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児童と英語教育
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Since February 2, 1999

我が家の英語教育

eigo1988年  1月 娘誕生。英語教育を施したいと考えるが、方法が分からず途方にくれる。

子どもには、本の読み聞かせが大切と、生後直後から本を読んでやる。子どもが生まれてから数百冊の絵本・児童文学を購入し、1日に30分以上の読書時間を設ける。たまに、英語の絵本も読み聞かせる。英語の歌もたまーに歌ってやる。英語に関しては、ほとんど何もしないまま2年間が過ぎる。

      12月 母と子の育児サークル「ひよこの会」の発起人となる。

公民館活動「ひよこの会」で府中町の保育所の所長さんから教わった手遊びと「子どもを愛する心」が私の英語指導の原点。日本語の手遊びも所長さんに教わった。

1990年  1月 息子誕生。

       4月 NHK教育テレビで「英語で遊ぼ」放送開始。

「英語で遊ぼ」放送開始に児童英語教育革命がおこるぞ!とショックを受けた。

       5月 近所の2歳児2人と娘に母と子クラスのFruit Class1週に1回を開始。

グループレッスンは娘(2歳)一人対象に英語を教えること・英語を話しかけることができないので苦肉の策だが、英語はみんなで楽しく遊ぶ手段と娘に感じさせたかった。1月生まれの息子は、背中におんぶして英語指導。育児英語サークルみたいなもの。

「英語で遊ぼ」15分と「Sesame Street」60分を録画したビデオ5本作り、毎日1回見せる。「英語で遊ぼ」を録画したテープに続いて「Sesame Street」を録画する。「Sesame Street」は5週間ごとに録画し直す。テレビやビデオは、子どもの脳によくないと考えていたのでビデオをみせるかどうかかなり悩むが、見せるテレビ番組はこれだけに限定した。1歳未満だったと思うが、息子が「Sesame Street」を見ながら、ビデオ音声をまねして"Pentagon, octagon...."とつぶやいている。母語の日本語でさえ、「こんなの教えなくていい」と考える語彙である、「五角形」と「八角形」を興味をもって眺めて、言葉をまねている事実に驚く。日本人英語学習者には難しいと思えるこれらの語は、実は、子どもには難しくないのだ。子どもはまねて(mimic)言うだけなので、当然すぐに忘れるが。

まねるのが上手な子どもは、娘よりFruit Class中に発話が多いし、アルファベットもたくさん読めた。継続することで、英語の力が付くのだと思うので、こつこつ続けていこうと思った。

       9月 英語母語話者の母と子の英語クラスに1週に1回、5ヶ月間通う。

娘の年齢が低すぎて、英語学習としてよかったのかどうか、親として判断が難しい。嫌がることはなかった。私としては、英語母語話者(アメリカ人だと思う)の英語指導の勉強となった。午後1時すぎからのクラスだったので、英語母語話者の英語に慣れてほしかった息子は、大部分の時間ベビーカーの中で昼寝していた。

      10月 Fruit Classに母と子二組加わって、子ども5人となる。

この頃、近所の公民館で育児サークル「とんぼ」の発起人となる。0歳の息子と2歳の娘2人を連れて歩いて「ひよこの会」の会場の公民館に歩いて行けなくなった。遠すぎるから。がっかりしていると近所のおかあさんから、「歩いて行けるところで育児サークルがあればいいね。」と、言われて「とんぼ」を立ち上げる。「ひよこの会」も「とんぼ」も、会員としては卒業したけれど、二つの会は今も地域のおかあさん達に支持され、活発に活動している。とても嬉しい。

1991年  3月 娘が幼稚園に入園のため時間の都合がつかないので、Fruit Classを休止。

Fruit Classは娘(3歳)にはとてもよかった。英語学習の開始が、友達と楽しく英語で遊べるという体験だったことを私は満足している。

       4月 ラング教育センターの幼稚園クラスに1週に1回通い始める。

娘が卒園するまでの3年間、ラング教育センターに通う。教師は、英語母語話者。ラング教育センターでは、英語母語話者の発音に親しみ、リスニング能力が高まればいいと考えていたので、クラスで何を学んでいるかあえてきかずに3年間過ごした。

       8月 Oxford Junior Workbook Introductyory AとIntroductory Bをする。

私が夕食後の洗い物をしている間、娘が一人で作業する。すでに、Red, green, blue, black and yellowの音はインプット済み。一日に30分前後、娘の気が向くだけ作業した。2週間で2冊塗り絵を終え、すっかりこの5語が読めるようになったので驚く。

       9月 娘の幼稚園のお母さんたちから、幼稚園児に英語を教えてと依頼される。

私の父が、1991年5月に破傷風から生死の境をさまよい、それ以来入院していた。父の様態が何度も悪くなり、娘としてとてもつらく、英語教室開始の依頼を断っていた。娘と息子が中学生になったら、英語教室を開設したいと思っていたが、何度も依頼してくださるし、できる範囲でやってみようと考えるようになった。

      12月 英語教室(Apple Class)開始。

Apple Classは幼稚園年少児対象のクラス。英語教室子供英語を開始して我が子によかったことは、たくさんある。(1)友達と楽しく英語に親しめる。(2)一定のペースでの英語の4技能を着実に学習できる。我が子にも価値ある指導ができるよう、教室のレベルも常に向上していくよう心がけた。

