| 阿川五郎 長府藩士。長府藩報國隊士。嘉永2年生まれ、1868年(明治元年)7月22日北越戦争にて戦死。 |
| 赤根武人(あかねたけと) 第3代奇兵隊総督。 |
| 足利尊氏(あしかがたかうじ) 尊氏の残した和歌(重要文化財)が忌宮神社に残されています。 |
| 有川恒槌 長府藩士。1846年1月13日生まれ。1863年(文久3年)8月22日長府藩の青年武士によって結成された精兵隊の発起人の一人であり中心人物でしたが、1863年11月27日脱藩したことから精兵隊は解散となります。1864年(元治元年)7月19日京都蛤御門の変にて戦死。 |
| 生田蝶介 歌人。1889年5月26日生まれ。1976年(昭和51年)5月3日死去。 |
| 石川小五郎(いしかわこごろう) 1864年(元治元年)12月15日高杉晋作が起こした功山寺(長府)挙兵に、遊撃隊を率いて行動を共にします。 |
| 伊藤俊輔(博文)(いとうしゅんすけ) 初代内閣総理大臣。松下村塾門下生。1841年9月2日生まれ。1864年(元治元年)12月15日高杉晋作が起こした功山寺(長府)挙兵に力士隊を率いて行動を共にします。明治政府では初代内閣総理大臣となります。1909年(明治42年)10月26日満州ハルピン駅にて遭難し死去。 |
| 臼杵駿平 長府藩士。敬業館教授。1864年(元治元年)6月21日京都で暗殺されました。 |
| 応神天皇 記紀伝承で、第15代の天皇。名は誉田別(ほむたわけ)。仲哀天皇の第4皇子。母は神功皇后とされていますが、天皇の誕生には伝説的は色彩が濃いようです。 |
| 小田南がい(おだなんがい) 敬業館学頭。長府藩の儒臣。父は長府藩11代藩主毛利元義の侍医松岡道遠(まつおかどうえん)。1835年10月16日死去。 |
| 小田享叔(おだこうしゅく) 長府藩の儒者。1801年1月15日死去。 |
| 梶山鼎介 長府藩士。長府報國隊士。嘉永元年10月20日生まれ。1933年(昭和8年)3月25日病死。 |
| 河崎 薫(かわさきただす) 長府藩士。砲術家。1823年4月1日生まれ、1871年(明治4年)4月27日病死。 |
| 奇兵隊(きへいたい) アメリカやイギリスなどの四カ国連合と戦うために、高杉晋作の発案により結成された奇兵隊ですが、やがて四カ国連合だけでなく幕府との四境戦争や戊辰戦争など活躍します。 この奇兵隊ですが、高杉晋作の功山寺挙兵には賛同しませんでした。また、1864年(元治元年)11月16日に山口から諸隊に守られながら、長府功山寺に入った尊攘派の公卿三条実美ら七卿ら警備のため、長府覚苑寺に本陣をかまえます。 |
| 興膳昌蔵 長府藩医。 |
| 白石正一郎(しらいししょういちろう) 文化9年3月7日生まれ。下関(竹崎)の廻船業。高杉晋作発案による奇兵隊創設に自ら参加し、また高杉晋作を始め多くの志士たちに援助を惜しまず、彼の日記によると白石邸を訪れた志士は約400人。まさしく明治維新の隠れた功労者です。 明治維新後は明治10年12月から明治13年8月まで、赤間神宮(下関市)の第二代宮司(初代宮司は笠原頼十郎(かさはららいじゅうろう:明治8年10月7日から明治10年12月))を務めました。1880年(明治13年)8月21日病死。現在、白石家の浜門が長府松小田町に移築されています。 |
| 武内宿禰(たけのうちのすくね) 大和朝廷の初期に活躍したという伝承上の人物。孝元天皇の曽孫で、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の五期にわたって仕えます。成務天皇のとき大臣、仲哀天皇に従って熊襲を征し、仲哀天皇の崩御後、神功皇后を助けて新羅に遠征。また幼帝応神天皇を助け、偉功があったといわれています。 |