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Eats 2012


万豚記17 2012/5/17(木)

今週の木曜日は丸八さんの天津麺の日だ。生涯NO,1の絶品だ。途中、明日の白胡麻坦々麺の万豚記さんの前を通ると「日替」の案内に天津麺とあった。初めてだ。通り過ぎようとして後ろ髪を引かれた。他の曜日に単品では食べられないのを知っている。悪い女の尻を追うように回れ右をしていた。たいてい悪い女の味は良いものだが、女を前にしたチ●コと違って、後悔は先に立たなかった。すっかり忘れていたことに、ここは醤油系の店だった。「甘い、薄い、ぬるい」の三拍子揃ったスープと柔らか目の麺とが僕に、丸八さん、浮気してゴメンと唱えさせた。ふんわり卵と唐揚げ2個(日替セット)は美味しく食べられたけれど、明日は今日と相殺。浮気明けの朝帰り、寝ぼけた頭で名前を呼び違えたりしないよう口に出して練習しながら帰宅するみたいな気分で、傷心証明の天津麺をいただきに行こう。


満一 2012/4/14(土)

西新で獣と詩人と御婦人の濃縮されたエキスに浸ってから、鹿児島本線を久留米に向かった。今回の旅は九州新幹線さくら→博多〜荒尾行の赤い快速→久留米〜鳥栖行の黒い二両編成→特急かもめ→九州新幹線みずほに乗った。鳥栖でのゲイムの前に久留米ラーメンを渇望したのだ。けれど駅に降りて嫌な予感。土産物店で尋ねると西鉄の駅前は賑やかなんだそうだ。それでも駅ビルに久留米ラーメンの店があるというので赴いた。「満一」さんだ。またしても嫌な予感。薄暗く洗練されたインテリアだ。座りにくいデザインチェア。入口の自動券売機。複雑なボタン。入り乱れたトッピング。触ったことのないスマホのようなタッチシステム。黒装束のイケメン風。‘久留米とんこつしぼり \500’。逆三角形の底の深い器。蟻地獄の奈落の溜水のような汁。脂っ濃いだけのスープ。塩梅がよろしくない。塩気がない。旨みがない。臭みすらない。調べるとやはりチェイン店。食べ終えて駅前を探索すると「来福軒」という看板。昭和29年創業という暖簾。久留米ラーメン発祥というサイン。土産物店の子はどうしてこちらを、と思ったら昼は15時まで。夜は17時から。僕の居たのは16時50分頃。あと10分待つか。待って堪能して電車を数本遅らせるか。鳥栖には鳥栖のラーメン屋さんがあったらどうする。(なかった)ベストアメニティスタジアムを周遊する時間が残るか。僕より2歳年上のそこをあきらめた。次の機会があれば覚えていたい。


新月 2012/4/14(土)

梯子ラーメンの場合は間隔が開かない方が良い。替え玉の振りをすることができる。「未羅来留亭」さんから徒歩数分の「新月」さん。僕たちの日常感覚では、どちらも女子供が一人でぶらりと立ち寄れる環境ではない。ところが驚くことにここいらでは平気で妙齢の御婦人が暖簾を分け入って来られて(あきらかに初めての感じで)注文をしている。たまらない色気だ。食べた後の獣臭の残る唇を知りたくなる。手垢のついた御婦人の暖簾をくぐってみたくなってしまう…(*^_^*) ここの‘豚骨ラーメン \550’もやはり臭い。九州圏以外ではとても受け容れられないだろう。けれど不思議にあっさりとしている。‘あっさり臭い’というラーメンを評する新語が世間を席巻(笑)するかもしれない。この二店舗には来年もぜひ訪れたい。サガンとアビスパとサンフレと、九州詩人が僕を生かし続けてくれれば嬉しい。


未羅来留亭 2012/4/14(土)

