたにも莞爾として
鞭をなぐればわづかに虚しい影の鳴りひゞき
また捲きあげる黄塵にうたれ
がんとしたはるか山濤のいきづらに打ちむかふ
仰げば昇汞の天の底つねに巨いなる陥穽を愛せり
われの呪ふべきかな
噴火獣の餌食とならばなるも善いかな
いくたびか諸悪奴輩の憂愁に共感せるも
いまにして淋漓たるものをつらぬかんと欲情せり
風に乗る硝煙は風のいやはてに絶えんとして
火の陣営に黒一色の死を混じへ
なにものをもさらに混じえず
かくてもわれに参加するものはあらじ


【哈爾浜】

埠頭(プリスタン)区ペカルナヤ
門牌不詳のあたり秋色深く
石だたみ荒くれてこぼるゝは何の穂尖ぞ
さびたる風雨の柵につらなり
擾々たる世の妄像ら傷つきたれば
なにごとの語るすべなし
巨いなる土地に根生えて罪あらばあれ
万筋なほ欲情のはげしさを切に疾むなり
在るべき故は知らず
我は一切の場所を捉ふるのみ
かくてまた我が砕く酒杯は砕かれんとするや
かかる日を哀憐の額もたげて訴ふる
優しさ著(し)るきいたましき
少女名は
風芝(ふおんず)とよべり
死の黄なるむざんの光なみ打ちて
麺麹つくる人の影なけれどもペカルナヤ
ひとしきり西寄りの風たち騒ぐなり

+------------+
(註)
 ■哈爾浜=
ハルビン


【無題】

おほいなる纜あげて
わが怒りの発たんとするに
いまぞ擾乱のあくなき海はあやしとも
ぼーうおーうの叫びしきりなり
見えわかぬ無垢の道
冬ブルキの雲間にいりて
非情の友は最末の日縊れたり
かかるとき蒼茫の日なかにかくれて
何者かわれにせまらんとすなり


【無題】

醒めがたき虚妄に身をゆだねつゝ
わが飢ゑの深まりゆくを
日はすでに奪はれて
げにあとかたもなき水脈のおそろし
くろがねの冬の砦は手にとらば一片の雲となるべく
手にとらばわが飢ゑも血をなせる灰とならむを
かくてまた
醒めがたき日を享けつがば
なにをもてわが歌のうたはれん


【無題】

夏は爛燦の肉をやぶれど声なく
われは仮相の作者にすぎざるなり
痺れる水もとうめいに炎をひとたび上げたれど
眼に蒼緑のにがき光をうがちなば
あはれ酔ふこともならじ
迅速のつばさはいや涯の杳き渦流に墜ちんとして
肉のうちをつらぬかば擾然たるを
日ごろむなしきことのみを歌ひ
そが夢のおどろしさに狂奔するものの傷ましきかな


【無題】

秋はみづいろにはがねをなせど
わが眼にくらく辰砂の方陣はみだれおち
岩巣にたちくらむ豺のごと
ひさしく激情のやまざるかな
日は無辺にせまりてものみなの隈のふるへか
わが肉は酸敗の草にそまりて滄々としづみゆきたり
しらず いづこに敵のかくるや
風の流れてはげしきなかを
黒 ひかり病む鑿地砲台


【黒竜江のほとりにて】

アムールは凍てり
寂としていまは声なき暗緑の底なり
とほくオノン インゴダの源流はしらず
なにものかげしさのきはみ澱み
止むに止まれぬ感情の牢として黙だせるなり
まこと止むに止まれぬ切なさは
一望の山河いつさいに蔵せり
この日凛烈冬のさなか
ひかり微塵となり
風沈み
滲みとほる天の青さのみわが全身に打ちかかる
ああ指呼の間の彼の枯れたる屋根屋根に
なんぞわがいただける雲のゆかざる
歴史の絶えざる転移のままに
愴然と大河のいとなみ過ぎ来たり
アムールはいま足下に凍てつけり
大いなる
さらに大いなる解氷の時は来れ
我が韃靼の海に春近からん


【人傑地霊】

巻きあげる竜巻を右とみれば
きまつて鬼(クエイ)の仕業と信じ
左に巻き上がる時
これこそ神(シエン)の到来といふ
かかる無辜にして原始なる民度の
その涯のはて
西はゴビより陰山の北を駆つて
つねに移動して止まぬ大流沙がある
それは西南の風に乗つて濛々たる飛砂となり
酷烈にしていつさいの生成に斧をぶちこむ
乾燥亜細亜の一角にきて
彼はこの土地を愛さずにゐられない
目には静かな笑ひを泛べ吃々として物を言ふ
熱すれば太い指先は宙に描がかれ
それはもう造林設計が形の真に迫る時だ
彼は若く充実せる気力にあふれ
喜びも苦しみも
ともに樹々のいのちとあるやうに見える
樹々は彼の幅ひろい胸をとりまき
樹々はみな彼の愛をうけついで向上する
まことに愛は水のやうに滲透する
彼はふり濺ぐはげしい光を浴びながら
さうしてゆつたりと耕地防風林の中に入つてゆく
私は彼とともに人傑地霊を信じる者だ