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ベストアメニティスタジアム みやじマリン 京橋会館 福岡市文学館 福岡市立総合図書館 福岡県立図書館 甲子園歴史館 GUNPLA EXPO 金刀比羅宮 マツダ・スタジアム2 本を彩る美の歴史展 福山商業高校 岡山県立図書館2 神戸市立中央図書館 神戸文学館 境界 一人快芸術 大原美術館2 大原美術館 倉敷市立中央図書館 マツダ・スタジアム 大調和会 よみがえる黄金文明展 海響館 福山市中央図書館

Arts 08~12

鑑賞予定世界平和記念聖堂


ベストアメニティスタジアム 2012/4/14(土)

佐賀県鳥栖市にある「ベストアメニティスタジアム」を訪れた。サガン鳥栖のホームでサッカー専用スタジアムだ。以前からテレビで見ていて素晴らしいと感じていた。鳥栖がJ1に昇格して今夜のアウェイゲイムが実現したので、いそいそと出かけた。例年の神戸のホームズスタジアム行はリーグ最終戦で、資格試験の日程の前日なので今のところ試験優先の予定だ。その代わりに、そして今年は福岡が降格してレベルファイブスタジアムでのゲイムがないので、ベアスタを訪れることになった。何よりもスタンドの急傾斜が良い。B自由席という3階席から見下ろす美しい芝生が良い。傾斜のためだろう、各段に手すりが設置されている。そこに両腕を組んで前傾姿勢で凭れ、顎をのせて観戦できる。欧州リーグを大画面テレビで見ているようだ。手前側のタッチラインが見えないので、14番や24番がサイドを駆け上がると、立ち上がって覗くように見ることになる。基礎から上部のスタジアムの構造が鉄骨むき出しなので安上がりぽい。若手芸人の仕事場になってしまった雛壇の親分みたいな造りだ。これならウチの財政でも可能なのではないかと思う。ただ、鉄骨だけなので風の通りが良すぎるのが難点だ。JR鳥栖駅から徒歩5分ほど。バックスタンドからメインスタンドの2階と3階の間の鉄骨組の隙間から、駅に出入りする電車の灯りが左右に行き来する。駅はプラットホーム(platform)、土台とか基盤のことだ。スタジアムはホーム(home)、家庭だ。どちらも風が吹き抜ける。時に追い風に、時に向かい風になる。今夜はサガンに大まぐれのゴールが吹いたが、風の知ったことではない。


みやじマリン 2011/12/18(日)

妻の‘年賀状作成素材撮影’のため宮島を訪れた。テーマが清盛というミーハー&ベタなものなので、とりあえず清盛神社を正面から映して要が足りた。そこはちょうど「みやじマリン」への途次で、いつも誰もが知らないうちに通り過ぎているこじんまりとした社で、NHKが取り上げなければ生涯足を運ぶことはなかったはずだ。せっかくなので宮島のフルコースを楽しむことにした。清盛さんと水族館の他に、はやしさんで焼き牡蠣を堪能してから厳島神社を参拝した後、うえのさんであなごめしに舌鼓をうった。時間がなくて残念だったのはロープウェイ比治山スカイウォークを克服し、床が網目になった立駐をクリアした僕はいよいよ次こそロープウェイに挑戦する頃合いだと思っていたのだ。そうすれば自信は確信へと進み、妻とジェットコースターを心ゆくまで楽しめる日が死ぬまでに一度はあるかも知れない。免許を持たなかった僕は妻を助手席に乗せてやれず、子の嫌いだった僕は妻を母親にしてやることができないまま互いに五十路を過ぎた。せめて妻の大好きなジェットコースターの最前列で両手を宙に高く上げながら(五十肩すら快癒したのだ)ワーワーキャーキャー言い合うくらいは実現させてやりたいではないか。そのために僕は夏の暑い真昼間も凍てつく冬の夕暮時も、来る日も来る日もビルの外壁に設置された非常用螺旋階段を12階まで昇り降りしているのだから。


京橋会館 2011/10/29(土)

広島市に来てから11年、「京橋会館」という建物というかそういうスペースの存在は耳にしていたものの、先日のテレビ番組の特集を見るまで具体的にどこにあってどのような経緯のものなのかは知らなかった。そしてとうとう12月から解体〜新築に入るというので最後の姿を見に行くことにした。‘日本ではついに普及しなかった「街区型」集合住宅’というそこはまるで英国の古典的な推理小説に登場する設計で、四方を中庭で囲む形のアパートメントだ。それは原爆禍からの復興計画のひとつで元々が商店街だった界隈の再現を目指して、四方全てを道路に面する形にしたのだそうだ。1954年の完成から半世紀以上。僕がここに来た10年前はもうその役割を終えていたのだろう、僅かに残った居住者との交渉を経て取り壊すことになったようだ。ふと僕は、かなり前に「C」に投稿してくれた人のことを思い出した。RevisionXというPNの彼は渋谷表参道の同潤会青山アパートの解体について活動していたようで、配信号の日付を見ると2000年9月11日(崩壊を予言していたのだろうか…)。ちょうど僕がここへ来る前の年のことだったのだ。今はもう解体されて「表参道ヒルズ」という立派な商業施設になり果てたようだが、ここ広島の京橋会館も実はその同潤会アパートを参考にしていたのだそうだ。もちろんここの跡地に‘京橋ヒルズ’など建つわけではない。解体後は老人ホーム(のようなもの)になりますという掲示があった。ヒルズ(丘)ではなくフルズ(古s)ということか。