街は女に似ている。一度踏み込むと次からは我が物顔に立ち入れる。視覚や味覚が近しくよみがえり、時には新しい発見もある。目的の地点まで手順を辿らなくても良くなり、近道の成功は気分爽快だ。そんな二度目の街、西新を訪れた。人なつこい商店街とアカデミックなグリーンゾーンを渡すレンガ色の学生街。僕はここが好きになった。生き直せたら学生時代をここに過ごそう。ナマの博多弁を枕もとで聴きたいものだ。訪れた目的は二つ。豚骨ラーメンと古い詩集。どちらも死んだ獣の臭いがする。詩集は田丸高夫(1909-1937)と星野胤弘。星野胤弘の没年は不明なままだったが田丸高夫の詩集『微笑』の隣に高木已則(1914-1937)の『秋蝶』を見つけた。司書さんとの濃密な150分が過ぎた。ラーメンは二杯。「未羅来留亭」と「新月」。先ずは「未羅来留亭」さんの‘ラーメン \400’。シンプルな名前と驚く安さと絶妙の塩梅。旨い。一杯目でもう癖になった。これはもう塩ラーメンだ。塩臭豚骨ラーメンだ。しかもどこぞの岩塩だの天然塩だのイタリアがどーしたのとは全く異なる、正々堂々とした昔ながらのたったの塩だ。食塩だ。博多(豚骨)ラーメンは濃厚だというマスコミの洗脳から解放されること間違いない。


そじ坊2 2012/2/6(月)

月曜日の朝はいつも二日酔い気味だ。朝食はだから、サッポロ一番みそラーメンに小指の先ほどの八丁味噌をプラス。昼食は「そじ坊」さんのカレー南蛮そばで整腸に心掛けている。ところが今朝は、昨夜のシリアU23のロスタイムミドルに昂奮したせいかどうか、二日酔い度が少ない。むしろ八丁味噌の入れ過ぎで焼けている腸を整えようと、気になっていた(サンプルの出汁の色が黄金色に澄んでいたので安心して)‘けんちんそば \730’を注文した。東京中心の店舗展開のようなので他の定番メニューはてっきり真っ黒い出汁かと品書きの写真や隣席の食べるのを見ても、どうやら黒くはないらしい。調べると大阪が本社で、他にも多くの種類の店を展開している。そば屋も数種類あって、東京ではそこいらが黒いのだろう。ところが衝撃的だったことに、食べてみて‘醤油が足りない’と感じてしまった。出汁の風味も鶏肉からの脂もちょうど良い塩梅なのに、‘薄っ’と声に出かかった自分が悲しくて仕方なかった。やはり少しの二日酔いのせいなのか、GK権田の2回のミスに言及しないNHK解説の山本&宮本イエスマンへの憤りの残滓のせいか、まさかこの僕の舌が醤油に侵攻されつつあるなどとは思いたくはない。ところで‘けんちん’って何やねんと検索してみた。ほお、けっこう奥が深い。洗濯屋の息子の創作料理ではないみたいだ。


一蘭 2012/2/1(水)

年末年始、市内のラーメン事情やローカルTVのラーメン屋ネタを席巻していたとんこつラーメン屋の「一蘭」さんにいった。カウンター席に仕切りがあって隣の他人と袖(だけでなく視線すら)触れ合わせることのない「味集中個室」が売りでまた、カウンターの向こうには簾が降りるようになっていて、店員とお見合いをすることもない変態店だ。事実、席に着いた僕の向こうで、首から下だけの若くて(多分)可愛い(多分)女の子(多分)が僕の書いた注文用紙を受けとりに来た時は何だか興奮してしまった。この店は注文を紙に書いて出す。ラーメンは‘天然とんこつラーメン \790’の一種類しかなく、種々のトッピングと替玉がある。しかしそれ以外にも、スープの濃さ、こってり加減、麺の固さ、にんにくの有無、チャーシューの有無をアンケートのような感覚で選ばなければならない。選べる、のではなく、ねばならないところが強圧的だが、変態席とともに人気の理由でもあるようだ。アーケードのある市内最大の商店街の道路の真ん中に、突然中洲でも浮いたみたく店舗の外まで行列ができ続けているのよ、とミーハー妻は関心があるのだが、‘問題は味さ’と危惧していた通り、一蘭は僕の生涯のとんこつラーメン遍歴の中で尻からのベスト3に入る。固めに丸印をした麺は何とも柔らかく、泥酔したM美ちゃんみたくクネクネ腰、更にスーパーの5時からセールで1玉\100→\80になるあの茹でた生麺のような食感と味。スープは豚骨というより広島人好みの豚骨醤油みたくてしかも獸臭が皆無。載せてもらったチャーシューはハムのようで、むしろトロけるタイプ嫌いの僕にはまだマシだったけれど。しかもこれらを一発で解消可能な調味料系が卓上にこれまた皆無。胡椒も紅生姜も高菜も白子ゴマもサービスではないとんこつラーメン屋の外聞重視の経営理念に脱帽だ。


