江口章子
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えぐちあやこ(1887-1946)
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| 大分県西国東郡(現杵築市)生まれ。1904年、大分県立第一高等女学校入学。1906年、女学校で見合い をして結婚。大分市に新居。1912年、夫の不行跡に悩み出奔、平塚らいてうを頼る。後に北原白秋を知 る。1913年、三浦三崎に白秋をたずね、城ヶ島へ同行。『城ヶ島の雨』はその時に作詩される。章子、 出奔の詫を入れ夫の元に帰る。1915年、協議離婚。単身上京し「青鞜社」の仕事をする。翌年白秋と同 居。1918年、「新潮」に『妻の観たる北原白秋』を書く。この頃から章子の文芸活動が活発になる。19 19年、北原白秋と婚姻届出。1920年、白秋の『雀の生活』の跋文を書く。「木菟の家」の新館建築に尽 力。5月に白秋と離婚。別府に帰り「銅御殿」(あかがねごてん)に柳原白蓮をたずね、少時そこに住む。 1921年、京都大徳寺に入る。1923年、一休寺住職と再婚し京都に移るが家を出て上京。関東大震災にあ う。1927年、中村戒仙と同居。1928年、詩文集『女人山居』出版。1930年5月 死の約束をしていた生田 春月が瀬戸内海で投身自殺、悲歎にくれる。10月、中村戒仙と婚姻届出。この頃から神経を病む。1931 年、発病。京大精神科に入院し退院。1933年、法要時に裸身で座禅をくむ。入院。1934年、詩集『追分 の心』出版。1937年、脳溢血で半身不随となる。1938年、中村戒仙と離婚。1939年、卜部鉄心と同居。 以降、脳溢血を繰り返し、1946年、脳軟化症で永眠。 /『城ヶ島の雨』(末永文子著)より |
『城ヶ島の雨』より
| 【港のわかれ】 ▼ かはい男のためじゃとて 遠いはてしの海にやる わたしゃ泣かねど雁がなく 門司の港の雁がなく リンゴのやうな灯がついた あれ見よと君は指さす リンゴやリンゴ赤いリンゴや ゆく君がもゆる瞳が バナナ売る店もとざせば 桟橋の秋の夜ふけに 客ひきの厚司(アツシ)の衿もしめるか わが白き麻のハンカチ 『追分の心』 【ふるさと】 【芳春院の春】 【ほとけあそび】 『追分の心』 【丘の春】 『追分の心』 【夕月】 『追分の心』 【二月の東京で】 『追分の心』 【われはいづこに】 『追分の心』 【白魚のなげき】 【むらさき】 |