福岡市文学館 2011/9/25(日)

最後は天神の西中島橋と水鏡神社の間の交差点にある「福岡市赤煉瓦文化館」。福岡市文学館はこの中の一部らしいが仕分けられ方はよくわからなかった。ただちょうどこの期間に「福岡ゆかりの詩人」として、矢山哲治、一丸章(1920-2002)、安西均(1918-1994)が取り上げられていた。 安西均といえば(展示物にもあったけれど)詩に目覚めた頃の僕が買い漁ったハウツーものの文庫の中のひとつ、『やさしい詩学』の著者として記憶に刻まれている。思春期の文学青年には何とも誘惑的なタイトルの文庫で、今も僕の(作り付けの下駄箱を利用した)書庫に収められている。帰宅して翌日、1974年に買って一度だけ読んで以来、引っ越し時を別にすれば初めて手に取って見ているが、今でも充分に楽しめそうな一冊だ。あの頃、教科書に載る小説家や詩人は死んだ人だと何故か思い込んでいたので、サトウハチローの訃報に触れて(1973)驚いたものだったが、安西均などついこの間まで元気ピンピンだったとは…。それにしてもこの人の詩集は手元になく、この人の詩を読んだ記憶がないのはどうしてだろう。


福岡市立総合図書館 2011/9/25(日)

次は「福岡市立総合図書館」。サイトで見た外観が素敵で、建築物鑑賞好きとしては訪れておきたかった。地下鉄の西新駅で降りるのだが、西新といえば西新井とつながる僕の脳内網。新入社員の頃にこの2か所に相次いで得意先の新店舗がオープンした記憶が妙に連関したままなのだ。そしてその得意先(当時はまだスーパーマーケット)のイメージそのままに、2か所ともローカルな商店街だろうと勝手に決めつけてから早くも30年が過ぎた。ところが今は亡き得意先とは裏腹に西新、何とも素敵な学園都市ではないか。駅前にまず修猷館というカシコソーな名前の高校があって、しばらく行くとレンガ造りの西南学院大学。行きかう学生たち。そこから図書館までのアプローチがまた良く、瀟洒なマンション群、緑に囲まれた市立博物館。そしてようやく見えてくる現代建築風の図書館。建物内はけれど中世ヨーロッパ風の落ち着いた設計。一隅の「郷土資料室」を覗いて「原田種雄文庫」に感動。時間があればここで一日を過ごしてみたい。そして懐かしの矢山哲治。詩人への旅を始めた頃の、詩人への旅の楽しみを教え初めてくれた詩人たちの一人。雑誌「こをろ」はぜひ熟読したい。


福岡県立図書館 2011/9/25(日)

とうとう‘博多日帰り図書館梯子の旅’が実現した。これもサンフレッチェのおかげ。最下位相手に負けてはしまったけれど、レベル5スタジアムでの迫力ある臨場感は専用スタジアムならではだった。その試合開始(16時)前までの梯子はかなりハードスケジュール。おまけにラーメン屋3店のノルマもこなすことができた。まだまだ若い。最初はまず具体的な目的のあった「福岡県立図書館」へ。ここでは『日本海洋詩集(1935)』から播磨紅風の詩を一篇と夢野文代(1901-1957)の詩集『蝶のすむ城』を複写させていただいた。詩人への旅の方法のひとつに各県が編纂している文学事典を入口にする場合がある。そこから詩人だけを拾いながら没年を確認していくと数人の詩人に出会えることも少なくない。博多への旅を決めていたので事前に調べた結果、夢野文代ちゃんと会うことができた。博多という街は空港の立地のせいか、旅客機の離着陸がとても近い。騒音は感じなかったけれど、ちょうどここの真っ青な秋晴れの上空を着陸態勢に入ったジャンボジェットが飛び去って行った。ここでお世話になった司書さん、どうもありがとう。館員の人たちがよく行くという店(静香)は休みだったけれど、いただいた周辺地図に載っていた「春陽軒」さんのラーメンはとても美味しかったです。


甲子園歴史館 2011/5/21(土)

