長府毛利家
![]() 櫛崎城址 |
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櫛崎城石垣 |
![]() 毛利家墓所 (長府功山寺) |
| 毛利秀元(もうりひでもと: 1579ー1650) 長府藩36200石初代藩主。毛利元就の四男穂田元清の子として備中猿懸城に生まれます。豊臣秀吉から厚い信任を受け、秀元の秀は秀吉より頂いたのです。 武将としても優れ、文禄元年豊臣秀吉の朝鮮出兵に際しては、輝元に代わって毛利軍の総大将として出陣し、慶長2年の再度の朝鮮出兵には、全軍の総指揮官として、出陣し戦功をあげました。また、この文禄の役のとき、豊臣秀吉が母親の急病を見舞うため船で大阪に帰る途中、下関市彦島沖(関門海峡)で船が暗礁に乗り上げ遭難したのを秀元が救います。 西暦1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いでは豊臣方に加担し伏見城攻撃に参加しましたが利あらず、毛利氏が防長二州に削封されるや秀元は長府藩を創設。同7年櫛崎城を再築しこれを居城とし近世城下町の基礎を固めます。しかしながら、元和元年幕府の一国一城の令により、1615年閏6月13日櫛崎城を破却し隣接地に居館を造営。1643年9月3日毛利元就の伝記を完成。慶安3年閏10月3日江戸に没し(72歳)泉岳寺に葬られ、長府の功山寺に帰葬されます。また、明治10年忌宮神社内に霊社を建て豊功神社に祀られました。 *尚、平成12年秀元没後350年を記念して、大法要等などが行われました。 |
![]() 「毛利秀元画像」 狩野探幽筆(部分) 長府毛利家蔵 |
| 毛利光広(もうりみつひろ:1616ー1653) 長門長府藩36200石、第2代藩主。慶安3年11月11日長府藩祖秀元の2男として長府に生まれる。慶安3年11月家督を相続。赤間宮に57石を与え、祖父毛利元清(笑山大居士)の霊位を長府の潮音院に移し笑山寺と改め、寺禄88石を与えるなど敬神尊祖の念深いものがあった。その後、在任わずか3年の承応2年7月2日江戸に没し(38歳)、笑山寺に帰葬される。 |
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| 毛利綱元(もうりつなもと:1650−1709) 長門長府藩第3代藩主。先代の光広の嫡男として江戸に生まれる。承応2年7月光弘の死により同年10月わずか4歳で家督と継ぐ。以後、在任56年の長きにわたり、藩政に意を注ぐ。天和3年「天和御法度」制定により、倹約と衣類の制限など行い、元禄10年には窮民救済の法を定める。また、貞享3年後水尾法皇に和歌5首の勅批の栄を受け、宝永4年名高い歌集「七石集」を著すなど和漢の学にも長じ、藩政においては文武両道の学制を定める。宝永6年3月江戸に没し(60歳)、長府覚苑寺に帰葬される。 |
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| 毛利元朝(もうりもととも) 長府藩第4代藩主。1713年萩毛利を継ぎ、10月23日元矩が長府藩を継ぎます。 |
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| 毛利元矩(もうりもとのり) 長府藩第5代藩主。1713年10月23日元朝が萩本藩を継ぐことになり、変わって長府藩藩主となります。1717年3月20日死去。 |
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| 毛利匡広(元平)(もうりまさひろ) 長府藩第6代藩主。毛利秀元の孫。清末藩主であったが1717年3月29日長府藩主毛利元矩死去により、長府藩に入り遺領相続する。のちに匡広と改名。但し、これにより清末藩は中絶となります。1729年9月19日長府にて死去。覚苑寺に葬られています。 |
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| 毛利師就(もうりもろたか) 長府藩第7代藩主。1735年4月22日江戸にて死去。 |
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| 毛利匡敬(もうりまさたか) 長府藩第8代藩主。1735年6月14日わずか11才で家督を相続。 |
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| 毛利匡満(重就)(もうりまさみつ) 長府藩第9代藩主。1748年3月12日長府に生まれる。1751年2月4日わずか4才で藩主となります。1751年7月21日重就と改名。1769年9月10日江戸にて死去。 |
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| 毛利匡芳(もうりまさよし) 長府藩第10代藩主。1769年8月25日毛利家を継ぐ。1792年死去。 |
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| 毛利元義(もうりもとよし) 長府藩第11代藩主。1785年11月9日江戸にて生誕。1792年8月14日匡芳の死去に伴い家督を相続します。下級武士から人材を起用するなど、藩政改革につとめた名君として名を遺しています。 また、歴代藩主の中でも優れた文人藩主として知られ、詩や絵に対する才能をみせ、蘭斎と号し、梅を愛したことから梅趣(ばいしゅ)ともいい、狂歌では梅廼家真門(うめのやまかど)と名乗るなどの多彩ぶりでした。 風雅の道を愛した藩主の影響を受け、長府藩の文運盛んな一時代を画します。女流俳人田上菊舎などが活躍したのもこの頃です。1841年10月1日元運に家督を譲り隠居となります。1843年4月5日江戸にて死去。 |
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| 毛利元運(もうりげんうん) 長府藩第12代藩主。1819年12月9日生誕。1841年10月1日元義の隠居に伴い家督を相続する。1852年閏2月27日江戸にて死去。 |
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| 毛利元周(もうりもとちか) 長府藩第13代藩主。文化4年生まれ。1852年閏2月27日元運の死去に伴い、同じ年の6月2日家督を相続する。1868年3月5日、家督を元敏に譲り隠居する。 1868年(明治元年)5月7日長府にて病死。覚苑寺に葬られています。 |
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| 毛利元敏(もうりもととし) 長府藩第14代藩主(藩主としては最後の藩主となります)。嘉永2年5月3日生まれ。1849年5月3日江戸にて生誕。1868年3月5日、元周の隠居に伴い家督を相続する。明治に入り1869年6月26日豊浦藩知事となる。1908年(明治41年)4月25日長府にて病死。覚苑寺に葬られています。 |
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| 毛利元雄(もうりもとお) 長府毛利家第15代。 |
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| 毛利元匡(もうりもとまさ) 長府毛利家第16代。 |
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| 毛利元海 長府毛利家第17代。 |
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| 毛利陽織 長府毛利家第18代。 |