古賀春江 深海の情景 2007/11/15(木)
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 「Books」の11/12(月)に書いた古賀春江について、詩よりも画について調べていて、倉敷の大原美術館に作品が所蔵されていることを知り、サイトへ飛ぶとミュージアムショップにグッズが売られていたので「ミニフレーム」というのを\1000で取り寄せた。『深海の情景』という題のそれは、詩画集の詩篇『深夜の風景』に添えられたもので(逆か?)、日本を代表するシュールレアリスム画家らしい不思議な感覚の作品だ。いつか倉敷に行ってこれの実物を鑑賞するのもいいなあ。そういえば倉敷に行ったのは娘とデートして以来で10年近く前だし、大原美術館の中といえば、娘の母親とデートして以来だから30年ほども昔になっちまうぜ。あの頃は展示品なんかよりも別の女体ばかり想像していた(に決まっている)のだし、一度はキチンと見ておくのもいいかも知れない。…左のポスターは2001年に石橋財団(石橋美術館)主催により、ブリヂストン美術館で開催された「古賀春江
創作の原点」展のもの。
広島修道大学図書館 2007/10/26(金)
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 県立・市立ともに所蔵のないものを見つけようと「広島修道大学図書館」を検索したら植村諦の『愛と憎しみの中で』があったので数年振りに足を運んだ。いつも行くサンフレッチェのホームスタジアムと同じ降車駅。改札を出て右がビッグ・アーチ。左が修道大だ。正門を抜けて100mほどのゆるやかな坂道は素晴らしい銀杏並木。あの頃の大阪の御堂筋とそして嘗てのあの子たちを思い出さずには……と思うより現実に前を行く女の子の尻がリアルに揺れる秋の盛りだ。すれ違う学生たちに図書館への道順を聞くととても親切。図書館員の女の子二人もまるで赤子をあやすかのようで、帰路にすれ違った警備員氏などはとてもご丁寧な挨拶をくれた。あ、そうか、どこぞの教授なのだ僕は。平日の午後。授業真っ最中の学内はピンとした緊張感で気持ちのいいものだった。植村諦の他に掘り出しものだったのが高島宇朗という人の詩集『止息減盡三昧』。とても仏教的訓話チックな短詩だけれど言葉が味わい深い。更に県立図書館で小銭切れのために途中止めになっていた『三木清著作集16巻』の続きを完了できたのも幸いだった。三木清はあの三木清。意外にも多くの詩を残しているのだ。谷川徹三氏然り、哲学と詩は宇宙の深遠でひとつなのである。
益田市立図書館 2007/9/13(木)
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 下の石見美術館に隣接する「益田市立図書館」で‘山陰詩人’への旅を楽しんだ。先ず松本淳三は……土瓶がある/こゝに古くさい土瓶がある/土瓶をぶちわれ!/明日の不自由を考へるな。(『衝動』)……というような詩を書く、ダダ詩人で、日本初のプロレタリア詩誌『鎖』を主宰した人だ。しかし彼の詩集はチョー貴重品で貸し出しもコピーもできず。そしてとても運命というか縁(えにし)のようなものを感じたのは「石見詩人」という現在まで続く詩誌。僕の切り抜きの中にローカルの同人誌活動を紹介する新聞記事があって、掲載されていた詩作品『関係』をワープロで打ち出したものがある。「石見詩人88号」となっているので調べるとそれは1986年のもの。おお、そういう時期の切り抜きか。残念ながら図書館に原本はなかったけれど、閤田真太郎という詩人は今もご活躍中だと知ることができた。そして問題の『出雲石見地方詩史50年』という山陰の詩人・田村のり子さんの著書。大勢の詩人たちとその作品に出会うことができ、とても収穫の多い日帰り小旅行になった。特に色々とご面倒をおかけした図書館員のベッピン2名樣。大変親切にしていただいてありがとう。とっても助かりました。嬉しかったです。またいつかね。
女
微 風 男 さ 吹 雀 女 雀 菜
男 菜
は か に は か く は が が
の が の 関
見 に 吹 見 ら 風 軽 思 菜
花 思 花 係