           「英語で遊ぼ」と「Sesami Street」を見せるのをやめる。

テレビは「英語で遊ぼ」15分と「Sesame Street」だけにしていたが、公園で友達と遊んでいて、娘だけが「セーラームーン」の変身ポーズを知らないことに気が付いた。テレビ番組を見て、その時代の流れを知ることも大切かもしれないと思い、夜7時頃から(夕食後)30分間テレビを見ることにした。「セーラームーン」を初めて見た時、話が終盤のバトルシーンに入ると、娘は私の背中にしがみつき、息子は恐怖で泣き出した。これらは、残虐なシーンに対する幼児の正常な反応だと思う。こんな精神衛生上悪いものを幼児に見せていいものかと私は思ったが、この時からテレビは、夕食後30分間、子どもが見たい番組を見せている。以降、「英語で遊ぼ」をたまに見るくらいで、「Sesame Street」はほとんど見ないし、英語のビデオもほとんど見ないまま現在に至る。

1992年  6月 育児サークル「とんぼ」で英語遊び指導を開始。

「とんぼ」の子ども達は、英語遊びをとても楽しんでくれる。

      8月 公文の英語を開始。

1991年8月にOxford Junior Workbookを楽しく作業したことから、幼稚園児でも読み書きが可能であると考えていたため、公文の英語を開始。毎日、一定のペースで英語を書くことを継続させたかった。公文の英語の歌のテープと教材のテープを聴く。公文は娘が幼稚園の間は、1週に1回通った。その後は、1,2ヶ月に1回通う程度。子どもには、遊ぶ時間も必要なので、それを確保するために、公文の指導も私が行った。プリントを教室に持っていて、もらって帰る。公文には、プリント内容を英語母語話者が録音したテープがあり、よく聞いた。

      12月 「とんぼ」で英語遊び指導を休止。

息子(2歳)が幼稚園に1月から入園(年少の1歳下クラス)するので、12月末で「とんぼ」英語遊び指導は休止。         

1993年  4月 息子がラング教育センターの幼稚園クラスに1週に1回通い始める。

息子(3歳)は、私と離れて教室に入ることができず、泣いて泣いて大変だった。しかし、息子と一緒に教室に入室し、英語母語話者の英語指導を見ることができた。歌を歌って、子どもを楽しませる英語ののりは、日本語とは異なるので大変参考になった。優れた教師もいるが、中には、"What a mess!"と言うばかりで、クラスをまとめ、課題に向かわせるのが下手な教師もいた。息子も公文の英語のプリントを開始。これも、指導は私がする。

      11月 Lemon Class開始

子供英語の新規クラスLemon Classを開講。息子もそのメンバーの一人となる。子供英語では、4技能を少しずつ同時に指導する。息子も娘も「子供英語」のクラスの中でよくできている。が、いつも一番できるのではない。場面場面で、感性の豊かさを発揮できた子がさっと英語の物語を理解したり、絵本の挿し絵に二つの意味があるとぴんときて分かる子どももいる。また、クラスの中でいつも全くできないという子どももいない。このような雰囲気のいい、仲良く英語に親しめるいいクラスの中で、子ども達が英語に親しむことができて、とても幸せだ、子供英語のクラスは、回を重ねるごとに少しずつ無理なく4技能のレベルを上げていくことを目標としている。色々思い悩むこともあるが、少しずつ上がるレベルに楽しんで付いてきてくれるいい生徒に恵まれてうれしい。当時はよく分からなかったが、子供英語のメンバーであるという英語環境はうちの子どもにとって、英語習得の根幹といえる。

1994年  1月 「とんぼ」の英語遊び指導を再開。

育児サークルは、集団遊びの機会となるし、息子と娘と私を育ててくれた。育児サークルのおかあさん達は、子どものために、共同で活動プログラムを考え実行する。0歳から4歳の未就園児を連れての活動は、楽しいけれどけっこう大変。お手伝いがしたいと申し出てると、大歓迎。1ヶ月2回ペースで、英語遊びを指導。英語を教えることが目的ではなく、子どもを楽しませることが第一目的で、その手段に英語が使われるだけ。我が子が幼稚園に入園までは、日本語の手遊びも毎日親子で楽しんだが、だんだん忘れていってしまう。未就園児を楽しませるために、仕事でもある児童英語の指導技術を発揮できてうれしい。

       3月 ラング教育センターを娘と息子同時にやめる。

息子(4歳)が、ラング教育センターに通うことを嫌ったためにやめた。最後は、私もラング教育センターの看板を見るだけで動悸がしてくるくらい、息子を通わせるのがつらかった。何でも途中でやめてしまうことはよくないと常々教えていたので、1年間だけは継続すると息子に宣言していた。やめて本当にほっとした。娘(6歳)はそのまま継続してラング教育センターに通いたがっていたので、残念そうだった。最後のクラスの帰り道、何を学んでいるか娘に聞いてみたら、職業を英語で次々と言ったので驚いた。また、 "Where do you live?" "I live in Hiroshima."を家では教えていなかったのにすらすら言えたので、ラング教育センターにがんばって3年間通って、よかったと思った。

