史跡・旧跡・名勝

侍町(さむらいまち)
 1185年(文冶元年)に、壇の浦合戦で破れた平家の残党追討の命を受けた土肥実平(どひさねひら)が入封し、この辺に居住していたため、いつしか侍町と呼ばれるようになりました。
四王司山(しおうじざん)
 長府松小田の背面に連なる山で標高392m。下関市内では鬼ヶ城山、龍王山に次ぐ3番目の高さを誇る山。頂上からは長府の町や瀬戸内海などが一望できます。
 頂上までの道のりは急な坂道などもあり、決して楽とはいいませんが、頂上から望む瀬戸内海などの風景は、疲れを忘れさせ何度も訪れたくなる程のすばらしさです。
四王司神社(しおうじじんじゃ)
 四王司山の山頂にあるこの神社には、毘沙門天像が安置されています。867年(貞観9年)清和天皇は、国の安泰を願い毘沙門天像を因幡・伯耆(ほうき)・出雲・石見・長門の5か国に安置したといわれています。その長門の分がこの四王司におかれたのです。
白石正一郎邸浜門(しらいししょういちろう)
 下関(竹崎)の回船問屋。高杉晋作発案による奇兵隊創設に自ら参加し、また高杉晋作を始め多くの志士たちに援助を惜しまず、彼の日記によると白石邸を訪れた志士は坂本龍馬、桂小五郎、西郷隆盛など約400人。まさしく明治維新の隠れた功労者です。
 なお、明治維新後は赤間神宮の第2代宮司となりました。この多くの志士たちがくぐったであろう白石正一郎邸の浜門が長府松小田に移築されています。
笑山寺(しょうざんじ)
 長府藩祖主毛利秀元(ひでもと)により、母乃美大方(のみのおおかた)の菩提寺として、建てられたお寺です。その後、秀元の没後、秀元の父元清(もときよ)の法号にちなみ「笑山寺」と改称されました。長府毛利家の菩提寺の一つで、境内の左奥には2代毛利光広(みつひろ)、7代毛利師就(もろたか)の墓があります。
 所在地:下関市長府川端2丁目4−1
 電話番号:0832−45−1012
長門国国分寺跡(ながとこくこくぶんじあと)
 741年(天平13年)、聖武(しょうむ)天皇は諸国に国分寺・国分尼寺を建立しました。長門国分寺もその一つです。現在の国分寺は南部町にあります。
野久留米街道(のぐるめかいどう
 国道9号線前田から長府功山寺と続く旧道。また、この街道の途中から源平壇ノ浦の戦いに敗れた平家が落ちのびたと伝えられている「高畑部落」への道と通じます。
 
幕末時、維新への幕開けとなった高杉晋作功山寺挙兵の際、挙兵後晋作らはこの街道を駆け抜け萩本藩新地会所を襲撃したと言われています。


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