て 逆 か て わ に い っ の
は っ に
い 立 れ い ぬ て 花
剛 て 雀
る っ て る 花 い に
い い が 作
て を る と
る と /
い よ ま
よ ま 閤
る り っ
り っ 田
羽 も て
か て 真
毛 い
い 太
を る
る 郎
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BOX
ART 2007/9/13(木)
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   昨夏「鴎外展」を観た島根県立石見美術館で『BOX ART
プラモデルパッケージ原画と戦後の日本文化史』というのを見た。夏休みの間に行く予定だったのに通風のせいで延び延びになっていたもの。足指の調子も良く、天候もかなり涼しくなってきたので、台風が連発で来ないうちに行っておくことにした。会場に入っていきなり、「プラモデル前段階の戦争画」で全体の約1/2が水増しされているのに驚愕落胆。けれど結局は反対に多くの藤田嗣治作品に会えたりと、70年頃までに売られたプロペラ飛行機という個人的な限定範囲故の数点のプラモ箱への興味よりは楽しめたのかも知れない。一人旅だったので受付のお姉さんにシャッターをお願いしたのは去年と同じ。おまけに夏休みの間だったら気づいていなかった、隣接する「益田市立図書館」も訪れて、‘山陰詩人への旅’という小洒落た雰囲気もまた楽しめた。
岡山県立図書館 2007/8/22(水)
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  岡山県立図書館へ詩人の(日帰りの)旅に出た。当初の予定は白崎禮三(1914-1944)、内田忠(1905-1944)、辻野久憲(1907-1937)、高島高(1910-1955)で、今回はデータ量よりも図書館そのもの、3年前に出来た4階建の大蔵書量を誇る姿に興味があったのだ。もちろん図書館の建物、設備、人員、システム等の環境は広島県のそれに比べて雲泥の差で、広島大学の蔵書規模と山口市のYCAMの環境を併せた感じだ。がしかし、そんな様子を楽しむ余裕もなく実は予定外の出会いに嬉しい悲鳴をあげた。坂野草史(1908-1949)と浜口長生(1927-1957)、そして楠田一郎(1911-1938)たちだ。特に楠田一郎は数篇読んだ詩が好きで、彼の詩集を手に入れたいと思っていただけに、偶然に会えた喜びこそこういう旅の醍醐味というものだ。残念ながら辻野久憲には会えなかったけれど、彼らの作品もまた近いうちに名詩の林に加えさせていただくことにする。ところで写真の右はサンサンライナー帰路の休憩地、八幡PAで見た虹。夕立の後に爽やかに涼やかに虹が架かっていた。しかもよく見ると2本も。写真ではわかり難いかもしれないので拡大版はこちら。実はこれ、調べると「副虹」というらしい。現場でもケイタイカメラで撮る人が多くいた。珍しいからなのか美しいからなのか、へぇ、けっこう皆アップロードしている。
ポップ・アート1960's〜2000's 2007/7/29(日)
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市立現代美術館で『ポップ・アート1960's〜2000's』を見てきた。ポップ・アートとはポピュラー・アート(大衆芸術)という名の通り、アメリカ(人)文化の浅薄さが浮き彫りにされていた。欧州やアジアと違い、生れてきて気づいたら自分達の後ろには何もないんだと知ったアメリカ人のアート(と一応分類したいのだろう)の行く先は‘お笑いネタ’でしかなく表現としては漫画程度の感覚しかもてないのも先祖のせいだから可哀相だ。もともと大陸には中南米にマヤ、アンデスを始めとする文明が栄えた。北米にもアイヌと近似の自然崇拝を基本とするインディアン文明が根付いていた。それら全てを「清教徒」という偽善の元に踏みにじってきた挙句の文化欠落の大国になったのだ。あぁ、もちろん文化的土壌が浸透していれば傍若無人さもなく大国にはなっていなかっただろう。そんな文化的幼児のアメリカ(人)が自分たちだけが勝手にアートだと思い違いしているジャンルを採り挙げて‘現代アートだぜ’と銭を取る美術館のレベルも低すぎる。僕には殆ど全ての展示物が園児のお絵描き程度にしか見えなかった。漫画をイラストと呼べば少しはマシに思える広告業界との癒着の成果がアメリカ(人)をますます薄っぺらく映し出してしまっている。