      4月 ディズニー映画「Cool Running」を見に行く。

ディズニー映画「Cool Running」を息子と娘と3人で見に行く。英語で字幕スーパーの映画鑑賞第1回目だった。字幕が見えないと困るので、最前列で見た。6歳の娘も4歳の息子も漢字がたくさん読めるので、字幕が理解できると判断して、字幕映画鑑賞に踏み切った。字幕はどんどん入れ替わるが、これに2人の読むスピードがついていける(特に息子)という確信がなかった。が、娘も息子も喜んで見た。ストーリーが分かりやすかったので、良かった。ビデオでなく映画館で映画を鑑賞するには理由がある。ビデオだったら他のことに注意が引かれてしまったら、子どもは見ない。映画館だったら、最初から最後までずっと見るから。実際「子供英語」の生徒に英語のビデオを鑑賞したら、ちっとも集中できなくて、画面を見なかった。

1995年  1月 娘が、文部省英語技能検定試験5級(俗に言う「英検」)に合格。

幼稚園年少から英検5級にチャレンジしはじめ、小学1年生の1月に合格。英検が早期英語教育した子にいいのは、今までの英語学習のまとめになるから。英検は、英語能力の他にマークシート等の処理能力も必要だ。子どもそれぞれ発達段階があるから、幼くして合格したからと言って英語能力が高いのではなく、逆もまた言えることだ。

         映画「アポロ13」を見に行く。

何月かは定かではないが、映画「アポロ13」を見に行く。英語で字幕スーパーの映画鑑賞第2回目。5歳の息子を連れて、映画館の客席に入ると、観客の多くが「子どもが騒いだら嫌だな」という様子で、あからさまに嫌な顔をする。息子は最初から最後まで静かに映画を見た。息子は宇宙が好きなので、ロケット発射場面を見せようと思った。持っていった小さめのボストンバッグの上に座らせたら、息子はスクリーンをやっと見ることができ、アポロ13号の発射場面をとても喜んだ。二酸化炭素を除去する装置を作る場面あたりから息子は寝た。アポロ13号が無事地球へ帰ることができ、着水するあたりに目をさました。息子の映画鑑賞は、一応大成功だったが、英語は難解すぎたようだ。7歳の娘は、十分楽しんだ。よかった、よかった。

2001年6月、息子が「アポロ13」を見た時の思い出話をしてくれた。行きのバスの中で、私が映画のストーリーを細かに説明したそうです(私は、もう、覚えていません)。身振り手振りも再現してくれて、「これがこうで、こうなるから、こうなのよ〜」だそうです。そのため、映画を見ていてお話がとてもよく分かったそうです。

       4月 私の英語教室でパソコンを使って英語指導を開始。

パソコンはテレビと一緒で、それだけさせても、英語体験としては不十分だと思う。私は、パソコンタイムと称して、パソコンを生徒の宿題チェックと音読個人指導の間の助手として利用。ある子の音読指導と宿題チェックの間、別の子はパソコンで英語の自習。他の子は自己紹介の絵本の挿し絵を描く。パソコンタイムの間は、私の英語音声とパソコンの英語音声がとぎれることがない。ちょっとした短い時間も生徒に有意義に過ごさせることができて、大変満足。娘(7歳)もクラスの中でパソコン操作を自然に覚えた。

      10月 娘が、文部省英語技能検定試験4級に合格。

英検受験日の1ヶ月前から、受験準備をし、1回30分程度、過去問題集をして解説する。娘には文法事項は教えない。

      12月 意を決して、私もラング教育センターで英語の学習を開始する。

子どもに英語を教えることで、中学や高校で学習しない動物や野菜などの英語の生活語彙は増えるけれども、時事英語のような語彙は忘れていくばかり。これではいけないと、ラング教育センターへ通い始める。時事英語の記事を読んで英語で討論するクラスへ通った。なぜ、「意を決して」なのかというと、まだ息子が幼稚園で、送迎に時間がとられ、英語学校へ通うこと自体で、1日のリズムが崩れてしまうから。翌年4月から小学校1年生になり、ますます、帰宅時間が早くなるので、英語学校へ通う時間を維持し続けることができるかどうかどうか不安だった。

以上の、不安にも関わらず、子どもの英語のためには、色々とチャンスがあった。ラング教育センターの大人向けのクリスマスパーティーに、娘と息子を連れていく。先生と相撲をするコーナーがあったが、娘と息子は大変喜んだ。相撲の相手になってくれたイギリス人の先生が大好きになった。

1996年  3月 ディズニーアニメ「Toy Story」を見に行く。

英語の映画字幕スーパー鑑賞第3回。ディズニーの映画は、英語が全てわからなくてもストーリーが分かるので、英語版で見るときにはいいと思う。娘(8歳)も息子(6歳)も、楽しんだ。楽しい結末だと、ほっとする。