甲子園には何度も来たけれど、外周の奥側は初めてだった。そこには「野球塔(pdf)」というオベリスクが建っていて、18歳の熱くて硬い屹立のように、‘ここに来た’という誇りで今にも暴発しそうな仰角だった。「甲子園歴史館」は塔の真正面が入口で、いきなり僕を大輔に会わせた。パジャマにしたいくらいの横浜高校のユニフォームは1998年のあの夏に僕を連れ戻してそして、全国の高校野球部を代理する4253個の白球が幼い日の甲子園への憧憬を思い出させてくれた。恥ずかしいのだが実は過日、酔いに任せて‘嫌いにはなりたくないのに嫌いなんだ’と妻に向けて母への愚痴を管巻いた。その時に葬儀に出ないことを宣した。まるでそのように今回の甲子園行は僕の、野球との別離を象徴するのだと感づいていた。ここに来てみて、バックスクリーンの下に立つことができてみて、ますますその思いが強くなった。興味があるのはどれも皆、過去の栄光ばかり。三沢高校の胸のチーム名が緑であることに驚き、タイガースゾーンでは江夏、田淵、掛布の扱いの酷さに辟易した。村山実と江夏豊の違いは会社への忠誠だ。田淵も掛布もチームの去り際を汚された。その確執が‘記念館’にすら露骨に表現されるプロ野球界の構造こそ、今の衰亡の源に他ならない。おそらくもう2度と訪れることのない甲子園球場と、タイガースの勝ち負けに心が平坦になってしまった僕と、あの夏の勇姿からは程遠い大リーガーの大輔と、捨てられない理由は先天的なものでしかなく嫌悪してしまう理由が後天的な母と。それらはまるで、甲子園駅に近鉄電車が停車しているような違和感とそして、時代の変遷を包括して55歳になろうという僕に迫ってきた。


GUNPLA EXPO JAPAN tour in 広島 2011/2/2(水)

1950年〜2010年の60年間、僕の生きた時代のその時々を代表するとされる様々な文化的表象の中で今の僕に無いものがある。抜けているのではない、足りないこともない、避けたのでも否定したのでもなく、時と場所と人との巡り会わせで旬時に出会わなかっただけなのだと今は思う。その代表のようなのがガンダム。鉄人やアトムや009は好きだったのだから天邪鬼なのではない。ガンダムや仮面ライダーは僕には遅すぎたのだ。シェーッは知っているがシャーは知らない。ドラえもんもそうだ。1969年に僕はもう13歳だったのだから。少し前の多忙だった頃、エヴァンゲリオンというのに食指が動きかけたこともあったけれど無理はしないことにした。音楽ならビートルズ。未だにピンとすら来ない。GSもフォークもロックも僕に音楽の感動を伝えるには余りに幼稚だった。主にJAZZを聴いていたが殆どは気分でしかなく、クラシックなどこの国にはあまりにバカげていた。そんな象徴がサザンオールスターズだ。初めて耳にしたのがオホーツクの海岸道路を疾走する新婚旅行の車の中。♪女呼んで揉んで抱いてイイ気持ちぃ〜♪と嬉しそうに歌っていた。アホかと思ったがその時には僕もまた新妻を抱くことしか頭になかった。映画でいうと『スター・ウォーズ』。既にエクソシストやオーメン、未知との遭遇に触れていた僕には、これまた幼稚なドタバタ劇にしか思えなかったのは仕方がない。似たものに『スタートレック』や『宇宙家族ロビンソン』なんかがあったけれど、それらの当時の僕はまだ幼くてだからテレビを楽しんではいたものの、今となっては何も記憶に残っていない程度の体験だったのだろう。テレビドラマでは「金八先生」や「北の国から」。そもそも僕にはポッカリと開いた「テレビ空白時代」というのが2度あって、19歳(1975年)〜25歳と、1985年〜の数年間。この時期に流行ったものは今頃になって特番を組まれてもさっぱり記憶に無いことが多い。…そんなガンダムを展示する「GUNPLA EXPO JAPAN tour in 広島」がSOGOであった。入場無料だったので昼にラーメン喰った後で入ってみた。それっぽいお兄さん達が大勢いた。シャーのように素早く軽快に2分で通り過ぎた。カップ麺もまだ食えない。(シャーではないようだ。シャアのようだ。ちなみにシェーはイヤミ氏で、シャーは愛ちゃんらしい。)


金刀比羅宮 2011/1/8(土)

