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与謝野晶子

よさのあきこ(1878-1942)

大阪府堺の商家の生まれ。本名志よう。別号小舟・白萩など。堺女学校補習科卒。在学中から古典や
近代文学に親しむ。1899年「よしあし草」に新体詩を発表。翌年、創刊時の「明星」に参加。1901年、
家を捨てて妻子ある鉄幹のもとへ走り、処女歌集『みだれ髪』を刊行。情熱の歌人として一躍脚光を
浴びた。因襲に抗し、青春の激情と官能を大胆に歌い上げるその奔放な歌風は、新旧交代期にあった
歌壇に新風を吹き込むと同時に「文学界」派以来のわが国の観念的抑制的な浪漫主義を人間性解放の
それとして一歩前進させた。1911年、「青鞜」創刊号の巻頭に長詩「そぞろごと」を掲げ、1912年、
夫を追って渡欧。1914年、夫との旅の所産ともいうべき詩歌集『夏より秋へ』を編んだ。また大正期
には平塚らいてふとの母性保護論争など評論家としても活躍した。    /「日本現代詩辞典」より


【恋】

わが恋を人問ひ給ふ。
わが恋を如何に答へん、
譬ふれば小き塔なり、
礎に二人の命、
真柱に愛を立てつつ、
層ごとに学と芸術、
汗と血を塗りて固めぬ。
塔は是れ無極の塔、
更に積み、更に重ねて、
世の風と雨に当らん。
猶(なほ)卑(ひく)し、今立つ所、
猶(なほ)狭し、今見る所、
天(あま)つ日も多くは射さず、
寒きこと二月の如し。
頼めるは、微なれども
唯だ一つ内なる光。

【帰途】

わたしは先生のお宅を出る。
先生の視線が私の背中にある、
わたしは其れを感じる、
葉卷の香りが私を追つて來る、
わたしは其れを感じる。
玄関から御門までの
赤土の坂、竝木道、
太陽と松の幹が太い縞を作つてゐる。
わたしはぱつと日傘を擴げて、
左の手に持ち直す、
頂いた紫陽花の重たい花束。
どこかで蝉が一つ鳴く。


【弓】

佳きかな、美くしきかな、
矢を番へて、臂(ひぢ)張り、
引き絞りたる弓の形。
射よ、射よ、子等よ、
鳥ならずして、射よ、
唯だ彼の空を。

的を思ふことなかれ、
子等と弓との共に作る
その形こそいみじけれ、
唯だ射よ、彼の空を。


【草と人】

如何なれば草よ、
風吹けば一方(ひとかた)に寄る。
人の身は然(しか)らず、
己(おの)が心の向き向きに寄る。
何か善き、何か悪しき、
知らず、唯だ人は向き向き。


【秋思】

わが思ひ、この朝ぞ
秋に澄み、一つに集まる。
愛と、死と、芸術と、
玲瓏(れいろう)として涼し。
目を上げて見れば
かの青空も我れなり、
その木立も我れなり、
前なる狗子草(ゑのころぐさ)も
涙しとどに溜めて
やがて泣ける我れなり。


【秋の朝】

白きレエスを透す秋の光
木立と芝生との反射、
外も内も
浅葱の色に明るし。
立ちて窓を開けば
木犀の香冷やかに流れ入る。

椅子の上に少しさし俯向き、
己が手の静脈の
ほのかに青きを見詰めながら、
静かなり、今朝の心。