       4月 ラング教育センターの花見に子どもと参加。

息子と娘に英語を話す機会を与えようと考えた。娘は、挨拶程度をちょっと話しただけで終わった。息子は、英語をほとんど話さなかったが、サッカー好きのイギリス人と一緒に、夢中でサッカーをした。サッカーの途中で、息子がそのイギリス人の首に抱きついて「なかま!」と言う。私がそれを"We are friends."だと伝えると、イギリス人は大感激。子どもに英語を話させることに拘っていた私は、目からうろこ状態で驚いた。当然のことだが、人と人とのコミュニケーションは語学力だけでなく、人と人との心のつながりも大きいのだと息子から教えられた。

       5月 イギリス人を家に招待する。

子ども達が、クリスマスパーティーで娘と息子と相撲をとってくれたイギリス人が大好きだと言ったので、我が家に招待した。一緒に公園で食事をした後、家でくつろぐ。子ども達は、あまり英語で話さないが、イギリス人が言う冗談は理解できて、大笑いしている。

       7月 イギリス人を家庭にまねく。

5月に招待した同じ人を、再び招待した。わざわざ彼の所有する子ども用を持参してカード遊びをしてくれた。この日は、彼は、うちのだんなが演奏するギターにあわせて歌を歌ってすごした。

       8月 映画「Flipper」英語版を「子供英語」の生徒と見に行く。

英語映画の日本語字幕スーパー版鑑賞家族としては第4回目。「子供英語」の夏休みのプログラムとしては初めて。小学3年生4人と小学4年生1人(Apple Class)と小学1年生の息子と見に行く。息子のBanana Classは小学1年生3人と幼稚園年長2人クラスで、英語の映画を全編映画館で鑑賞するのは、まだ落ち着いて過ごすことは出来ないので、一緒に連れていかなかった。息子は、これ迄に英語の映画の鑑賞経験があるので参加した。本当は、6歳の息子一人を留守番させられないから。

      12月 JALTのPotluck Partyに子どもを連れていく。

子どもを連れていかなければいけない用事の後に、Potluck Partyに参加。子どもがJaltの方たちに迷惑かと迷ったけれど、1997年3月に、イギリスの語学学校へ行くため、イギリス事情を聞いてみたかったので、思い切って参加した。子ども達は好き勝手に何か食べているだろうと、私はイギリス人との話に熱中した。Party終了後、たくさんの人から「お宅の娘さんは、英語が上手」とほめられて驚いた。私が話をしたこともない人から、「あなたは府中町にすんでいて・・・」と、子どもが英語で自己紹介した事柄を伝えられた。息子は食べるばっかり。子どもが、うちとけやすい雰囲気があったために話しやすかったのではないかと思う。また、英語教師として、大学で教鞭をとっている英語母語話者ばかりなので、日本人が学習している英語が何かよく分かっているから、それにそって話しかけてくれた可能性も大きい。

1997年  1月 英語母語話者の英語教師に子ども達の個人指導(2人一緒)を受けた。

私の主催する英語教室に指導にきてくれるように、英語母語話者の英語教師に依頼した。1回の指導時間が2時間ないと来ないと言われる。仕方なく、私が教えているクラスが1日1時間の日は、そのクラスを指導後、うちの子を1時間指導してもらうことで英語教師と折り合う。金額的には高くつくが、このような状況でないと、個人指導を依頼する決心がつかない。合計5,6回個人指導してもらった。

       3月 春休みに、イギリスの語学学校へ行く。

インターネットで語学学校を探し、1週間、子どもは子どものための小さな語学学校へ、私は大人のための学校へ通う。その後、3日間ロンドン観光した。家族3人を受け入れてくれるホームステイ先(ピアノの練習もできるお宅)を探してもらった。子ども向けの語学学校には、ヨーロッパから小学生・中学生が来ていた。娘と息子が入ったクラスは、小学4年生から6年生が6,7人いた。息子は小学1年生、娘は小学3年生を終了したところで、他のクラスメートに比べて、年齢が低かった。娘(9歳)と息子(7歳)のクラスの先生に、2人の様子を聞いてみると、「分かることはたくさんあるんだけど、お宅のお子さんの英語のレベルが低い」といわれてショック!帰宅して2人がクラスで何を勉強したか見てみたら、息子は課題の"I can -."の文章をちゃんと書いていた。それでは、息子のノートをご覧下さい。こちらが娘のノートです。年齢が低いから、高学年中心の授業についていけなかったのかと思った。「日本で第2言語として英語を勉強している小学1年生で、"I can swim."の文章が自力で書けるのは(娘が多少教えていると思うが)レベルが低くないぞーーー!」と心の中で叫んだ(学校の批判を子どもの前で言うといけないから)。

中2になった娘が、このホームページを初めて読んで、「英語のレベルが低い」と判断された理由について、教えてくれた。「数を数えることは、できたんだけど、'number'という英語を知らなかったから、言われている意味が分からなかった。後で、先生が何を言っているか分かったから、他の子と一緒に『よく理解できている』という態度をとったんだけど、先生が、私が数が分かると思ってくれなかった」と、娘が言っていました。

うちの子の英語教育(他の面でも)の特徴だと思うのですが、子どもが失敗をして、子ども本人にその失敗をして悔しいという気持ちが必ずあるのだから、失敗をしても子どもを責めないで、子どもと一緒にその事実を受け止めます。私は、「仕方ないよね」「そんなこともあるよ」という態度をとります。「次はがんばろうね」という声かけはしません。また、子どもががっかりしていても、慰めることはしません。子ども本人が、「次はこうしたい」と自分なりに思うので、その気持ちを大切にしたいと思います。一緒にその事実を認めることが、一番の慰めと励ましだと思います。

