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松陰門下生。1839年8月20日山口県萩市(長州藩)で生まれました。吉田松陰の松下村塾では久坂玄瑞と共に学び、村塾の双璧と呼ばれました。
幕府による長州征伐に対し、藩論統一のため長府覚苑寺に本陣を構える奇兵隊などに決起を呼びかけますが、時期尚早など反論を受け、結局1864年(元治元年)12月15日、伊藤俊輔(のちの伊藤博文)率いる力士隊と石川小五郎率いる遊撃隊らわずか80人程度で兵を挙げ、長府功山寺に潜居していた三条実美(さんじょうさねとみ)ら五卿に向かい「ただいまより長州男児の肝っ玉お見せし申す」と決意を表明し挙兵したのです。この決起がやがて明治維新を引き起こし、武士の時代を終わらせるのです。
また、1866年幕府による第2次長州征伐による四境戦争で高杉晋作は小倉藩などと壮絶な戦いをしますが、この時奇兵隊だけでは兵が足らず、長府藩主に長府藩報國隊の参戦を願いでました。そして、奇兵隊・長府藩報國隊ら約1000人の兵を持って戦い、8月ついに小倉城を攻め落したのです。1867年4月14日新地(下関市)にて病死。
長府藩士だった桂弥一が設立した現下関市立長府博物館(功山寺横)には高杉晋作を始め、坂本龍馬など多くの明治維新で活躍した志士達の遺品が残されています。
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