竹内浩三・戦時下の詩と生 2007/7/22(日)
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『ハイビジョン特集
シリーズ 青春が終わった日
ぼくもいくさに征(ゆ)くのだけれど
〜竹内浩三・戦時下の詩と生〜』を録画しておいて見た。どうやら僕は竹内浩三を勘違いしていたようだ。勘違いというより早合点だろう。実は彼の詩作品以外には殆ど眼を通したことがなく、履歴や公開されている日記などによる彼の‘実像’に近づこうとしたことがない。むしろ詩を読むにおいて、特に戦争詩を読むにおいて、戦時の個人の事情などとてもありふれていて邪魔な感じがいつもするからだ。今日この番組を見て、もちろんこの時期にNHKが戦争詩を絡めた企みをしているわけで、史実よりも見せたい方向付けの強い‘竹内浩三像’を出演者たちは強制されたに違いなく、だからどれ程にデフォルメされているかが不明でとても危険な「ドキュメンタリー」だとは思うけれど、それでも浩三が伊勢の豪商(老舗呉服屋)のボンボンで‘子供がそのまま大人になったような人’と評する彼のお姉様もまた‘エエトコの子’で、そんな生活感のない芸術家気取りの学生が国情や世界観や貧乏や戦場の何も知らずにただ自分の感覚だけで書いた詩なのだと知った。遺された日記も召集されてから内地勤務の間に綴られた物で、彼が本当の戦争をしに戦地(比島)に赴いてからの日々は不明のままなのだ(多分)。僕は彼の詩を彼の実戦体験に基づいたものだと勝手に思ってしまっていた。だからまだ‘子供のまま’の彼の感性で言葉を紡げたのだろうきっと。真珠湾のかなり以前、中国大陸を転戦しながら書いた田邉利宏の『従軍詩集』とは迫力が違う。…竹内浩三のお姉様、今もご健在でなんと僕の父母の住む地でお暮らしだ。89歳。とっても上品にお歳をめされていて、ああ、なるほどなぁという人に思えた。
木本咸子と新美南吉 2007/7/15(日)
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中原中也記念館で青い服の女性からのモーション(古っ!)から逃れつつ物色した他館の展覧会パンフレットの中のひとつが、愛知県半田市にある「新美南吉記念館」での特別展『木本咸子と新美南吉』だ。パンフレットの裏面の説明書きが興味深い。……今年は、新美南吉の初恋の女性といわれる故遠藤咸子(みなこ・旧姓木本)とその夫、遠藤峯好の13回忌にあたります。日記に「我がヴィナス」と記した中学生時代の南吉にとって、咸子は憧れの存在でした。その後、交際を始め、南吉が上京してからもその関係は続きました。一時は結婚を誓った二人でしたが、やがて別れを向かえ、咸子は同郷の遠藤峯好と結婚します。これまで、咸子(みなこ)に関する情報は、プライバシー保護のために制限されてきましたが、近年、遺族の理解を得て公開されるようになりました。さらに、咸子の婚家からは、ゆかりの品や大地主であった遠藤家に関する資料が数多く寄贈されました。本展は、情報公開後、初めて本格的に南吉と咸子の関係を取り上げる特別展です。寄贈された資料、そして、南吉が遺した日記、書簡、恋愛や失恋にちなんだ作品などを通して、咸子が南吉の人生と文学に与えた影響についてご紹介いたします。……ふむ、実は「C」でも紹介した南吉の詩篇『去りゆく人に』の内容にとても強烈な印象が残っていて、いったい何があったのだろうと思ったものだった。近くならぜひ鑑賞してみたい展覧会のひつつだ。
中原中也生誕100年 2007/7/15(日)