例えば、子どもが外国人に話しかけたいんだけどできない場合、「○○さんに会えてよかったね」と声をかけます。すると、がっかりしていた子どもの心が少し晴れます。英語で挨拶ができるようになったけど、思うようにたくさんおしゃべりができなくて、がっかりしていたら、「挨拶ができてすごいねえ」と声をかけます。以上は、幼児の時の言葉かけです。

小学校になって、例えば、イギリス人が家に来た時に、その人がたくさん英語で冗談(子どもが喜ぶ話)を言ったけれど、それに対して大笑いするだけで、子どもから英語の発話がなくて、親ががっかりしても、「○○さんって、面白いねえ、よかったね」と話しかけます。

中2になった今、そんなに優しい言葉かけはしませんが、今まで、子どもの行動を全面的に認めてやっているので、子どもも親の私に対して深い信頼が築かれています。反抗期で、小憎らしいこともありますが、「いざとなると親がいる」と子どもが考えているのは、子どもを目の前にして気恥ずかしい気持ちを感じることもありますが、幸せです。

語学学校二日目の授業が終了後、校長秘書から「2人のために先生をさがすから、別のクラスにすることを許可してほしい」と相談を持ちかけられた。授業料は同じなので、2人に1人の先生をつけてもらえて、得をしたかもしれない。得といえば、同じ日程の中学生のツアーと行き帰りの飛行機が一緒だった。旅費を尋ねてみると、うちの旅費のほとんど倍の40万円以上。やっぱり、個人旅行で、学校と直接交渉をして、ホテルも安いところを選んで、飛行機の切符も安く買うと、安いですね。

ホームステイ先で、息子の弾くピアノが大受けでした。「かわいい」んだそうです。

娘がイギリスで得た、英語を話すこつは、以下の通り。「大きな声で、分かってもらうように話さないと、英語は通じない。」娘が所属しているApple Classでそれをつげたら、「日本でそれをやると、周りからういちゃって変よねえ。」というのが、他の子の反応。そのメンバーの中には、帰国子女もいたのに、みんな日本語文化に慣れ過ぎちゃっているんだねえ。

最近(2001年8月)になって、娘が教えてくれたのですが、「イギリスでは、とにかく英語が分からなくて困った」そうです。それで、「イギリスでそんなに英語が分からなくて困ったのに、どうして2年後にカナダに行く気になったの?」と質問してみました。娘は、「何とかなると思ったから」と答えていました。

       6月 私の英語教室の英語ホームページKodomo Eigo Homepage(子供英語サイトにプロジェクト掲載)を開設し、国際交流開始。

生徒に英語のE-mailを書かせた。最初は、私が届いたE-mailを音読し、生徒がそれをリピートし、感想を英語で好き勝手に言わせたり、日本語で言いたいことを英語に直してリピートさせたりして(これが大切。子どもは自分が言いたいことなら英語で話すし、覚える。)手紙を書き上げた。次は、生徒一人一人にE-mailを自分で書かせた。かなり高度な英語力が必要で、このすてきなクラスに娘が所属することは、素晴らしいことだ。我が子相手だと、途中で堪忍袋の緒が切れることも、生徒相手だと忍耐心が働く。クリスマス発表会の演目としてキリスト生誕の紙芝居を作成し、ネットに公開したら、すてき!とメールが届く。

     12月 娘が、文部省英語技能検定試験3級に合格。

英検4級合格後、娘は4度めの受験で3級に合格した。いつも通り、受験日の1ヶ月前から過去問題集を親子で勉強する。2ヶ月前から開始するなど、工夫をすればもっと早期に合格したと思う。しかし、我が家はいつもマイペース。

1998年  7月 夏休みに、カナダの語学学校へ行く。

bulffaloカナダのロッキー山脈の中の語学学校へ2週間行く。これもインターネットで探して、直接交渉する。インターネットはとても便利だと思う。学校の寮の3人部屋に2人の子どもと滞在する。近くにMallがあるので、そこで買い物をし自炊する。掃除は掃除担当の人がしてくれるが、私の毎日は、日本の主婦生活とほとんど同じ。

hiking娘(10歳)は、スイス人に"What language do you speak in Swiss(本当はSwitzerland)?"と自力で尋ねた様子(後で、教えてもらったから知っている)。娘はこの程度の会話はしているらしい。息子(8歳)は、いつも娘と一緒で通訳もしてもらうので、自分の英語力には自信がないらしい。地元の子どもと一緒のスイミングクラスから帰ってきて、「先生が"Good job!"っていってたけど?なんて意味?」と私に尋ねる。「『よくできたね』ってことよ」と教えてやったら、「ぼくは、何をいっているのか全然わからない」と嘆く。ちゃんと聞き取れて、それを覚えて、上手に発音できるくらい、よくできていると、私は思うのに。