恒例の「青春18切符の旅」の行く先を今年は「金刀比羅宮」にした。正月の初詣の途次、妻が金比羅さんのポスターを発見。そこにはミッフィーが描かれていて、調べるとミッフィー55周年記念の展覧会が今月末に金刀比羅宮内の「高橋由一館」に巡回されて来るようだ。今年は卯年だということもあり主催者とお宮さんの思惑が一致したのだろう。そんなミッフィーデザインの破魔矢に一目惚れした妻が行きたいと言うので調べると、7:25分発のアストラム→JR大町7:39→広島8:10→糸崎乗換→岡山11:13(マリンライナー25号)→坂出12:00(サンポート)→琴平12:30という検索結果が出た。約5時間の旅。21時頃に帰宅するとすれば16時頃に帰路につけばよくて、現地で3時間半の参拝時間がとれる。それで充分ということで出かけたのだった。実は琴平は思い出の地で、今回で4度目。最初は中学を卒業する春の男三人旅。当時文通していた真鍋由利ちゃんが満濃町に居て、今でいうオフ会合コンのような感じだった。その時に宇高連絡船内の讃岐うどんに驚嘆した。2度目は社員旅行。福山市から小型バスをチャーターして高知まで行った。途中で寄った時の写真が残っている。27歳、人生のちょうど半分の頃だ。3度目は再婚後、父母を連れて妻の運転で高知から松山へと温泉を巡り、今は無き多度津フェリーで帰りつく前に寄った。石段は登らずに金陵で5合瓶を買い、船上で父と酒盗を肴に飲んだのを覚えている。あれから20年以上が過ぎた。そして今回が一番ベタな参拝旅行となった。お土産に「ミッフィー幸先矢」「灸まん」「名物かまど」「船々せんべい」「金陵」「金のうんこ」なんかを買った。最後に寄った岡山駅の新装した構内で駅弁代わりに買った「えびめし」と「がんす」が美味しくて、もう1枚残っている青春18切符で10日にもまた岡山(県立図書館)へ行く時に買って帰ってねと妻に言われている。それにしてもミッフィー、同い年だとは…。数年前までその存在すら知らなかったのに。


マツダ・スタジアム2 2010/11/23(火・祝)

2010カープファン感謝デーがあったので、プロ野球セントラルリーグ・広島カープの本拠地マツダ・スタジアムへ行った。といって、とうとう、ついに、カープファンになっちまったのではない。この2シーズンの不甲斐なさを身近に見聞きしていると、つい気になってしまい、勝ち負けや特定選手の成績が気になるということはつまり、‘カープファンになったらどうしょう’という僕の杞憂を妻が‘そんな心配はない’と、絶対にという冠をつけてまで補償してくれた。仕事の関係で入場券が2枚手に入ったけれど、賄賂として進呈する相手もとりあえずはなく、カープフリークの感謝デー体験者に聞くとたいして面白くもないイベントらしくて欲しがる振りすらしない。それではと、施設を探訪して祭りの屋台感覚で立ち食い三昧の数時間を過ごすのもいいかも、と妻と出かけたのだった。予想通り、イベントそのものはガキ相手のクダラナイ企画の目白押し。コンコースを2周半ほど歩いて、このスタジアムの売りである様々なタイプの座席からの視界を経験し、スーラータン麺と今や球界のエースになったマエケンがプロデュースしたという「まえけんたこせん」を食べて帰った。たこせんとは、たこせんべい2枚の間にたこ焼きを挟んだだけのもの。たこ焼が揚げてあるのが懐かしかったけれど(その昔、最初の新婚の頃、近鉄電車の国分駅界隈にあった屋台の、素揚げした醤油味のカリカリたこ焼)…カツオ節やネギがせんべいの間からこぼれたり風で飛んだり、そして何よりも丸いたこ焼そのものが食べにくいという重大な欠点を発見しただけだった。「まえけんたこせん」に対抗して「欠点発見」ということか。10時前に着いてそして、12時に過ぎには買い物をして帰った。14時からサンフレvsエスパルスの生中継が待っていたのだ。


本を彩る美の歴史展 2010/10/10(日)

本好きにはまたとない一日を過ごすことができた。先ず「ひろしま美術館」で開催中の『本を彩る美の歴史展』。活版印刷の歴史を彩る【グーテンベルク聖書(零葉)】を筆頭に室町時代の絵巻物やダ・ヴィンチの初版本、シェリー詩集、キーツ詩集等があった。50歳を過ぎた僕が感じたのは、たった500年前に世界は天動説だったこと。今も神の実在を信じているバカ達が数多いのも不思議ではない。けれどやはり本は手に取らないと本ではない。ガラスの向うに鎮座ましましている姿を眺めるだけでは何の役にも立ちはしない。流行りの電子ブックの将来は暗いに違いない。失敗企画の展覧会場をそそくさと後にして、パルコの7Fで催されていた「古本まつり」へ向かった。博物本から古書へのトリップ。薄田泣菫の【艸木虫魚】が100円であったけれど厚くて重かったのと「青空文庫」で読めるので遠慮した。同じく100円で樹下太郎という人の【朝を待とう】というのを買った。1964年の日本の推理小説。いったいどんなのだろう。次は古書から流通本へ。…あ、その前に「とりの助」さんで‘濃厚とりそば’の間食休憩をとった後…とある百貨店の7F〜8Fの2フロアをぶっ通して「MARUZEN&ジュンク堂書店」がオープンした。活字離れだの出版不況だのは意図的に流布されたデマかのような盛況でレジには長蛇の列。サッカーコーナーに【SIGMA CLUB】という、2000年から発行しているサンフレッチェサポートマガジンの全バックナンバーが揃えられていたのに驚愕。この雑誌をまだ知らなかった当時の2003年3月号と2004年8月号を買った。サンパイオが来た時と去った時の特集号だ。さすがに書籍巡りは心身の芯からしんどい。もちろんウ●コにも行った。書店にいるとウ●コが出るのはどうやら僕だけではないらしい。