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 山口市の県庁街の図書館を出て、商店街で2軒のラーメン店に入り、迷いながらも徒歩で「YCAM」を見学した後、湯田温泉にある中也記念館に行った。『中原中也生誕100年』の開催中だった。この期間のテーマは「中原中也とフランス文学」。少し面倒くさい内容で、けっこうなスピードで通過。むふ、相変わらずの客層だ。一人の青い服の女性が矢鱈とこちらを気にしているご様子。2度視線が合う。3度目は危険なので背を向け続けられるポジショニングに成功。必要もなく立ち止まっていると先に2階へ進んで行った。安心して他館の展覧会パンフレット等を物色してから僕も2階へ。ヤベェ、3度目だ。しかも今度は媚態付き。お待ちなせぇお嬢さん、こちとらそのような粋な詩人ではござんせん。中也のような繊細さもありませぬ。どうぞお諦めになっておくんなせぇ、と心で詫びて時間の迫った山口線に乗るべく湯田温泉駅へと急ぎ足に去ったのだった。着くと台風の影響で15分遅れ。おぉ、あと15分、中也の雰囲気に圧倒されてしまうあの場所に残っていれば、恋の火花はスパークしてしまっていたかもしれやせん。(今週から『素浪人・月影兵庫』の息子Ver.が始まるのが何だか嬉しくて…)。右は25日から変わる展示のパンフレット。テーマは「小林秀雄と中原中也」。女の奪い合いだ。ねぇあなた、青い服のあなた、あなたも奪われたことがおありなのでしょうかねぇ。
中原中也と山口の詩人 2007/7/15(日)
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 中也生誕100年を記念して山口駅〜湯田温泉駅界隈が賑やかで、その中のひとつ、山口県立図書館での『中原中也と山口の詩人』を見に行った。古い建物の図書館内での展示ということもあり、有料の有名美術館のような規模であるわけもなく、嘗て僕がSCで展いていた販促企画もまだマシかというようなパネル貼りの羅列なのは仕方がない。しかし銭儲けに走った水増し企画の僕のネタとは違い、その内容は濃く、特に目的の「吉田常夏」に出会えたことは、台風一過の日の大成功の旅になった。展示物の中にあった書籍、『詩人・吉田常夏』を紐解いて必要な部分をコピーできた。近いうちに「名詩の林」の殿堂入りさせよう。
おーい幾多郎 2007/6/25(月)
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文学座の有志による『おーい幾多郎』という舞台の広島公演が9月にあると知って喜んだ………のも束の間、せっかくの明治の偉大な哲学者の変人振りを文学的に表現した面白そうな脚本かと思いきや、なんとも単純な家族愛物語だとサイトの解説から推測できてしまってがっくし。いったいなんでまたどうして文学座までが歴史をほじくり返してまで動物的な血の成り行きでしかない幼稚な親子本能なんぞに手を染めるのだろう。幾多郎センセイの哲学ヲタ性を全面に押し出したマニアックな舞台にしようよ。そうだクドカンにでも頼めばいいんだ。何ならNHK大河ドラマに旋風と非難を巻き起こした三谷幸喜氏でも期待できそうだ。ああ嘆かわしい、こんなことなら「鬼太郎」の父子愛の方がまだましというものだ。
加藤裕三の遊びと手仕事展 2007/6/16(土)
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  周南市美術博物館へ「加藤裕三の遊びと手仕事展」を見に行った。期待以上だった。中でも彼がアフリカで会ったものたちとそれに対する彼の反応が感動的だった。マリのドゴンという町の子供たちが作り出した玩具が素晴らしかった。しかし帰って調べてみると何だか例の対アフリカ偽善団体の介入の気配がするのでこれ以上は触れないことにする。ただ展示の写真に添えられてあった文章の中のひとつにこんなのがあった。(おそらく吉田光夫氏の文)…降りてくる言葉と横切っていく言葉が交わるところで、あなたは立ち止まった。…アフリカのアフリカ的な光景を切り取った写真に添えられてとても効果的なイメージを形成していたのに、帰って言葉だけを読むと何だかムーディ勝山君の♪右から左へ受け流すの歌♪に思えるのは僕だけか。あ、ここの美術館はこの企画展だけでなくて、以前から一度ここを訪れたかったのには「林忠彦」を記念したコーナーが設けられているからで、林忠彦というのは写真家で、‘ルパン’というバーで太宰を撮った一枚で有名だ。僕の書棚には朝日文庫の『文士の時代』と『カストリ時代』という林忠彦の写真集があってけっこうのお気に入り。コーナーにはルパンの店内を再現した一角があって、もちろん撮影OKだ。わははは、太宰というよりも嘗ての恩師で裏切り者の井伏氏みたく写ってしまうのは何故だろう……(^^ゞ
