三次藩と赤穂藩はともに広島浅野藩を本藩としています。
阿久里姫(1669〜1714)は長治の側室お石の方の息女で7歳まで
三次で生活し14歳で赤穂三代藩主浅野長矩(16歳)の許へ輿入れしました。
刃傷事件の後は落飾して寿昌院(後に瑤泉院)と称しましたが、45歳で
没し、その遺髪は姫の郷里三次鳳源寺の遺髪塔に安置されています。
四十七士の一人菅谷半之丞政利は赤穂開城の後、縁者を頼って
一時寺戸の甲斐庵に隠棲し、また寺坂吉右衛門も三次とのかかわりが
伝えられています。
三次藩士落合与左衛門は阿久里姫に従って赤穂藩の奥様付けとなり
落飾後も三次藩用人として仕えました。

瑤泉院