福山商業高校 2010/9/5(日)

八咫烏ちゃんのおかげで去年の1月以来、約21ヶ月ぶりに福山の地を踏めた。天皇杯2回戦でサンフレッチェvs島根のチームの試合が「竹ヶ端運動公園陸上競技場」であった。ここはその昔、大阪から福山に来てすぐの頃、オープン戦で川藤幸三や太田幸司を間近に見て感動した球場で、また再婚間もない頃、街には大阪であるフェルメール展のポスターが貼られていた頃、発足したてのサンフレッチェのサテライトだったかユースだったかの、ジェフユナイテッド千葉との試合を見に訪れたスタジアムだ。それキッカケで買ったジェフのユニフォームパジャマを僕は夏の風呂上りに今も着ている。当時は殆どの人と同じように車で訪れたので、今日初めて路線バスに乗り、そして最寄のバス停が「商業高校入口」であるのを知った。そこはKの通った学び舎だ。僕と会う6年前、18歳のKが毎日歩いた道を僕が歩いていたのだろうか。紺碧の青空を背景に建つ校舎に並ぶ窓の向うに制服姿のKの俤は浮かばない。川沿いの土手を走るバスの車窓は30年前とは様変わりしているだろうが、川の流れは滔々と続いている。バス停のすぐそばに「だんちゃん」というラーメン屋があった。福山には壇上という姓が多いことと関係あるのだろうか。この店が30年も続いているとは思わないが、50数年生きて知り合った人々の中で、ラーメンが嫌いな女がたった1人いる。Kだ。あいつは「だんちゃん」には行かなかったはずだ。


岡山県立図書館2 2010/8/13(金)

盆休みを利用して2年振りに岡山県立図書館へ行った。1番のお目当ては「現代日本詩集(1927年〜1944年)」。この手は実際に手にとって見ないと僕の特殊な目的に適うかどうかが不明なのだが、この全集はひと目でその膨大なお宝度に気づいてア然。とても数時間で事足りるシロモノではないので、別冊の付録を全頁複写させてもらい、1100人の中から著作権の切れた未知の詩人を探し出すという老後の楽しみを持ち帰った。他には事前に調べておいた『黒白地帯詩集』と『詩集 海の詩』。前者は発行が1959年で寄稿している詩人11人も若くて無名だったのだろう、殆どが追跡不能。そもそも「黒白(コクビャクチタイ)地帯」という手掛かりすら一件のヒットもないのが残念。後者は発行が「日本女詩人協会編」という1943年にしてはヘビーなもの。井上淑子、江間章子、大野良子、岡村須磨子、岡より子、菊池美和子、桑門つた子、後藤郁子、金剛サチ、澤木隆子、鈴木初江、高橋たか子、高山泰子、館美保子、玉置瑩子、壷田花子、露木陽子、中村千尾、永瀬清子、丹塚もりえ、深尾須磨子、方等みゆき、町田トシコ、町田志津子、という面々。気つけばあいうえお順に載せてある。女詩人の群れを束ねるのも大変だったのだろう。中で、方等みゆき(1896-1958)という詩人は少し前に別の所で知ったばかり。あまり情報がなく、詩集『しんでれら』を神奈川県立図書館から借りる予定を立てたところだった。一篇だけ彼女の詩に触れることができた。


神戸市立中央図書館 2010/3/14(日)

本当は甲子園→文学館→鉄人→ホムスタ、の予定だったけれど、試しに「神戸市立中央図書館」を検索してみて驚いた。実に5人の詩人と出会えるのだ。…詩村映二(1900-1960)の『詩村映二遺稿集 風と雑草』と詩集『海景の距離』、江口隼人(1905-1948)の詩集『月ある庭』、岩井信實(1893-1927)の詩集『大地の囁き』、池水瑠璃之助(1891-1955)の詩集『紅塵秘抄』、廣田好夫の詩集『乳母車綺譚』…そこで予定を変更。甲子園をあきらめ、彼らとの遭遇に3時間を充てた。ここは1階が普通人の憩いとお勉強の場所で、2階が郷土フロア、そして3階がマニアックな研究向けになっている。そしてフロアを越えて図書を持ち出すことができない仕組み。僕の会いたい彼らのうちの4人が3階。受付者が直接歩いて出向く広島の書庫と違い、地下(多分)の書庫からエレベーターで運ばれてくる様子で規模の大きさが知れた。3階の手馴れたおば様達も2階の柔らかいお姉様も親切に対応してくれて、3時間はあっという間に過ぎた。来年もまた、甲子園の帰りに立ち寄れればいい。


