道徳(コールバーグ理論)
 
@コールバーグは、道徳性は「認知能力」と「役割取得能力」の発達と結びついて発達する、と仮定し、理論構築している。
A「認知能力」とは、「世界を知り、自分と世界との間の適応を図る(均衡化)知的な能力」のことである。
B「役割取得能力」とは、「自分の気持ちや考えと同等に他者の立場に立って、その人の考えや気持ちを推し量り、それを受け入れ、調整して それらを対人交渉に生かす能力」である。それは認知能力が発達するのと同様に発達していく。その発達は、自分以外の諸々の他者をも大 切に扱う能力を高め、人間関係の広がりをもたらすだけでなく、社会認識の発達に関係する。またその発達如何が道徳判断の質に影響する 。また、人間間のジレンマを理解し、解決する上で、他者の立場を併せて考える程度と深さは役割取得能力の発達に依存している。
C道徳性が発達するには役割取得能力の発達がなければならず、知的水準を表す認知能力の発達からだけでは道徳性は発達しない。知的  に幾ら優れても、他者に関する関心や他者を尊重する役割取得の能力の発達がなければ、道徳性の発達は期待できない。 
D「認知能力」と「役割取得能力」の二つの能力がいずれも発達していない時期には低次の道徳性の発達段階に留まるが、二つの能力が発 達するのに伴い、次第に高次の道徳性を身につけ、高次の段階に移行していく。
E授業についてコールバーグが一貫して主張してきたことは、
  (1)オープンエンドのモラルジレンマ資料で考えさせること。
  (2)自己の考えや期待と矛盾する他者の視点を意図的に取り入れ、それらを統合して解決を図る「役割取得の機会」を個人の思考過程に     組み込むこと。
 である。
 
 
 
コールバーグによる道徳性発達段階
 
(ア)段階0→「欲求希求志向」
 この段階では、自己の欲求や願望が満たされた状態が正しく善であり、自己が不 快で苦痛な状態は悪いことで、良くないのである。自分の好きなジュースを飲む子は良い子で、自分の嫌いな牛乳を飲む子は悪い子なのである。
 
(イ)段階1→「罰回避と従順志向」
 この段階では、正しさの基準は自分の外にあって、他律的である。親や先生の言 うとおりにすることが大切なのである。オモチャを手放すのはお母さんの指示に従ったまでで、親切心や仲良くしたいからではない。母親がただ怖いからである。
 
(ウ)段階2→「道具的互恵、快楽主義」
 この段階では、自分にとって得か損かの勘定が正しさの基準になる。将来助けてもらうかもしれない、自然に助けられたことがある、等の理由から援助が行われる。
 
(エ)段階3→「他者への同調、よい子志向」
 この段階では、集団に属し、よりよい人間関係を維持しようと気配りし、立ち振る舞う。良い子であることが習慣的に意味を持ち、正しさの基準となる。良心の 内面化が進み、罪悪感が行動を規制する。人からの賞賛を求めたり、叱責や恥を避けることが援助の理由となる。「自分がしてほしいと思うことを他人にもせよ(黄金律)が適用されるようになる。」
 
(オ)段階4→「法と秩序の維持」
 この段階では、社会の構成員の一人として社会の秩序や法律を守るという義務の履行にかかわっている。社会的責任をとることが大切であるが、それは単に友達 や親の期待にあった同調行動をとればよいというのではなく(これは段階三)、国家や地域社会に積極的に貢献し、決まりに従って義務を果たし、社会のために自分の役割を果たすことである。
 
(カ)段階5→「社会契約、法律の尊重、及び個人の権利志向」
 この段階では、道徳的な価値の基準が個人をして自律化し、原則的になっている。個人の権利が尊重されているか、社会的公平であるかどうかが問題となる。この段階では、困っている人はそれだけで援助を受けるに値するという認識がある。
 
(キ)段階6→「良心または普遍的、原理的原則への志向」
 この段階では、すべての人間としての権利や価値を平等に尊重するという人間の尊厳の尊重が正しさの基準となる。(普遍的な倫理的な原則を持つ。)「正義」と 「慈愛」の原理が相互に支持し合い、調和する。コールバーグは、この段階を代表する人物として、キリスト、ソクラテス、仏陀、孔子、リンカーン、キング牧師などを挙げている。
 
 
段階は不変的な連続性を示す。全ての子どもは六つの段階の一つ一つを登っていき、誰も段階0から二に飛び越えて発達することはで  きない。あらゆる条件下で段階の移行は前進的であり、後退はない。どの文化圏の子どもであってもその発達順序には違いはない。し  かし、全ての子どもが段階6まで進むわけではない。
 
段階は、「階層的に統合されたもの」である。高次の段階の思考は低い段階の思考をその内に内包もしくは統合している。例えば、段階 3は段階2を包含し、いずれは段階4に包含される。どの段階においても道徳的判断を行うための新しい視点と基準が生み出されている。 低次の段階は気づかれやすく、理解されやすい。しかし、低次の段階で思考するより、可能な高い段階で思考することを好むという、階層 的順序がある。