江渡狄嶺

えとてきれい(1880-1944)

青森県三戸郡に生まれる。1896年、東京の尋常中学に編入。陽明学、老荘、内村鑑三らを読む。
1898年、仙台の高校大学予科入学。聖書を耽読、やがてトルストイに傾く。1900年、トルスト
イに心酔する。1902年、内村鑑三やクロポトキンを読む。1905年結婚。1907年、
暁烏敏を知る。
1908年受洗。1911年「百姓愛道場」を開く。1922年『或る百姓の家』出版。1924年『土と心と
を耕しつゝ』出版。この頃「場」の思想の着想に入る。1927年、
堀井梁歩と共に朝鮮・満州各
地を旅行。1936年『居田吟行集』発行。1944年2月 静岡県修善寺の小庵で「場論」の完成に精
進。12月、腸捻転のため急逝。没後、1958年に『場の研究』(山川時郎編)、1979年に『
江渡
狄嶺選集』が刊行される/『江渡狄嶺選集』より


『江渡狄嶺選集』より


【自然法爾の唄】

色気づき
花春雨になやみつゝ
やがてぞ風に散るさとり
  ナヤメよ ナヤメ
  ウントコサ

    ◇

のまぬときには南無阿弥陀
のんだときにはのむ阿弥陀
のんでものまぬもかはりはない
阿弥陀かはらぬかはらぬ阿弥陀
  ナムマンダア ノムマイゾ
  ノムマンダア ナンバイゾ
  ねむあみだア ねむあみだア

    ◇

割り切れぬ
円の数をば
割り切ると
ことはりすぎての
棒ちぎり
見んごと今度は
割り切つた
円い顔を
割り切つた
互ひの頭を
割り切つた

    ◇

あつたぞ あつたぞ
ぬしが尋ぬの財布のヒモは
そうらおぬしの
ふところに

    ◇

野暮で苦労を
知らない学者
チヨツト聞かせよか
学の粋

    ◇

嫁にやりたや
婿どのほしや
なかうど詮議は
方法論

    ◇

ぬしとわたしは
相たい仲の
好いた心は
価値の論

人の目もあれア
見合ひもせねば
ならぬ作法は
認識論

なんぢやかぢやとは
いふても一つ
親の心は
実在論

縁は異なもの
世は乙なもの
なるかならぬは
流転論

それもこれらも
うはべの沙汰よ
かしらとうから
見性成仏

学といふのは
たゞこのむすび
諸法実相
通の学

【わが述懐】

正しき道を求めつゝ
正しき道をたがへたる
場を知らざりしわが爾前
その悔恨を誰か知る

その悔恨のいけにゐを
爾後の地涌せるいのちもて
人にや懴せん天に謝す
わがまことをば誰か知る

過ぎにし日の鞭切々と
身を打つ今を胸に耐へ
只だ場の顕正を破邪として
後来んたまに報ゐなむ


【路石】

たくみの捨てゝ顧みぬ
石もまたよし愚か世の
おや石たらむたらぬをば
人と神との御意のまに


【農乗阿爺】

高く高くいや高く
高きをきはめつくして来て
今日もひろ野に大空を
眺めくらさむ草の屋に

夏の田のもになくかはづ
夜の小川を飛ぶほたる
ひと日のわざも終へ了へて
仰げば月も涼しけれ

春は曙夏は夜
秋は夕暮冬は雪
まことなるかな天地の
見色聞色おかしけれ

来るや風の如くにて
去るや落葉の如くにも
空飛ぶ鳥の迹もなく
生きて行かばや死なまほし


【わが顔】

身の苦しみも厭ふまじ
心のなやみもわれ避けず
神よ前人未到の野
拓くわがみち遂げさせ給へ

道ははるけく暮近し
友よわれ今たふれなば
かばねふみ越へひたすらに
行けや虚空のつくるまで


【別離】

別れの雨も悪からず
日本晴れも亦善けれ
よしとあしとも思はねば
いつもいつもの天気だね

いかなる時にもほがらかに
一生一切愚痴いはず
のぼる朝日の海空の
如くももたむ心かな