『思ひ出』より
【序詩】
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思ひ出は首すぢの赤い螢の
午後(ひるすぎ)のおぼつかない触覚(てざはり)のやうに、
ふうわりと青みを帯びた
光とも見えぬ光?
あるひはほのかな穀物の花か、
落穂ひろひの小唄か、
暖かい酒倉の南で、
ひき毟しる鳩の毛の白いほめき?
音色ならば笛の類(るい)、
蟾蜍(ひきがえる)の啼く
医者の薬のなつかしい晩、
薄らあかりに吹いてるハーモニカ。
匂ならば天鵝絨(びろうど)、
骨牌(かるた)の女王(クイン)の眼、
道化(どうげ)たピエローの面(かほ)の
なにかしらさみしい感じ。
放埓の日のやうにつらからず、
熱病のあかるい痛みもないやうで、
それでゐて暮春のやうにやはらかい
思ひ出か、だゞし、わが秋の中古伝説(レヂエンド)?
【黒い小猫】
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ちゆうまえんだの百合の花、
その花赤く、根はにがし。
ちゆうまえんだに来てみれば
豌豆のつる逕(みち)に匍ひ、
黒い小猫の金茶の眼
鬼百合の根に昼光る。
べんがら染めか、血のいろか、
鹿子まだらの花弁(はなびら)は裂けてしづかに傾きぬ。
裂けてしずかに輝ける褐(くり)の花粉の眩ゆさに、
人の秘密を知るとてや
よその女のぢつと見し昨(きそ)の眼つきか、金茶の眼、
なにか凝視むる、金茶の眼。
黒い小猫の爪はまた
鋭く土をかきむしる。
百合の疲れし球根のその生じろさ、薄苦さ、
掻きさがしつつ、戯れつつ、
後退りつつ、をののきつつ、
なにか探せる、金茶の眼。
そつと堕胎したあかんぼの蒼い頭か、金茶の眼、
ある日、あるとき、ある人が生埋にした私生児(みそかご)の、
その児さがすや、金茶の眼、
百合の根かたをよく見れば
燐は湿りてつき纏ひ、
球のあたまは曝されて爪に掻かれて日に光る。
なにか恐つつ、金茶の眼。
ちゆうまえんだの百合の花、
その花赤く、根はにがし。
ちゆうまえんだに来てみれば
なにがをかしき、きよときよとと。
心痴(し)れたるふところ手、半ば禿げたるわが叔父の
歩むともなき独言、ひとり終日(ひねもす)、畑をあちこち。
註。ちゆうまえんだ。わが家の菜園の名なり。
【穀倉のほめき】
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思ひ出は穀倉の挽臼の上に
ぼんやりと置きわすれたる蝋燭の火か、
黄いろなる蝋燭の火は
苅麦と七面鳥の卵とに陰影(かげ)をあたへ、
悪戯者の二十日鼠にうちわななく。
柔かに泣く声は物忘れゆく女のごとく、
薄あかりする空窓の硝子より、
ふけゆく夜のもののねをやかなしむ。………
黄いろなる蝋燭のちろちろ火。
いまだに大人びぬTONKA JOHN のこころは
かの穀物の花にかくれんぼの友をさがし、
暖かにのこりたる祭のお囃子にききふける…………
さみしき曙の見えて
顔青き乞食らのさし覗かぬほどぞ、
しづやかに燃え尽きむ
美くしき蝋燭のその涙、…………
註。Tonka John 大きい方の坊つちやん、弟と比較していふ、柳河語。
殆どわが幼年時代の固有名詞として用ゐられたるものなり。
人々はまた弟の方をTinka Johnと呼びならはしぬ。阿蘭陀訛?
