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有島武郎

ありしまたけお(1878-1923)

東京生まれ。有島生馬、里見クの実兄にあたる。札幌農学校卒業。同校出身の先輩で詩人としても著名な
内村鑑三の影響を受けた。1903年に渡米してから文学に耽り、思想的には社会主義や唯物史観に近づき、
帰国後、弟や武者小路実篤、志賀直哉、長與善郎等の「白樺」創刊に際し同人に加わった。後にプロレタ
リア文学の提唱や財産放棄の宣言を行ったりしたが、やがて愛人波多野秋子と軽井沢に情死した。動揺に
満ちた彼の生涯には過渡的な近代日本の知識人としての苦悩が如実にあらわれている。彼の文学の主な仕
事は散文の領域で行われたが、詩の方面における功績としてはホイットマンの詩集『草の葉』の翻訳が特
に有名である。/「
日本詩人全集 第五巻」より

『有島武郎の詩と試論』 富野光男著(朝文社)より


essay 【詩への逸脱】

私は嘗て詩を音楽に次ぐ最高位の芸術表現と云つたことがあつた。
凡ての芸術は表現だ。表現の焦点は象徴に於て極まる。象徴とは表現の発火点だ。表現が人間の覚官に依拠して訴へ、
理智に即迫して訴へようとするもどかしさを忍び得なくなつた時、已むを得ず赴くところの殿堂が即ち象徴だ。
だから象徴とは、魂――若しそんな抽象的な言葉が仮に許されるなら――が自己を示現せんとする悶えである。
而して詩は音楽に最も近くこの象徴へと肉迫する。
少くとも文学といふ分野に於て、詩に優つて純粋に芸術の遂げんとする要求を追求してゐるものはない。
恋人に取つて、眼の言葉と、口の音楽とは遂に最後のものではない。それは説明だからだ。
如何に巧妙なる説明も、それは結局投影の創造であつて物そのものではないだらう。而して抱擁がくる。
抱擁も然し恋人に取つてはまだもどかしい。而して死が来る。恋は生命の灼熱であって、而して死は生命の破却だ。
何といふ矛盾だらう。然しながら人間がその存在の中にさぐり求めるあらゆる手段の中、死のみが辛うじて、
凡てを撥無してもなほ飽き足らない恋人の熱情を髣髴させるのだ。(撥無=払いのけて信じないこと。否定すること。)
恋人はその愛するものの胸に死の烙印もて彼自身を象徴するのだ。
人は自ら知らずして人類を恋してゐる。彼れの魂は直接に人類に対して自己を表現せんと悶えてゐる。
かくて彼れは彼自身を詩に於て象徴する。
私も亦長い間この憬がれを持つていた。説明的であり理知的である小説や戯曲によつて自分を表現するのでは如何しても
物足らない衷心の要求を持つてゐた。けれども私は象徴にまで灼熱する力も才能もないのを思つて今まで黙してゐた。
けれども或る機縁が私を促がし立てた。私は前後を忘れて私を詩の形に鋳込まうとするに至つた。どんなものが生れ出るか
私自身と雖(いえ)どもそれを知らない。私は或いは私の参詣すべからざる聖堂を窺つてゐるのかも知れない。
然し私にはもう凡てが已むを得ない。長くせきとめてゐた水が溢れたのだから。



【瞳なき眼】

あからさまに云はう。
大千世界は瞳のない眼だ。
見開いたまゝ瞬きをしない眼だ。
劫初から劫末へ、
ギヤマンの皿にすかして見る魚賊の皮膚の色のやうな白眼だけが、
凝然として、動かずに、流れずに。

可憐な小さい一つの瞳が、
燃えかすれゆく隕石のやうに、
瞳のない眼の灰色の面に吸ひ込まれる。
見るゝゝ
今在る、あるかなきかに
・・・・・・もう無い。
可憐な小さい瞳が、
おゝ可憐な小さい瞳が、
瞳の妄執に黒く燃え立つ小さい瞳が、
可憐な小さい瞳が・・・・・・
淋しさ・・・・・・せめては叫べ、ひと声。瞳よ。

(註)
 劫初=この世の初め。劫末=この世の終わり。
 劫=ほとんど無限ともいえるほどの長い時間の単位。

【手】

 (高村光太郎氏の制作にかゝる
左手のブロンズを見入りて)

孤独な淋しい神秘・・・・・・
手・・・・・・一つの手・・・・・・
見つめてゐると、肉体から、霊魂から、不思議にも遊離しはじめる手。
存在の荘厳と虚妄――神か――無か。
おゝ見つめていると、
凡てのものが手を残して消え失せて、
無辺際の空間に、
たゞ一つ残り在る手。
左の手を見つめろ、
今、お前自身の左の手を、これを読む時の光の下に、ぢつと見つめろ。
五つの指の淋しい群像、
何を彼等は考へ、
彼等は何をするのだ。
指さすべき何が・・・・・・握りしむべき何が・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

手は沈黙にまでもがいてゐる。


【電車の眼が見た】

省線の高土堤をひらめきゆく電車の眼、
その眼が見る土堤下の人の渦巻き、
かげらふの見えがくれ、
葉巻の煙が風に揺られて、
するりと横さまに飛び消える。
何んでもない、
人は睦まじく生きたがつてゐるぢやないか。
その祈りが横さまに飛び消える・・・・・・ひらめき消える。


【恐怖の面紗】

もう一握りの勇気、
一摘まみのすてばち、
それが面紗をはぎ取る時、
おどろき
ふためき
酔ひしれ
無――
たゞ飛びかゝつて
眼くるめく抱擁。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

嗚呼
メデュサがほゝゑむ
ヴィナスのやうに。

(註)
 面紗=ベール<veil>。顔の前に垂らす薄い布。


【死を】

・・・・・・死を。
生の焼点なる死を、
若さの中に尋ね出された死を、
まがふかたなく捕へあてた死を、
眼路のかなたに屈辱の凡てをかいやる死を、
我れの外なる凡ての人にはたゞ愚かしい死を、
その黒い焔の中に親をも子をも焼きつくす死を、
・・・おゝ生を容赦なく踏みにじるその不可思議な生命を。


石炭のかけら

北氷洋から掘り出された石炭のかけら、
永劫の冷却にもたじろかず火をふくむ、
黒く火をふくむ。
しなやかな白い手がそれを弄ぶ、
春にしめつた紫の眼がそれを撫でまはす。
いたずらを慎め。

火照つた赤い唇を冷たさと黒さとに近づけるな、
ゐざなひに満ちた横顔で荒くれた面に頬ずりするな、
いたづらを慎め。

石炭は火だ。
火は破却だ。
いたづらを慎めよ。


【思ひ】

美しい畫を集めた書物から落ちて
突風にさらはれた二ひらの落丁。
一つは高く
一つは低く
見かはしながら、
見失ひながら、
また遥かに見かはしながら、
亂れつゝ散る。