首里天3 2012/1/19(木)

死んだ父は豆腐が好きだった。いや違う、父は生きている。1928年の生まれだから今秋84歳になる。年男だ。しかしこういう場合、たいていの父親は死んでいる方が述懐的には良いのではないか。10歳にも満たなかった頃はまだ早朝に豆腐屋さんがラッパを吹いて廻っていた。毎日そんな出来たてで一日を始めた舌が覚えた味は、後年のスーパーに並んだものとは確かに雲泥の差だったろう。13歳の夏、そんな我が家が引っ越した先の中学校に神山君というクラスメイトがいた。家から学校までの中間くらいの所で豆腐屋を営んでいた。近くのスーパーは神山豆腐店から直に仕入れていたためかとても新鮮で美味しく、父のお気に入りになった。多分そのためだろう、僕も豆腐が好きだ。残念ながら今を暮らす地に豆腐屋の知り合いはいない。神山君とも何十年も会っていない。調べると神山豆腐店がヒットしない。グーグルの地図や衛星写真を見ても建物の位置くらいしか確認できない。ウチと歳の同じ兄弟二人ともが継がなかったのだろう。当時から朝が早い分だけ夜も早いのでドリフが見れないとボヤいていたからなあ。首里天さんではいつも‘あーさーすば’を食べていた。昨年末にメニューが新しくなって、すばの種類が増えていた。今日はその中の‘ゆしとうふすば \750’が\100引だったので試してみた。2000年の夏に沖縄で食べた「ゆし豆腐」の衝撃は今も忘れ難く、豆腐好きには垂涎の麺ものだ。ゆし豆腐とは寄せ豆腐の「寄せ」が沖縄風に訛ったもの。ニガリを入れて固めればあの壮快な島豆腐になる。沖縄で食べたのは三枚肉など載せてなくて、その分とうふが山盛りだった。コーレーグースはこの食べ方が一番良いのではないかと気づいた。


利萍4 2012/1/18(水)

寄る年波のせいか或いは品行方正な日々のおかげか、いつの頃からか、女の生臭いのと風呂の熱いのと味の辛いのがダメになった。特に韓国料理等の唐辛子の強いものを美味しいと思わなくなった。あれほど一味礼讃派だったのに今では七味を好んでいる。それどころか、大嫌いだった柚子が鍋料理の薬味に欠かせなくなっている。酸味を欲しがるのは妊婦の特権だとばかり思っていたが、実際に妊婦のそのような場面に出会ったことはなく、また妊婦そのものとも僕は親しくなかった。だから今日の担担麺の酸味にはヤラレた。辛いのだと覚悟していたので、スープの最初の一口がむしろ爽やかに酸っぱくて、へぇ〜っと思わず声が出そうになった。こんなのは初めてだ。ここの品は何を食べても美味い。ハズレがない。それならばと自制していた‘セットの炒飯’をつい頼んでしまった。間違いだった。世の中そんなに甘くないことはもう知ったはずだったのに。付けても付けなくても値段が同じで、或いは白飯をチョイスしても同じ値段の炒飯に僕はいったいどんな夢を膨らませてしまっていたのだろう。これでもう未練なく、後ろ髪を引かれることなく正々堂々と単品で貫き通すことができる。


呉麺屋4 2012/1/17(火)

