【冬日感懷】
▼
冬の陽のたゞしきこゝろ
縁淵に出てわれは思ひぬ
思ひわび靜かに生ける
この金魚あかきがまゝに
夏を越し秋を過せし
この魚の默せるこゝろ
遠き日のいよよ遠くに
遠きやま涙たれたり
陽のひかり松の梢は
疎らにて風は通れり
なべてみな著きものなく
陽はたゞにたゞに堪へたり
冬の陽のたゞしきこゞろ
縁に出てわれは思ひぬ
【河の上】
▼
O Melodien uber mir (Holderlin)
一
河の上 空の上
いづれ秋とは言ひながら
わたしは知つてゐる
數々の僞瞞や不幸や陶醉や
自分を愛撫した泪や ちよつとした幸福や
――わたしの過去の思ひ出が
苦にもならず藥にもならず
氣流のやうに生き殘り
やがては石となるのだと……
それがとんだ愛情を起させて
歌つてみようとするのだが
不思議にわたしは無器用だ
何故かわたしには
愛情は開いた扇のやうに滑稽にみえる
歌はそらぞらしく
空は皺くちやなわらひを噛みしめて
ふとわたしは思ふのだ
人の情といふものは
人間の無器用がくつゝけた臺詞さと
二
それがわたしの己惚なのやら
それがわたしの祈りなのやら
たゞかうして眺める河の流れはおかしい程だ
ザワザワザワと
いつまでもさりげなく
そのくせ表情たつぷりで
流れ流れ流れ落ち
流れゆく河
河は秋
秋の光は巫女に似て
河原の石に匂ひもなく
この魅惑には憶えがあるやうな氣もするが
眞晝のやうにもの懶くて
何でも與へたい氣がふと起り
耳傾けると
遥かに はるかに
あゝ 風の奥 雲の色
わたしは河の心を知つてゐると思ふんだが……
三
それがわたしの己惚なのやら
それがわたしの祈りなのやら
たゞ意味もなく苦笑を浮べ
すくすく生えた蘆の葉よ
わたしは懷中人知れず両手をにぎり
その暖かさにほつとするのだが
それがわたしをどぎまぎさせ
やがてわたしは思ふのだ
こんな秘密な惡徳があると
たゞ藝もなく苦笑を浮べ
………………
目をつむれば
あゝ澤山な鹿の群が
次から次へと
脚をあげて
あの中へ躍り込む……
わたしはたゞ藝もなく苦笑を浮べ
四
思へば善だの惡だのと
この世の陥穿(わな)についはまつては來たが
みんなみんな蒸發して
今では殘つたのは たゞ
意味もない情もない
水のやうな記憶だけさ
何故だかわたしに判らない
人の心といふものは
いやいやわたしの心がさ
時にえも言はれぬ暗い風
河のおもてを通り過ぎ
やがては河の水となつて
あゝ わたしも眠りたい
石のやうに眠りたいと思ふ
だが何故かわたしは強ひられる
惚けたる眼をみひらき
ランプのやうに醒めてゐることを
何故かわたしに判らない が
まるいこの世は人情ぽくないよ
わたしは腕を組んで
さて
…………
見渡す山も林も畑も丘も
やがては……
合掌するに違ひないと思ふ
+------
(註)
■O Melodien uber mir(独)=Oh Melody over me(英)
【朝の歌】
▼
―田中克己に―
春のひかりが膳に來る
まちの響きは水のやうだ
――私は再び故郷から歸つてきた
空に向いて木蓮の花が咲き……
舊い山河は優しすぎた
舊い人達は貧しくて和かすぎた
樹の蔭もない廣いひろい草原や
キラキラする山の頂きや
不思議に眞白な大きい石や
その上にまだ愛されるのは辛かつた
菊の花のやうにとりかこまれ
(故郷には孤獨がない!)
舊い山河は優しすぎた
舊い人達は貧しくて和かすぎた
――私は再び故郷から歸つてきた
何にもならぬ秘密をさも大切さうに
人のなさけが苦がかなしくて
ただ逃げるほか手がなかつた
(故郷には孤獨がない!)
そして私は愛されるのには馴れてゐない
春のひかりが膳にくる
まちの響は水のやうだ
――私は再び故郷から歸つてきた
空に向いて木蓮の花が咲き……
|