frankslideカナダの語学学校終了時には、生徒は全員アンケートに答えて、授業のどこがよかったとかわかりにくかったとか教師の評価をする。息子の代わりに書き込みながら質問をしていると、授業がよく分からなかったと言うののでその通りに書き込んだ。後から、担任教師にこのことを告げすと、彼はとてもショックを受けていて、息子は同時期に来ていた中学2年生や高校1年生よりリスニング力が高いと言う。息子は、娘と同様に聞き取れないと、自分ができていないと感じるらしい。

horse乗馬に行きたいと語学学校に言ってみたら、「日曜日にみんなで行こう!」と決まった。牧場の中を、馬の手綱を引いてもらってぐるぐる回るだけかと思ったら、狭い牧場に着いた。乗馬の説明を聞いていたら、「みなさん、樹木限界(高度が高くなって木が生えなくなるところ)が見えますね。そこまで、片道1時間です。自分で馬を操ります。」と言う。娘と息子の手前、あっと驚いて、2人を不安にしてはいけないと我慢。どうなるものかと思ったが、無事に2時間の乗馬を終えた。私は、語学学校の生徒の先頭となり、娘は中程、息子は最後尾で彼のために2人のCowgirlsと1人のCowboyが付き添ってくれた。息子は、このようなサバイバル状況でも、にこにこ笑ってカナダ人とうまくやっていた。

park娘がカナダで得た、英語を話すこつは、以下の通りです。「"How are you?"には"Good."とカナダの人が話していた。私もまねしてみると、すぐに通じた。みんながしゃべってる言葉のまねをすればいいのよ。」これがどれだけ正しいかは分からないが、子供なりに英語で話し、意志疎通する機会を得てくれたらうれしい。

       9月 中学受験のため、娘の塾通い始まる。

週に3日塾通いが始まりました。どうやって娘の英語を続けるかが大きな問題。悩んだ末、毎週木曜日のApple Classに参加させるため、娘の塾のクラスを一ランク下げたクラスに変更。受験生の母じゃないなと思いながら、週1回のクラスを維持。

1999年  1月 息子が、英検5級に合格。

娘は、英検の勉強が好きだし、英検受験も楽しくてたまらない様子。息子(9歳)はそうでもないので、娘のように受験日1ヶ月前からの英検受験準備はしない。息子は、私の英語教室で英検受験準備をするだけだった。

このころ英語映画「アルマゲドン」を娘(11歳)は夫と見に行く。「おもしろかった〜〜〜〜〜〜!!」と帰宅した。これが娘の英語映画鑑賞第5回目。

       3月 映画「ベイブ、都会へ行く」を見に行く。

英語教室「子供英語」の春休みのプログラムとして、映画「ベイブ、都会へ行く」英語版を、生徒たちと見に行く。「子供英語」の映画鑑賞は2回目。うちの子の英語の映画鑑賞は、息子5回目で娘の第6回目。「アンツ」を見に行きたかったが、英語版は夕方の上映だけだったので、子どもの団体の外出には不向きと判断して、「ベイブ、都会へ行く」を選んだ。前半、悲惨なエピソードが続くので小学生の生徒たちの心が傷つかないかと、はらはらした。しかし、ハッピーエンドだったので、子どもたちは幸せな気分で帰路につくことができて、ほっとした。息子と娘も大喜びだった。

2001年6月の息子の感想は、「ベイブ、都会へ行く」はとっても楽しい映画だったね。ハッピーエンドだし、よかったよ。だそうです。

        4月 娘の塾

とうとう毎日塾通いがはじまりました。仕方ないので、英語クラスに半分だけ参加して、遅刻してタクシーで塾へ行くことに。

       8月 映画「ムーラン」を見に行く。「STAR WARS」も娘をつれて見に行く。

息子は「ムーラン」「STAR WARS」に興味がないので、娘と二人で英語版を見に行く。娘は「ムーラン」が7回目の英語映画鑑賞、「STAR WARS」が8回目の英語映画鑑賞かなり楽しめた。面白かった。「子供達が分からなくて楽しめなかったらどうしよう」と気にすることなく、私自身映画が楽しめるのでうれしい。

        9月 娘の塾

受験のためとうとう、2000年2月中旬の受験が終わるまで、娘も子供英語をお休みすることになった。

2000年  3月 娘の英検チャレンジ

娘(12歳)が所属しているApple Classは、もう一人の生徒の引っ越しで、3月中旬にクラス自体がなくなってしまう。4月から娘は中学生となるが、中学校である程度レベルの高い英語を学習するまで、Apple Classの代わりとして、私が英語指導を継続することにした。教材は、4回不合格だった英検準2級の過去問題集。最初、筆記問題を一人でさせて、後、全文和訳。リスニングと1,2番の語彙問題も少しずつこなしていく。

その他、Student Timesを読んだり、息子がいないときに(彼に戦争のニュースは見せたくないので)CNNを見せている。CNNはところどころ聞き取っては、「わかったよ」などと言っている。英検準2級の問題集を毎日2ページずつ自習させ、週1回1時間の指導で、その答え合わせをする。毎日継続して問題集ができない時期があった。しかし、毎日するようになり、Student Timesも目を通すようになると、突然準2級のリスニングができるようになり驚いた。