明日は利萍さんの担担麺の予定なので、その前に食べ比べておこうと呉麺屋さんに入った。ここは不思議な店で、行列ができていたかと思えば今日のように、12時15分現在で客が僕一人だけということもある。中心部の地下街の西端にあって、家賃の割には客足は伸びないのかも知れず、2001年の開業以来、知っているだけで3件目の店だ。オープン当初は確か「あひるの台所」で、その亡き後の2005年くらいからが「たんびに」。そして去年から今の店。おおよそ5年周期なわけで、飲食店業界としてこういう立地環境では長い方なのかそうでもないのかは僕にはわからない。ただ3件とも中華〜ラーメン系なのは運営会社が‘中華枠’のようなものを決めているのかも知れない。他にカフェ&ケイクス系以外ではパスタ屋、そば屋、お好み焼き屋しかない。全部が‘粉もん’で、これでうどん屋があればオールスターキャストだ。せっかくだから長続きしてほしい気持ちと、次もラーメン屋の枠で決まっているのなら女房と畳理論を検証してみたい気もないことはない。かといってこの店の味は悪くない。少し高いけれど今はどこもこんなものだ。今日の‘黒胡麻担々麺 \780’も美味しくいただいた。強いて言えば無個性か。風の噂ではこの頃は汁なしとか混ぜまぜとかザル蕎麦みたいなのとかが流行っているという。ラーメンの矜持を忘るることなく、丼の中にはたっぷりの熱々のスープと程良いコシの麺とを用意してほしいものだ。


利萍3 2012/1/16(月)

業務が押して昼食の卓子についたのが13時過ぎとはいえ、その間が極寒の屋外で運動量のある1時間だったとはいえ、醤油系の八宝菜がこれほど美味いと感じたのは初めてかもしれない。しかも‘八宝菜ラーメン \780’。決して汁(つゆ)だくになどせず、中華丼のあの餡の強さを維持させたまま麺にのせられたその味といい食感といい、絶品だった。スープがないのは満腹感が伴わないし、同じ値段でセットを注文すれば炒飯がついてくるのだが、そうはしないところが大人になった証拠だ。あと一品、次の試食(担担麺)が残っているけれど、どうやらここでの定番はこれに決まりだ。




利萍2 2012/1/4(水)

仕事始め。ボタン雪の舞い散る昼時。満員の店内。ひとつだけ空いたカウンター席。海鮮ラーメンを注文。単品だ。右隣の若者に海鮮ラーメンが届いた。セットなので炒飯が付いている。付いていなくても同じ値段(\780)。黒いボルサリーノに薄い顎鬚の彼が顔の前で両手を合わせて‘いただきます’と呟いた。小声だったが隣の僕には聞こえる程度に声を出して言った。お空ののんのさんにはきっと聞こえただろう。おそらく居るだろう三ヶ月も続けば長い方に違いない新しい彼女と一緒の時も同じようにするのだろうか。それを見て彼女は♪キモイ♪とか言うのだろうか。それとも感動して(エエトコの子ぉやし)ますます好きになるのだろうか。年末に食べた「野菜タン麺」が気に入ったので2度目の訪問。海鮮ラーメンも美味しくいただいた。隣の彼のおかげかも知れない。僕の55年間もまた、いつかどこかで隣合わせた誰かの印象に残った日が、一日でも多くあればいいと思った。


広島護国神社 2012/1/3(火)

年始恒例、初詣後の境内テント内昼食。今年はホルモンうどん。実はこの名称の品には思い出がある。学生時代、寮の近くに大学のOBが開いた焼肉(ホルモン)屋に通っていて、〆に頼むのがホルモンうどんだった。今、画像検索してみると90%以上が焼きうどんのホルモン入りで焼き肉のタレ風味の味付けの品だが、「唐津」という名のその店のホルモンうどんは油揚げを刻んだのが入った温汁うどんで、ホルモンで取った出汁とホルモンミックスが具になった、僕たちが大好物のメニューだった。ニンニクも良く効いていて、ヤリたい盛りの血潮の背中を押しまくってくれたのを覚えている。なので、てっきりそんなのが出て来ると思っていて、焼きそばみたくパックに詰め込まれてゴムバンドで止められた一物を見た時は、ああそうだったのか、と近頃流行りのB級グルメとやらを思い出した。あれから30数年。検索してみてもあの街、あの界隈、あの都市近郊に「唐津」というホルモン屋はヒットしない。確か数居た女の中の一人とだったか、卒業後しばらくしてあの街を訪れた時にすでに店はなかった。当時で40歳前後だった先輩。出身の唐津へ戻られたのか、それともまだあの街の違う名の店であのホルモンうどんを出しているか。‘ウチのは刻み揚げやけどよろしいでっか’と、けつねうどんは甘い厚揚げ文化の大阪人に笑顔で応対しているか。それとももうこの世ではないどこか遠いのか近いのか距離感の不明な場所で、好きだった酒をひっかけながら、なんで焼きうどんやねん、とつっこんででもいるか。