吉備路近代文学の7人展 2007/6/9(土)
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 岡山市の「吉備路文学館」へ『吉備路近代文学の7人展』と『雑誌にみる吉備路の作家たち』という2つの特別展を見に行った。この文学館は2002年の春に元妻と「岡山の詩百年展」に訪れて以来5年振りだ。ちっとも変わっていない。僕以外に訪問者がゼロなのも同じだ。今回の特別展はまあ‘ついで’というか、吉行エイスケ以外は小説家なので興味はなく、その吉行の詩も先日入手したばかりで目新しい情報もなく、僅か「木下利玄」という歌人が詩も書いているかも知れないと思い調べてみたけれど空振りに終わった。今回の目的はその‘調べてみた’という文学館所蔵の文献の閲覧。懐かしい‘カード目録’方式の検索から、隠れた名詩への旅をしようというのだ。文学館のルールでは館内に限り一度に3冊までの閲覧。コピーは文献丸ごとはNGで‘一部のみ’OKという、まぁ通常の条件。そこで探し当てたのが『須一まさ子遺稿集』という1934年発行のガリ版印刷の手製詩集。この人は検索しても「C」関係以外全くヒットせず、その「C」に紹介したのも以前『岡山の現代詩』で1篇だけ知ったのだった。今回彼女の全容を知ることができ、詩集のコピーも‘一部’を入手できたのは嬉しい出会いだった。お手数をおかけした学芸員の方、お世話になりました。いずれ整理して「名詩の林」に加えたいと思う。
川喜田半泥子と人間国宝たち 2007/6/2(土)
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 三次市の「奥田元宋・小由女美術館」で『川喜田半泥子と人間国宝たち』展を見た。というのも、‘日本で一番月が美しく見える美術館’というここのウリである建築とその月光が差し込むギャラリーが見たいとの妻の願望と、三次市までのアクセスとして6月で廃止になるJR芸備線の急行「みよし号」に乗車するという僕の願望が一致したのだ。この美術館は毎月の満月の週末になると22時まで開館を延長して月景色を拝める。そして今月は6/1金〜6/2土が満月開館日でそして、「みよし号」が記念装飾で走るというのだからこんな偶然の機会に恵まれて黙っているわけにはいかない。だから美術館で開催中の企画展はまあどっちかといえばオマケのようなものだったのだけれど、ところがなかなかヤルじゃん半泥子。実は同郷の大先輩だった。名前は聞いたことがあったものの同郷とは知らず百五銀行の頭取とは知らず、そもそも千歳山という標高30mの山も知らず、ってゆーか僕はそこに実質5年しか暮していないし、ここ10年ほどは帰省もしていないので、実家があるというだけで故郷と呼ぶには申し訳ないことではある。それと美術館の冠である奥田元宋氏の嫁はんの小由女さんの作品にラリックの影響を見て感激。中でも亭主との別れ(死別)を表現した「月の別れ」は荘厳。残念ながら曇天で月光を拝むのは断念。またいつかの機会もあるだろう。
始皇帝と彩色兵馬俑展 2007/5/1(火)
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  広島県立美術館へ『始皇帝と彩色兵馬俑展』を見にいった。兵馬俑そのものはTVの特番で予習したし10年ほど前にも1度見ているので歴史や背景や動機やがよくわかった。それにしても権力への凄まじい執着と生への浅ましいばかりの纏着だ。こうまでされるとそのサイズの巨大さと量の膨大さに圧倒はされるものの、でも何だか妙に可哀相というか情けない奴に思えてしまう。ところでこの催しで意外な物と再会した。しかもそれはもしか鑑定団にでも出せば驚きの価格をたたき出すやもしれぬ珍品だ。何かというと「玉蝉」というセミのフィギュア?