       4月 息子の記憶力

テキストに"What's the matter?"が出てきて、何度か復習した。息子(10歳)が幼稚園の頃、"What's wrong?""I can't find mommy."というのを教えたが、"What's the matter?"の発音練習をしていて、クラス中に彼が突然この会話を思い出して言い出したのでびっくりした。彼の頭の中では、少しずつ英語が整理されて理解が深まっているのだなあと思った。

実は、4月からサンフレッチェ・サッカースクールの日程が変更になって、息子は私の英語教室に出席できなくなる。息子の英語をどうしよう!と心底心配しているのですが、体力作りも子どもにとっては、大切なこと。悩みに悩んで、息子は、当分の間、私の英語教室を休む。

       6月 英検準2級合格

小学校6年生の10月にも、英検準2級を受験して、2点(だったかな?1点?)不足だったので、2000年1月に受験すれば、合格すると思っていたけれど、中学受験のため涙をのんで断念。今回は、無事合格。2次試験も合格。よかった。よかった。10月から、英検2級チャレンジ。

       8月 カナダの語学学校へ

bench娘は、夏休みに海外の語学学校へ行きたがっていた。私も同じ。息子は???なぜなら、子連れで海外へ行った帰りは、私も疲れ果てて、無事に子ども達を広島に連れて帰るという一大目的で、道中ずっとぴりぴりしていたから、それが子どもは嫌みたい。「息子は、海外へ行く気ないんだなあ」と思いこんでいたら、6月末に、「おかあさん、夏休みに外国へ行ったら、小学校のプールには行けないの?」と息子が言い出した。「外国へ、行きたいの?」と私。「うん、行きたい。」と息子。boy

それは大変!とカナダの赤毛のアンの島プリンス・エドワード・アイランド州の語学学校にメールを20くらい送った。7月初旬には返事がどんどん返ってきたけれど、「子供用のプログラムが無い」とか、「大人用のプログラムの場所と子ども用のプログラムの場所が離れている」などと条件的に合わなかったので、プリンス・エドワード・アイランド州は諦める。

7月初旬に、カナダ最大の都市、トロントの語学学校に同じくたくさんのメールを送り、結局、CANADA HOUSEという語学学校が、日程的に(私の前期レポート提出が8月8日、娘の中学校の夏休み明けテストが8月30日)条件が良かったので、ここに決めた。が、航空券があるかどうかが、次の問題。なんとか、全日空のAIR CANADA利用便のチケットが取れました。何はともあれ、たった1ヶ月で、カナダの語学学校を決めることができて本当によかった。

girl8月13日成田出発し、翌日の14日から子ども達はSummer Programに参加。私は、大人向けのクラスに参加。修論を書かないといけないから、本来、のんびりと語学学校へ通う時間的余裕はなかったのだが、子どもだけ通わせるのが心配で、意を決して参加。私にとってのクラスは授業は簡単で楽しかった。語学学校の面白いところは、ロシア語なまりの英語、フランスなまりの英語、イタリア語訛の英語、ベネセエラ(ベネゼエラの人は、ベネセエラと発音する)なまりの英語など、たくさん聞けること。summer

子どものSummer Programは本来3週間なのだけれど、私の大学院の授業の関係で1週間だけ参加。子どもたちは、とても楽しく参加していました。子ども用のクラスは2クラスあって、うちの子は2人とも最初下のレベルに所属していました。指導者と相談して、3日目から娘は上のレベルのクラスで勉強することに。

息子は、4月から私の英語教室を欠席しているのですが、カナダの語学学校では、自分なりに楽しんで授業を受けています。聞いて理解できる語もたくさんあるので、彼なりにしてなんとかしている様子。

私と子ども達は、午前中は、それぞれのクラスで語学学校の授業をうけ、子ども達は午後からアクティヴィティ、そして私は、トロント大学の図書館で修論の勉強と文献集めにいそしみました。最終日のおわかれパーティーは本当に楽しかったです。色んなゲームをして、満足そう。

次の1週間は、トロント市内観光と私の友人達と会った。娘に英語について聞いてみた。英語が使えて便利だそうです。この語学学校体験で、たくさん友達ができたし、みんなとE-mailを使って英語でお手紙を交換できるから、英語をしていてよかったという感想。

8月26日にトロントを出発し、翌27日に帰国しました。次回は、私が大好きなカヤックに乗りたいので、カヤックに乗れるよう、日本で手配を十分にしてカナダにまた行きたいと思っています。

       11月 息子の英語

とても心配していた、息子の英語ですが、4月からためにためていた、私の英語クラスでの彼がすべき英語プリントをさせています。英検4級レベルの文章がなんとか読めて、「忘れていなかった!」と本当にほっとしました。彼は、それなりに英語環境を楽しんでいるので、我が家ペースで彼の英語環境を維持していきたいと思います。現在、1日1ページ英語プリントをしています。

2001年  3月 韓国へ

私は、子どもの頃から韓国へあこがれていました。とうとう、2泊3日ですが、子ども達と一緒に行くことができました。いつもながら、出発日したい日の2週間前に旅行会社へ行くという、ぎりぎり状態でしたが、無事ツアーのメンバーとなることができました。またまた、直前の1週間前に、1998年7月にカナダの語学学校で一緒だった韓国人のStoneにメールを書いて、携帯の電話番号を教えてもらってソウルで会うことにしました。子ども達もStoneが大好きなので、みんな期待に胸が膨らんでいました。

