化石・植物

洞窟の中は骨化石の保管場所、太古のオオツノシカなどがよみがえる

本来、ないはずの植物が洞窟の中で繁殖していた

 大昔、氷河がたびたび地球を襲った時、海面が下がり日本列島は何度か大陸と陸続きになりました。
 陸続きになるたびに、大陸からいろいろな動物が日本にやって来て、秋吉台に棲んでいました。秋吉台には竪穴などが沢山開いているので、動物たちも誤って、落ちて死んでしまいました。
 洞窟の中に落ちて死んだ動物の骨は、石灰岩が骨を守り、長い歳月の風化に耐えそのままの骨が化石として残りました。洞窟は骨化石の保管場所だったのです。
 動物の骨はおもにリン酸化カルシュウムから出来ていて、炭酸カルシュウムから出来いる石灰岩が骨を守るのです。生物の死骸の山である秋吉台で、太古の動物の骨が永遠の眠りについていたのです。
 
 ←約50万年前の骨化石は、東洋ゾウ、楊氏トラ、ヒョウ、ニッポンサイ、ニホンモグラネズミ、シカマトガリネズミ、タイリクハタネズミ、タイガタビネズミなどで、比較的暖かい地方の動物が中心ですので、大陸の南方方向から秋吉台にやって来たのでしょう。
 当時、大陸では中国の北京原人やインドネシアのジャワ原人などが栄えていたはずです。原人は狩猟生活をしていたはずですから、当然動物を追って日本にもやって来たはずです。
 まだ、50万年前の人の骨化石は見つかっていませんが、見つかる可能性は十分にあります。見つかれば、間違いなしに秋吉原人と呼ばれるはずです。
 →15万年前の骨化石には、トラ、ナウマンゾウ、ヤベオオツノシカ、ニホンムカシジカ、ヒグマ、オオカミ、ニホンモグラジネズミなどの動物たちです。
 比較的寒い地方の動物が中心ですので、大陸の北方向からやって来たとされています。
 その中の代表的なヤベオオツノシカは、1万年前頃まで秋吉台に棲んでいたと考えられています。当時、人間も棲んでいたはずですので、人間がヤベオオツノシカを滅ぼしたのかもしれません。
 秋吉台にもゾウやヤベオオツノシカと一緒に出た人間の人骨がありますが、残念なことに骨片で確実なものではありませんでした。
 昭和47年12月ある日、美祢市の石灰岩採石場の洞窟の中で偶然大量のヤベオオツノシカの化石が見つかりました。この大発見により、ヤベオオツノシカの全体が解明され、復元されたのです。
 約3万年前には、ムカシマンモス、ナウマンゾウ、ヤベオオツノシカ、オオヤマネコ、オオカミ、オコジョ、テンなどが棲んでいたようです。
 もちろん人もすんでいたはずで、昭和37年夏に美祢市の栗山の竪穴で、ヒグマともに人骨が発見され、東京大学の鈴木尚先生が調査されました。ウルム氷期頃の人類の可能性が高いとされましたが、詳細は明確されないままです。
 この時代の動物は前の時代から棲みついていていたものが主流ですが、新たに大陸から渡ってきて、加わった動物もいます。
 オオヤマネコは新たに加わった代表的な動物で、寒い地方から来たとされます。秋吉台ではコワフェ穴、ケヤキの竪穴、竹の子の穴などで発見されました。
 今、シベリヤに棲んでいるシベリヤオオヤマネコに一番近いのではとされています。最近、遺伝子の研究が進み骨化石からもDNAの研究が行われるようになり、動物たちの進化の道すじが次第に明らかになりつつあります。
 
 秋芳洞などの観光洞に入って、ライトの前をよく見ると緑色をしたシダ類や場所によっては背丈の高いシダ類が生えている所がよくあります。
 緑色の植物は太陽の光のある所しか生えないはずですが、観光洞では太陽の代わりを人工の照明がしていたのです。ですから、生えないはずの植物が光の前にだけたくさん生えているのです。
 植物は根をはり、洞窟生成物を風化させて行きます。表面には腐食した有機物が付着し、セメンティングにより固定されます。洞窟の中の環境がしだいに変わるのです。写真のような植物は洞窟の環境にはいらないものです。同じ位置でライトを当てつづけると植物はどんどん勢力を増してゆきます。ライトの位置を変えるなどの対策が必要です。
 また、ひどいところでは、植物に虫が取り付いて棲んでいるところもあり、観光洞管理の重要性と、難しさがあります。