展示物の説明書きを丸写ししてきた。…玉蝉は死者の口に含ませ霊魂が外に出るのを防ぐ葬玉のひとつ。鼻、耳、口、肛門、陰部など七つの穴「七竅」を塞いだ…とある。実はこれ、僕チンのあの絶頂期の「トンボ&セミコレクター」時代に数点を手に入れているのだ。帰って押入れの奥のダンボールをかきまわすと出てきたのがコレ。おお!まさかの一財産かもねん。(^^ゞ それとも7個だけチョイスして死んだら穴という穴に突っ込んで霊魂の流出を防いでもらおうかしらん。その時はせっかくだから美人看護婦さんがいいなぁ。
海上自衛隊呉史料館 2007/4/19(木)
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 ‘鉄のくじら’こと「海上自衛隊呉史料館」へ行った。ちょうど海上自衛隊の「護衛艦隊集合訓練」が呉で行われている最中だったので辺りは賑やかな雰囲気に包まれていた。そして当然のように史料館内には全国から集った司令官クラスの徽章を胸に輝かせた幕僚たちが見物していて、そして平日なので訪れる客も‘それ風’のご老人が多く、退役組や元兵士風の様子。その2種類の男たちが館内で語り合う会話のまたなんともリアルで凄まじいこと。ああ、ニッポンの平和維持は大変なのだ。平和に暮らしていられるのはこの人たちの苦労のおかげなんだと、見事に狙い撃ちされてしまった兵器好きのヒロくんだ。そして潜水艦。驚いたのは(幼時からの憧れだった)潜望鏡を覗いた時の妙なトキメキ、というか血の躍る感覚。人間の本性の一部かも知れない‘覗き’願望がむくりと勃ちあがる感じとでもいおうか。狭く暗い密室からニョキリと伸ばした望遠鏡で外界をこっそり覗いているという罪悪感。むふ、変態っぽいかしらん。更にその昔の伊号400搭載の双眼鏡を覗いた時の感動。‘おお、伊400だぜ!’と騒ぐ僕の横で妻はポカンとしていた。
島根県立古代出雲歴史博物館 2007/3/24(土)
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  出雲大社の隣に出来たばかりの「島根県立古代出雲歴史博物館」へ行った。お目当ての「銅鐸」に感激。一挙39個の陳列が凄まじい時間を感じさせてくれた。もっと大きい物かと思っていたら以外に小振り。大陸の‘ベル(鈴)’が起源だそうで同じ材質で復元したモノを持って叩いて音を出してみたら普通だった。学校の教科書で習っていらい僕は銅鐸が好きだったので興奮した。それにもまして物凄かったのが銅剣。まとめて出土した358本を壁一面にずらりと並べたその魅せ方が秀逸。しかも同じ材質で復元した金色に輝く新品を同数並べてあるのだから天空から降る黄金の槍のような迫力だ。もうひとつのお目当ては高さ約48mもあったかも知れないという巨大神殿神話の復元模型。出土した巨木柱(宇豆柱)の3本束ねられた様子はまるで毛利元就の‘3本の矢’伝説を彷彿とさせ、妻の‘サンフレッチェもこれくらい太ければね’という感想がベタだった。
ダリ展 2007/3/17(土)
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 大阪遠征の途次に天保山サントリーミュージアムで『生誕100年記念
ダリ展
創造する多面体』を観てきた。面白かったけれど、大勢の人の行列でゆっくりと鑑賞できなかったのが残念だった。土産に『窓辺に女(Noia la Finestra)』という絵をあしらった名刺大のマグネットを買った。ダリらしくないと妻は言うのだが、尻バック大好きの僕には大好物のアングルでしかも何故かKを思い出させてくれる雰囲気のある絵なのだった。 ところで人ゴミの中に‘マリア’を発見。妻曰く“シャラポワをどうにかした感じ”だけれど僕に言わせればあんな小娘よりもずっと素敵だ。そう、森泉ちゃんを金髪にして大人にしてスペイン人にすればかなり近い。そんな欧州風の美人がブサイクな黄色人種の群れに混じって美を振りまいていた。写真を撮らせてもらう勇気もなく盗撮する根性もなく、ひたすら目に焼き付けて名残を惜しんできた。イタリアのサッカーチームを眼の前にした時の彫刻のような美身にも震えたけれど。ああ、アメ公や黄色い人のなんと醜悪なことかを再認識させられた。何といっても♪鼻が違う尻が違う髪が違うお目々が違う♪←山口百恵『イミテーション・ゴールド』風…ごめんねぇ、黄色い人とまた比べているぅ〜〜
