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人間になれなかった鬼の話
 
福山市立
  水呑小学校

  粟 村 啓 史
 
 目標に向かって努力することの大切さを訴えたい時,子ども達に話をしたことです。
 
 いつもいつも「人間になりたい,人間になりたい。」と,そう思っていた鬼がおりました。それである時,その鬼は天の神様に直接お願いをすることにしました。「天の神様,どうか私を人間にして下さい。」と,鬼はひたすら頼みました。すると天の神様は,その願いが本物であるかどうかを試してやろうと思われて,「これから言うことが実行できたら人間にしてあげよう。」とおっしゃいました。鬼が「必ず実行いたしますから人間にして下さい。」と言いますと,天の神様は「明日の朝ニワトリが鳴くまでの間に,一晩の内に天と地との間に100段の階段を作ることができたら,その願いをかなえてやろう。」と,おっしゃいました。鬼はさっそく階段を作り始めました。
 鬼は大きな重い石を次々と運んできて,せっせせっせと階段を作り始めました。明日の朝ニワトリが鳴くまでの間ですから,一瞬たりとも休むわけにはいきません。一生懸命に頑張りました。そしてその努力の甲斐あって,99段まで成功しました。「やったぞー! あと1段だ!。」と思いました。「あと一段積めばいいだけだ。時間はまだ少しある。ちょっと休んでからにしよう。」鬼はほんのちょっと休むつもりで腰を下ろしました。ところが,ほんのちょっとのつもりだったのに・・・もうちょっともうちょっとと休んでいるうちに,とうとう眠り込んでしまったのでした。あたりが明るくなったのに気づいて,鬼はハッとしました。とてもあわてました。急いで下まで駆け下りて,100段目の石を肩にかつぎ,頂上めがけて上り始めました。上りながら鬼は後悔しました。しかしもう遅かったのです。ニワトリが大きな声で「コケコッコー」と鳴いてしまいました。と同時に天の神様が現れて,鬼の心の緩みを厳しく戒められたのでした。「途中ちょっと休んだことは許してもいい。だが,自分の一番大切な目的を最後まで大切にし続けることができなかった,その心までを許すことはできない。」と,そうおっしゃると天の神様は姿を消されてしまわれました。後に残された鬼は泣き崩れてしまいました。幾ら悔やんでも,鬼はついに人間になることはできなかったのです。
 
 疲れてしまって「ちょっと休もう」ということはよくあることです。気分が乗らないこともありますし,人間ですから機械のようにいつも動き続けるということはできません。しかし,人間にはその時その時の一番大切な「その時の目的・目標」というものがあるはずです。それさえ失ってしまうようなあり方では,努力の甲斐がないということになってしまう恐れがあります。「人間になれなかった鬼の話」は,その意味での戒めを示しているのではないでしょうか。途中止めをしたりいい加減なやり方であったりすることは,100段の階段を作り上げることができなかった鬼の心の緩みとダブらせて考えることはできないでしょうか。今一番大切なことは何か,中心を把握した努力の姿勢を身に付けさせたいものだと思います。
 
 尚,この話の原型は,私が大学生の頃に酒の席で友人から聞いた話です。但しこの場における文責は粟村本人です。


                                                    

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