葉末露子

はずえろし

福島県盤城平生まれ。本名山田肇。東京で長く小石川の植物園に勤めていたという。「青年文」「文
庫」に詩を発表していた。河井酔茗偏『詩美幽韻』には「吾嬬布里」があり、『青海波』には既に一
家をなせる人の作を集めた<青うみ>の章に「野梅集」がのっている。「極めておとなしい人で、大き
い声で物もいはないやうな質である」とその人柄を酔茗はいう。七五定型を主調とした典雅な抒情詩
を書いた。/「日本現代詩辞典」より


『詩美幽韻』より「吾嬬布里」

【隅田川】


そよと眉吹く春風に
 櫻ちりかふあけぼのを、
  野暮はさめざれ隅田川。
みやこ鳥浮く花のかげ、
 あれよ嚊衆と二人して、
  ひとつ櫓をおす川瀬舟。


【宵暗】

ふなべり洗ふ川浪に、
 火影ゆらめく吾妻橋。
月まだ出でぬ宵暗を、
 竹屋棹さすわたし舟。
ふりさけ仰ぐ涼しさに、
 たもとぬらしぬ天の川。


【江戸の水】

さらりとけづる黒かみに、
 よこぐしさせる水淺黄。
眉あと匂ふ顔ばせや、
 なにを思案の長煙管。

思ひかへして黒繻子の、
 そらどけなほす薄袷。
口紅あさくおしろいを、
 洗ひすてたる江戸の水。


【わが罪】

み山に入らむ身ならねば、
 世に交はらむその爲に、
  おもひ立ちしを旅衣。
ゆるさせ給へ父上よ、
 ゆくての塵にたえやらで、
  空しく吾は歸るなり。


【秋の夜】

ながめ淋しき秋の夜の、
 月より落つる笛のこゑ、
  心な(き)身もさそはれて、
   おもひを吹くか里の子よ。


【少女】

けふりを誘ふそよ風に、
 柳のあたり暮れそめて、
  青草しげる岸のべの、
   春しづかなるいさゝ川。
里にすぐれし手弱女の、
 裏のまがきに咲く桃の、
  深きにほひも移ろひて、
   水の音ほそく流れゆく。


【幼兒】

くすし浮世をつくりなす、
 造化のみ手は放れても、
  まだ世に染まぬ幼兒の、
   こゝろは神も愛みてか。
ものうちいふも幼くて、
 優しき髪をかいなづる、
  母の胸乳によりそふを、
   塵にけがるゝ罪ありや。
桃色なせるうす絹に、
 情をつゝむ頬のにほひ、
  そひねの母の影ならで、
   夢みる夢もなからんに。


【もとの光】

ものゝ光も色もなき、
 世は常闇の世なりせば、
  闇のまぎれに踏み迷ふ、
   こゝろの闇はなかるらむ。
人の垣根を打こゆる、
 罪のやみぢも行かざらむ、
  「我」と「人」とを異にみる、
   惡の闇路も行かざらむ。
あはれ古ありきてふ、
 あめの石屋戸さしたてゝ、
  人のこゝろの闇をしも、
   もとの光りにかへしなば。


まこと

人てふ人にいとはれて、
 なほ寄りすがる蠅もあり、
  人てふ人にめでられて、
   なほにげまどふ蝶もあり。
よしや姿はみにくきも、
 寄りくる蠅を迎へんか、
  いかに姿はやさしきも、
   つれなき蝶をみすてんか。
心をとりて姿をば、
 すてんとすれど捨てかぬる、
  こゝろぞ人のまことなる。


【山又山】

遠くのぞみし山々を、
 ふりかへりつゝふるさとも、
  近かりけりと越えくれば、
   またもつらなる山幾重。


【旅路】

しばし旅路のわかれより、
 はじめて知りし吾おもひ、
  いとけなきより隔てなく、
  むつび語りし君をなど、
   思はざりけむ今日までも。


【玉手箱】

げにおもしろき玉手箱、
 與へし人もおもしろし、
  開きし人もおねしろし。
與へざりせばいつの世に、
 さとりの箱を開くべき。
三百年のたのしみも、
 覺ればたゞの夢なりき、
  とこよの國も人の世も、
   悟ればともに一なりき。
開かざりせばいつの世に、
 迷ひの雲をはらすべき。
開きし人もおもしろし、
 與へし人もおもしろし、
  げにおもしろき玉手箱。


『青海波』より

【笛ふき】


櫻はなちるおぼろ夜の
月に背くる編笠あはれ

あれうら若き笛ふきが
市にしらぶる肩痩せて

清みてかなしき歌口に
籠る恨もきく人なしに

あはれ男子(ますらを)たびにねて
いつを夢路の果としる

こよひわが聽く縁には
歌へ一ふし心なぐさに

袖にはなちる花のかげ
いでうらわかき戀の曲