堀口大學 2007/3/12(月)
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ハイビジョン特集の「堀口大學・遠き恋人に関する調査」を見た。素晴らしい。やっぱりセーヌはフランス語が似合う。実は堀口大學とマリー・ローランサンがつき合っていたとは初耳。当時の日本詩壇の隠蔽工作もあって(不倫を美化できない時代)闇に葬られてきた事実をNHKがバラしてしまったのだ。それにしても堀口大學はスゴイ。堀口大學といえば『月下の一群』に代表される翻訳詩と思ったら大間違い。この番組を機会に手許にあった彼の詩集を紐解いてみて感動の嵐だ。訳詩ではなく堀口大學自作の詩の凄まじさ、色っぽさ、ロマンチックさ、そして多作さ。明星(与謝野寛・晶子)にハマり、永井荷風を知り、文学へのめりそうな息子を外交官にするべくフランスやベルギーやスペインに呼んだ自身エリート外交官の父のその配慮のせいで、第一次大戦勃発でフランスから亡命していたローランサンとスペインで出会う大學。彼女との不倫から帰国して第一次大戦が終り、関東大震災があり、第二次大戦が始まって終り、その間ずっと堀口大學は病身の床で詩を書き続けていたのだ。1892年に生れ、1981年に他界するまでの90年間、終えてみれば彼は実にロマンチックに恵まれた生涯だったのだ、本人がどう思っていようと。…………嗚呼、‘美學の中心をややに遠ざかり’なのだ。
【彼女の靴下】
合 あ 彼 美 桃 金 す 皺 膝 彼
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か 燃 り か
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か
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ブルーストッキングの女たち 2007/3/5(日)
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『ブルーストッキングの女たち』という芝居を見てきた。ブルーストッキングとはそのまま訳して‘青い靴下’。つまり「青鞜」。そう、原始女性は太陽だった、のあの青鞜。その頃のお話。伊藤野枝、平塚らいてうの他に‘辻潤’というまるで嵐のメンツのような評論家詩人まで登場するという、まさしく大好きなあの時代を切り取った一片の物語だ。今、100年前の日本の社会批判はあまりピンと来ないが、自分の生活や家庭、家族を犠牲にしてまで大儀のために命をかけることの是非美醜はともかく、犠牲にされた側の、思想や論理ではない本能的な嫉妬や悲しみの方により心を動かされた。嘗て“自分の家族ひとつ守れない男の詩なぞ信用できない”と元妻と仲の良かったキリスト者の伯母に一喝されたことを僕は今も忘れていない。とはいえ、今の日本の繁栄や平和があるのも過去の連続のたまものだ。明治維新を経た紆余曲折の末の現在だ。そんな曲折の中の隅っこ、歴史のあまり重要な舞台ではない端っこに、伊藤野枝、大杉栄等の信念が眠ってはいる。。。ところで野枝ちゃん役の子(吉野智美ちゃん)が可愛くて、おまけに芝居が進むに連れて感情が移入されていくものだから、最期のシーンではついホロリとなってしまった。僕の中で伊藤野枝は石田えり。もちろんそれは映画『華の乱』で野枝を演じたからでそして、その映画で初めて野枝という存在を知ったから。ふむ、久し振りに見るのもいいかもしれない、レンタルしてみようかしらん。
本当にあった純愛物語〜堀辰雄 2007/2/15(木)
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NHKで再放送(2/14)していたハイビジョン特集「コイバナ 本当にあった純愛物語〜堀辰雄〜生と死のはざまに咲いた恋」を録画して見た。今頃の再放送なのはバレンタインの日なのとそして、ゲストが陣内君で2年前の彼が恋を語っているからだろうか。資料として立原道造や神西清への手紙が撮影され読まれていた。立原はともかく神西清とはこれまた奇遇で、もうすぐ彼の死後50年を3月に迎える。親友だったらしく、死の床にある綾子に食べさせる物(ゼリーの素=ゼラチン?)を無心していた。