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(註)
■柳河語=柳川(白秋の故郷)の方言
【接吻】
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臭のふかき女きて
身体も熱くすりよりぬ。
そのときそばの車百合
赤く逆上(のぼ)せて、きらきらと
蜻蛉動かず風吹かず。
後退(あとし)ざりつつ恐るれば
汗ばみし手はまた強く
つと抱きあげて接吻けぬ。
くるしさ、つらさ、なつかしさ、
草は萎れて、きりぎりす
暑き夕日にはねかへる。
【青いとんぼ】
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青いとんぼの眼をみれば
緑の、銀の、エメロード。
青いとんぼの薄き翅
燈心草(とうしんさう)の穂に光る。
青いとんぼの飛びゆくは
魔法つかひの手練(てだれ)かな。
青いとんぼを捕ふれば
女役者の肌ざはり。
青いとんぼの綺麗さは
手に触るすら恐ろしく、
青いとんぼの落つきは
眼にねたきまで憎々し。
青いとんぼをきりきりと
夏の雪駄で踏みつぶす。
【夜】
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夜は黒……銀箔の裏面(うら)の黒。
滑らかな潟海(がたうみ)の黒、
さうして芝居の下幕(さげまく)の黒、
幽霊の髪の黒。
夜は黒……ぬるぬると蛇(くちなは)の目が光り、
おはぐろの臭のいやらしく、
千金丹(せんきんたん)の鞄がうろつき
黒猫がふはりとあるく……夜は黒。
夜は黒……おそろしい、忍びやかな盗人の黒、
定九郎の蛇目傘、
誰だか頸すぢに触るやうな、
力のない死螢の翅のやうな。
夜は黒……時計の数字の奇異(ふしぎ)な黒。
血汐のしたたる
生じろい鋏を持つて
生胆取(いきぎもとり)のさしのぞく夜。
夜は黒……瞑(つぶ)つても瞑つても、
青い赤い無数の霊(たましひ)の落ちかかる夜、
耳鳴の底知れぬ夜、
暗い夜、
ひとりぼつちの夜、
夜……夜……夜……
【怪しき思】
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われは探しぬ、色黒き天鵞絨(びらうど)の蝶、
日ごと夜ごとに針(ピン)を執り、テレビンを執り、
かくて殺しぬ、突き刺しぬ、ちぎり、なすりぬ。
鬼百合の赤き花粉を嗅ぐときは
ひとり呪ひぬ、引き裂きぬ、噛みぬ、にじりぬ
金文字の古き洋書の鞣皮(なめしがは)
ああ、それすらも黒猫に爪をかかしつ。
われは愛しぬ、くるしみぬ……顫へ、おそれぬ。
怪しさは蝋のほのほの泣くごとく、
青き蝮のふたつなき触覚のごと、
われとわが身をひきつつみ、かつ、かきむしる。
美くしき少年のえもわかぬ性の憂欝。
『水墨集』より
【雪に立つ竹】
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聖(きよ)らかな白い一面の雪、その雪にも
平らな幅のかげりがある。
幽(かす)かな緑とも、また、紫ともつかぬ、
なんたるつめたい明りか。
竹はその雪の面に立ち、
ひとつひとつ立つ。
まっすぐなそれらの幹、
露(あら)わな間隔の透かし画(え)。
実にこまかな枯葉であるが、
それにも明日の芽立がある。
影する雲の藍ねずみにも
ああ、豆ほどの白金(プラチナ)の太陽。
こうした午後にこそ閑けさはあれ、
光と影とのいい調和が、
湿って、そうして安らかな慰めが、
おのずからな早春の息づかいが。
聖らかな白い一面の雪、その雪にも
平らな幅のかげりがある。
雪に立つひとつひとつの竹、
それにも緑の反射がある。
【竹林の七賢】
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さても黄色い円月である。
さても閑雅な竹林である。
七人(ななたり)の賢い人、風月の友、
この幽人たちの面持、姿、
その清らかさはかぎりもないが、
あまりに世の中からかけ離れた、
それゆゑの月の出が、
明るい間近な光である。
ああ、いま、せせらぐものに
何かのたよりがきこえさうだ。
さてもこの良夜に
言葉を失くした
ひとつひとつの霊(たましひ)である。
近いやうでもまた
遠い銀と紫の世界の中である。
【雪後】
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安らかな雪の明かりではないか、
ようも晴れた蒼穹(あおぞら)である。
ほう、なんといふかはいらしさだ、
あの白い綿帽子をいただいた一つ一つの墓石は。
樋の上の雀よ、あの隣の閑けさをご覧、
海近いあの丘の陽だまりに、早や、
栗も梅も雪をふかぶかとかむったまま、
しかも耀く縁から雫してゐる。
なんだかいい知らせでも来そうな気がする。
かうした眺めの朝は、
藍紫に凪ぎ沈んだ海、あの遠くに
正しい潮の調律もととのってきた。
安らかだ、まことによう晴れた空だ。
ほら、山鳩が来た、何の木か揺すってゐる。
雀よ、さあ出て揺すったがよい。
幽かな雪煙ならかへって親しい。
すべては耀いてゐる、
よい歓びにある。
すべては単純だ、雪と光だ。-----
幼い木魚が鳴りはじめた。
【落葉松】
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一
からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。
二
からまつの林を出でて、
からまつの林に入りぬ。
からまつの林に入りて、
また細く道はつづけり。
三
からまつの林の奥も
わが通る道はありけり。
霧雨のかかる道なり。
山風の通ふ道なり。
四
からまつの林の道は
われのみか、ひともかよひぬ。
ほそぼそと通ふ道なり。
さびさびといそぐ道なり。
五
からまつの林を過ぎて、
ゆゑしらず歩みひそめつ。
からまつはさびしかりけり、
からまつとささやきにけり。
六
からまつの林を出でて、
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
からまつのまたそのうへに。
七
からまつの林の雨は
さびしけどいよよしづけし。
かんこ鳥鳴けるのみなる。
からまつの濡るるのみなる。
八
世の中よ、あはれなりけり。
常なけどうれしかりけり。
山川に山がはの音、
からまつにからまつのかぜ。
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