神戸文学館 2010/3/14(日)

1月の終わりにJリーグ日程が発表されて即、今日の神戸行きを決めていた。一昨年はJ2で昨年はボロいスタジアムだったので3年振りになった。その後「神戸文学館」の存在を知り、ちょうど‘賀川豊彦’が特集されている期間内にあたっていたので足を延ばした。賀川豊彦(1888-1960.4.23)はキリスト者で、様々な活動をした中のひとつに豊富な詩作品も残されている。もちろんキリスト者の例に漏れずその詩はそういう芸風ではあるけれど、中には労働問題や思想問題のあのプロレタリア詩風のもある。近々「名詩の林」で紹介する予定。ここは1904年に関学のチャペルとして建てられたそうで、レンガ造りが美しい外観だけでなく、館内も教会そのものだった。もう少し数学の才能があれば関大ではなく関学に在籍したはずの僕は、今も甲子園の土と関学のキャンパスは憧れのまま叶うことのない場所だ。その甲子園に「歴史館」ができた。さすがに16時キックオフで、それまでに文学館と市立図書館と新長田の鉄人28号をツァーするのに、甲子園まではあきらめた。来年のお楽しみ。そのためにはヴィッセルとサンフレッチェがともに残留するか降格するか。更に神戸側がホムスタを用意してくれる必要がある。


境界 2010/1/23(土)

一人快芸術」と同時にコレクション展として隅に追いやられながらも地味ぃに展示されていた境界」というテーマの作品群。けれど、境界をそのまま線や面、塀や壁でしか捉えられず、たとえそれが物心両面からのアプローチだとしても、或いは時空の過去現在未来の間(はざま)だとはしていても、結果としての表現が線や面、仕切り物では何ともお粗末に過ぎない。ただ中には面白いのもあって、鉄板で組み立てられた高さ2m、広さ半畳ほどの空間の中に無数の時計を設置。それらの様々な‘秒を刻む音’たちの合唱、輪唱は心地よかった。時計たちの数点は8時15分をさして止まったまま。残りの無数が様々な「現在時刻」を進み続けているという表現。テーマはヒロシマ。止まったままのこの街の弱さと、進み続ける世界の無頓着、もちろんこれは僕の解釈だけれど。もう一点、‘The World Flag Ant Farm 1991-Asia-’という作品。パンフレットの写真にもなっているそれは、アジア諸国の国旗をビニールチューブで繋げているもの。国旗の色柄の部分が砂でチューブを通じて蟻たちが自由に動き回れる仕掛けで、Ant Farmとは蟻の巣。その道筋が穴として国旗を蝕み、国境のない世界あるいは砂の様に脆い世界を現しているのか。調べるとアジアだけでなく世界バージョンがもちろんあった。「The World Flag Ant Farm」。むしろこの作品ありきで、境界というテーマをこじつけた学芸員の幼稚さがバレてしまっている。


一人快芸術 2010/1/23(土)

一人快芸術」とは何か。企画概要にこうある。…たとえば、たった一人の人物により50年以上の歳月を費やして撮りためられた、40 万カットにものぼる街の復興の記録写真。あるいは、大家さん夫婦が自力で作り上げた、地下1 階・地上6 階建ての世界最大級のセルフビルド集合住宅。それらは、ことさら芸術作品として作られたり、発表されたりしたものではありません。にもかかわらず、役割や基準といった枠組みを軽々と超えて、その行為や物に宿る過剰さが多くの人々を惹きつけます。そのような行為をも含めたものとして芸術を捉えた場合、その作品体験とは、いかなる衝撃をもたらしてくれるのでしょうか。…これはそのまま僕のお気に入り番組「熱中時間」に通じていて、‘行為や物に宿る過剰さ’こそ十人十色、千差万別な収集癖たちの自慢だ。ぜひ鑑賞したいと思っていたこの企画展、けれど満足度は1/3。素人の過剰さを味わいたかったのに、1/3は知的障害者の手慰みで1/3は自称アーティストのマスタベ。丁度この日その時間帯、学芸員によるガイドツアーにぶつかってしまったのも運の悪さだったけれど、未熟な若者の思いつき芸を強制体験させられることの不快さったら。しかも大嫌いな知的障害者の(どうして障害の害をひらかな表記するのかさっぱり不明)、感性豊かでしょう的な塗り絵や落書きを強要されることのおぞましさったら。それでも自作のカメラで列車全車両を写しきった作品群はマニアックの極地で素晴らしいかったなあ。ああいうのだけに絞れなかったあの学芸員のチャラさが目に浮ぶ。


大原美術館2 2010/1/16(土)