番組は堀辰雄が『風立ちぬ』を書く契機となった恋物語の再構成風で、共に結核を患っていた若い男と女の生命を賭した悲恋だ。結果として婚約者の綾子は死に、小説を書き上げるために死の淵を彷徨った堀辰雄は新しい恋人の看護もあって生き延び、その女性と結婚して15年間を暮らすこととなる。その女性、堀多恵さんは90歳を過ぎた今も軽井沢に暮らし、堀辰雄との生きた証しを守っているという番組最後のナレーションには感動した。へぇ、そうなんだ。今なら僕も自分の恋の小説が書けるだろうか。嘗て書こうとして、詩以外にはできなかった恋を客観的な物語に仕立て上げられるだろうか。陣内君の相手をしていたピンクレディの恵ちゃんの優しくも厳しい語り口が印象的だった。女も40歳になれば命を賭けた恋愛くらい経験はあるものらしい。ああ、恵ちゃん、今なら僕もあの日々を言葉に移しかえることができるのだろうか。
アール・デコ・ジュエリー展 2007/1/28(日)
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 廿日市にある「海の見える杜美術館」というところへ『アール・デコ・ジュエリー −宝飾デザインの鬼才シャルル・ジャコーと輝ける時代−展』を見に行った。初めてのそこはJR宮島口駅から山側へタクシーで10分という、マイカーを持たない身にはとても不便な場所にある。けれど週末は駅まで送迎バスがあるというので行ってきた。ところが知らないということは恐ろしいもので、何とそこは某新興宗教の社長が巨大神殿の一隅に建てた妖しい空間で、このような全国レベルの巡回展でもなければアブナッカしくてとても足を踏み入れる気にはなれない敷地なのだった。現にスタッフは全員妙に礼儀正しくて、学芸員の知的風貌ではなく神経の行き届いたボランティアさんという感じ。そして何よりもその館内の異様な雰囲気。言葉で説明するのは難しいけれど、いつ拉致…誘拐…勧誘…布教…少しお話を聞いていきませんか、と童貞かよっ!みたいなストイックなお兄さんに話しかけられるかもとヒヤヒヤしながら鑑賞していたのでありました。だから結局、アールデコジュエリーどころの騒ぎではなくて、ってゆーか、その殆どが実物ではなくて‘デザイン画’の展示。何だか狐に化かされた気分になったのは僕だけではないと思う。あの鈍感な妻でさえ‘早く帰りましょう’と、その空気を感じ取っていたのだから。
広島大学総合博物館 2007/1/18(木)
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 例によって近代詩人への旅の途中に『広島大学総合博物館』へ寄った。昨秋に開館したと知ってから行く機会がやっと巡ってきた。webサイトの様子や‘無料’であることなどからそれほどの期待はなかったものの、まあそれがちょうど良かったくらいの展示規模だ。けれど「川の都・広島」のことだけはあって、水棲生物に関する今古東西の展示(化石や環境保護)が、嘗ての僕の趣味だった淡水魚飼育や、そこから派生した水への興味を思い起こさせてくれて懐かしさに浸ることができた。ただ干潟や里山のため池などのジオラマに食玩を利用して点在させてくれるのはチョー嬉しかったのだけど、「日本の田舎の池」を再現した場面で、葦に卵を生みつけるアマガエルとそして、少しはなれた岸にトノサマガエルのつもりなのだろう、ま、まさかの‘アメリカウシガエル’を置くのは如何なものかと、、、おそらく実物を見たことのない若者が勘違いして、手に入れた珍フィギュアに舞い上がってしまったのだろう。指摘して正してやろうとも思ったのだけど、ま、いくら同じ物を僕がデスクトップに飾っているとはいえ、相手は広島大学なので、そこは、ほれ、今度行った時にまだそのままだったら教えてやることにしよう。そういえば博物館の場所を尋ねた通りすがりの若者よ、久し振りにお利口で清清しい青年に出会えて気分が良かった。男の子はああでなくてはいけない。礼儀正しく、頭の回転良く、清潔で、元気で明るくハキハキと受け答えのできる若者が、この頃は繁華街から絶滅してしまったのかと危惧していたのだ。おお、こんなところにまだ密かに生き残っていたとは……さすがは広島大学。企業の人事担当者の辛さが目に見えるようなこの頃のバカガキ繁殖状況に何とか歯止めをかけてくれろ。
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