ツアーなので、到着後、ロッテデパートの免税店に直行しましたが、ブランド物を買う予定もないので、ロッテデパートを抜け出して、近くのセブンイレブンで次の日の朝食用の100円位のパンを1人1個買って、電話用の釣り銭をもらいました。「電話用のコインが欲しい」と英語で話しても店員さんに通じないのにびっくりしました。他のお客さんが、英語が話せるので韓国語に通訳してくれて、コインを手に入れました。韓国は携帯所持率とテレフォンカードの使用率が高いので、コインで使える電話が少なく、やっとStoneと連絡をとり、翌日、宿泊予定の豊田ホテルのロビーで会うことにしました。StoneのガールフレンドのSueも英語が得意で、みんなで英語で話しました。

プルコギをStoneとSueからごちそうになりました。プルコギを焼いた後のナベに冷麺を入れて焼いて食べたのもおいしかったです。キムチもおいしいし。子ども達も、StoneとSueと英語でお話できて楽しかったようです。プルコギのお礼として、本当に気持ちだけですが、デザートは私がごちそうしました。

ロッテワールド(2人とも遊園地が大好き)や国立博物館(私の趣味)や明洞(若者の街)に行きました。帰国予定日には、これまたツアーに組み込まれている、お漬け物やさんにいきました。大好きなキムチを買いました。のりせんべいもおいしかったです。

全体の感想としては、小学校で英語に力を入れているけれど、若者の英語会話ができるパーセントは高くないです。Stoneにはじめてカナダで会ったときには、「英語があまり上手でないなあ」という感想を持ちましたが、彼は1年以上カナダで英語を勉強し、今では、スノーボードを主体に扱うスポーツ用品店の店長として、海外(アメリカ)で買い付けをしている程の実力を付けています。みんな、がんばっているんだなあと思いました。

子どもに意識させるのが嫌で、英語学習そのものの体験が本人にとってどんなものか質問することは避けてきました。もう中学2年生だし、いいかなあと、最近根ほり葉ほり尋ねています。
「英語の遊び歌、歌える?」「全然(覚えてない)。」
「2才の頃、英語教室に通ったの覚えてる?」「全然(覚えてない)。」

3歳の頃歌っていた、英語の歌を忘れてしまったとお嘆きのお母さんがおいでになりますが、小さい頃の記憶はなくしてしまいがちなものです。語学力は、歌や英語教室で何をしたかをずっと覚えていることではありません。年齢が上がれば、興味の対象が異なってくるのは、当然です。早期英語教育する場合は、お子さんの年齢と興味にあう、「楽しいこと」を見つけるのが、親の役目だと思います。

2001年  5月 オーストラリア私立中学校に短期留学の準備開始

娘が以前から、カナダのYMCAのお泊まりキャンプに参加したがっていました。「親と離れて、姉と弟2人だけで、現地のプログラムに数日間入る」状況を、下の子が嫌がるので、結局、2人が同じように楽しめるプログラムを探して、語学学校に行っていました。2回目の海外滞在のカナダでは、地元小学生と短期スイミングクラスに通ったことが、よかったし、3回目の海外滞在では、午前の語学プログラムと午後の遠足や水泳など、世界各地からの子どもと過ごせたことがよかったと思います。今回は、娘1人でオーストラリアへ行くので、娘が満足できるプログラム、私立中学校に短期留学をします。仲介業者は、語学力向上を一番に考えたプログラムを作っていて、1校の現地学校に1人の日本人生徒しか斡旋しません。ホームステイ先でも娘1人なので、本当に英語にどっぷりです。

「英語のスピードが速いと、聞き取れないことがある」と娘が言うので、「BBCはイギリス英語でゆっくりと話すでしょ。CNNはアメリカ英語でBBCより速いでしょ」と簡単に説明してやると、その後20分くらい、CNNを見ていました。子どもに見せるんだったら、BBCの自然番組や教養番組って面白いかもしれません。

2001年  7月 オーストラリア私立中学校に短期留学出発

7月28日に日本を出発。出発前、hotmailでメールアドレスを作って、連絡がとれるように準備しました。オーストラリア4週間の留学はとても楽しかったようです。娘に、飛行機の中で時間をつぶす読み物として、北杜夫の「楡家の人々」と斉藤茂吉の「齊藤茂吉歌集」を持たせました。「楡家の人々」は中2の娘には難しかったようですが(昔の話だからだそうです)2度読んで、それから、「斉藤茂吉歌集」を読んだら、とても面白かったそうです。このように長旅の時には、「日本書紀」とか「古事記」とか、とっつきにくいけれど、読み始めるとむちゃくちゃ面白い本を持たせます。本屋で、これらの本を買ってやった時は、「えー、こんな本???」という顔をしますが、読み終えると「面白かった〜〜〜〜!!!」とにっこりと笑顔を見せます。

2002年 10月 英検2級合格

私立中学校に通っているが、2002年度で同級生が5名(娘を含めて)2級に合格した。帰国子女や英語大好きな人ばかりの合格とのこと。私立中学校だから、中3で2級の合格は、そんなに珍しくないことなのかなと思った。

 

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