そしてミロの「夜の中の女たち」-Woman in the Night-。僕にはこれは日本の蕎麦屋の看板風に見えた。蕎麦屋の看板というか、座敷に上がって食事をする店の頭上に大きく飾ってある横長の一枚板や大きな額装に書かれた筆文字の読めそうで読めないアレだ。そうそう「文字看板」と呼ぶらしい。右の作品をよおく見てほしい。僕は人目で-Night-と読めた。行書と草書の中間くらいの崩しか。自慢そうに妻に教えると、‘ミロはそんな画風ではないよ’と一喝された。そんな画風とは「絵に文字は入れない」のだそうだ。どういうわけか僕の妻は2人とも油彩を嗜むのだ。そんなことはないはず、どう見てもミロの東洋かぶれ振りが顕著な作品だと、ミュージアムショップで1枚\100のこのカードをレジにいる女の子に見せて聞いてみた。するとその子、バカにした風に「前に子供がそんな風に言ったことがありますが…」とやんわり否定してくれた。‘そういう解釈は自由だけど’と再び妻に叱られて僕は、もし僕が正しければ同じ絵の50cm近くはある額\1000を奮発しようと思ったのに……。帰って調べてみてもその記述は皆無。いったい世の中の鑑賞のプロくんたちよ、君たちの眼は節穴か。そんなことで僕の新説に対抗できると思っているのかい。


大原美術館 2010/1/16(土)

青春18切符が手に入ったので倉敷へ行った。当初妻は大改修中の姫路城まで行きたがったけれど、超ハードスケなので倉敷にした。倉敷に行ったら図書館へ行く他に、大原美術館へ行こうと決めた。倉敷は何度も訪れたけれど、ここは1976年2月25日、20歳のあの運命の日以来だ。その日僕はその後妻となる女とそこに居て将来を誓っていた。確か美術館に言及する詩を書いたけれど、実は館内の記憶は皆無で、ずっと前からキチンと鑑賞してみたいと思っていたのだ。コレクションはさすがに個人蒐集の賜物、殆どがどこかで見たこと聞いたことのある作品や画家のオンパレード。しかも作品に武者小路等の雑誌「白樺」を取り巻く文人たちの感想コメントが引用抜粋されていて、その文章がまたとても美しくて粋に読ませてくれた。中でもムンヒの「死んだ母親と子ども」、藤田嗣治の「舞踏会の前」が秀逸。少女の眼の驚きは母の死を前にした飾りのない感情で、女の乳白色の肌はまるで生きて触れるように妖艶だった。そしてミロの「夜の中の女たち」-Woman in the Night-。僕にはこれは日本の蕎麦屋の看板風に見えた。


倉敷市立中央図書館 2010/1/16(土)

青春18切符が手に入ったので倉敷へ行った。去年は1枚だったので1人で下関へ行ったけれど今年は2枚あったので妻と行った。事前に倉敷の図書館を調べると大原美術館の近くにあるので蔵書を検索。すると森谷安子(1913-1947)という人の遺した『悲母(ひも)』を見つけた。副題に-あの子は満州の土になった-とあったので凡その検討はついたしその通りの内容だったけれど、訪れた地の図書館で無名の詩人に会うのはやはり嬉しい。ここは複写に対する規則が緩くてよかった。コピー機に料金箱が設置してあって係員との距離も遠いので細々としたチェックをされることがない。大学の図書館が殆どそうで、特に詩は1篇が1作品なので面倒臭い場合が少なくはない。そしてもう一点、使用済み紙袋の集積コーナーがあって、自由に取れるしまた処分もできる仕組みで、コピーした32枚を持って帰るのにとても助かった。どうもありがとう。


マツダ・スタジアム 2009/5/4(月・祝)

思いついて‘新球場’へ行った。正式には何を思ったか「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」と呼ぶ。長いし意味不明だ。わざわざ大金を叩(はた)いて命名権を得るほどの何もない。ま、戦後ずっと県や市とココの会社はツルんで来たわけなので何を今更という感じでもある。地元のカープファンは略してマツダ・スタジアムとすら言わない。そう言うのはマスコミだけだ。彼等は単に‘新球場’と呼ぶ。その方がわかりやすい。マツダなどと敢えて付けなくてもマツダは町に蔓延っている。そんなキレイゴトよりも先にマツダは命名権料・年間3億円x5年の無駄金を派遣切りしたばかりの雇用確保にまわさないのはどういうわけなのだろう。またローカル・マスコミも華やかに騒げる方が儲かるのだろう、マツダの暗部にはどこも触れていない(と思う)。そんな現実的な病巣をよそに、新球場の外観は素晴らしい。チケットがないので据え膳に手を拱(こまね)いたまま朝を迎えたあの夜のような空しさだったけれど、JRの新幹線や在来線の行き来を左手に見ながら、時折の大歓声が空に向かって響く様子は、野球ファンだけでなく鉄子&鉄夫にもたまらないシチュエイションだ。ナイトゲームよりも太陽の下がいい。この夏のいつかきっとここを再訪し、その時は熱いスタンドで白球を追いたいと思った。そうだ、恒例夏の高校野球決勝戦観戦、今年はここで見ることができればいい。


大調和会 広島巡回展 2009/4/23(木)

勤務先にお住まいのテキスタイルデザイナー嬢(around80)の趣味の作品が入選したというので見に行った。場所は県立美術館で、職場からチンチン電車を乗り継いで往復すると、昼休みの1時間ではじっくりと鑑賞する余裕がないけれど、かといって会期は土曜日までだし、今週の土曜日は出勤だし、で少々のタイムオーバーは彼女の顔で大目に見てもらうことにしよう(と勝手に決めた)。大調和会は僕には初耳だけれど、もう48回目だし武者小路実篤が関係した絵画公募団体で、昭和2年、3年に第1回、2回が開催されてから昭和37年まで中断していた事情があるらしい。けれど第1回の審査員が、高村光太郎・長与善郎・武者小路実篤・梅原龍三郎・倉田百三・佐藤春夫・岸田劉生・千家元麿・という面々。画壇だけでなく詩壇からも名前が出ていて興味深い。そんな由緒ある展覧会に我等がR子さんの絵が仲間入りした。時折り僕の帰り途で一緒になり‘今からモデル画の勉強会なの’と陽気に話してくれる。もちろん裸婦のモデルで‘僕も一緒に…’というとキャハハハと笑顔が楽しいara80だ。そんな彼女の作品はとてもよく人柄のあらわれた明るくて可愛いものだった。おそらく想像を絶するだろう来し方の末にこのような絵を描ける純粋さに乾杯だ。


よみがえる黄金文明展 2009/3/22(日)

久しぶりに展覧会に出かけた。興味ある企画がなかったのもあるし、心と懐に余裕がなかったことも事実だ。この「よみがえる黄金文明展」は先に妻が甥たちを連れて行っていて、良さそうだったので行った。‘ブルガリアといえばバラよね’と妻が言う。キョトンとする僕に‘アロマをやってる人には常識なのよ’とのたまう。ふうん。妻にとってブルガリア=バラ&ヨーグルトのようだ。けれど僕にとってはスパイだ。冷戦時代の情報合戦を知っている者にとって、霧雨のロンドンで蝙蝠傘の先に塗った毒でイギリスの諜報員を暗殺したブルガリアン組織の史実は常識なのだ。それともうひとつはサッカー王国。バルサで名を馳せたストイチコフが柏レイソルでプレーした記憶は新しいが、今は何といっても我らがストヤノフおじさんだ。今日もチャンピオンチーム鹿島戦で後半に同点弾を決めてくれたようだ。試合は惜敗したけれど彼の元気なうちに彼のプレーを肌身で会得して、一人でも多くの愛弟子が育ってくれればありがたい。そして10年ほど過ぎた頃に監督として戻ってくれれば僕も還暦を過ぎる甲斐があるというものだ。ヒロキ、カンレキィ!え、黄金文明展?、もちろんそれはそれは素晴らしい輝きでございました。



海響館 2009/1/17(土)

幸運にも(JP改札係様の怠慢のゆえ)青春18切符がもう1回分使えることになったので、一人で下関に日帰りした。7:00←→19:00の12時間のうち、4時間ずつが車内で残りの4時間を下関で過ごすことができた。目的は唐戸市場の鮮魚と地元のラーメンと海響館。この水族館のウリは全国的には世界でも珍しいシロナガスクジラの全身骨格標本だ。それはそれはものすごく巨大ではあるのだが如何せん、たかが骨。スカスカしてどうにも存在感に欠けた。やはりクレオパトラの遺骨よりも隣のおばさんの生身の方が唾を飲むということか。むしろ僕が感動したのは下関ならではの展示魚、フグ。1mはある巨大なトラフグだけが群泳する大水槽は圧巻だったし、50種類超の世界のフグ・コレクションは美しくも可愛らしかった。ただ、やっぱりこういう場所を一人で訪れるのは寂しい。もうちょっとお金持ちになって妻と二人で再訪しよう。


福山市中央図書館 2009/1/11(日)

昨年末から予定していた「福山市中央図書館」への旅に出た。そこでさっそく『瀬戸内海詩人選集』を見つけ、吉野信夫、奥田盛善の作品を読むことが出来た。早くも目的は達成されたので福山に関係する詩人を探していると、木下夕爾と彼の出していた詩誌「木靴」の復刻版があった。その中に正体不明の同人たちが目白押しだ。しかしこの図書館、新しくて美しいのだけれど、検索機器にキーボードがない。全てタッチパネルで、おまけに立ち呑み方式。これではとても長時間、一人ずつを調べる気にはなれず、とりあえず「木靴」を探すといつもの県立図書館にもあることが判明。そういうことなら後でゆっくり時間をかけて新たな旅へと出ることにした。周囲3面がガラス張りのこの図書館、嘗て僕が火宅を出て住んだボロアパートの近くにあった「市民会館」跡に建っていた。図書館を出た僕はそちらの方へ足を向けた。